【ネタバレ有り】しょうじょう寺の狸ばやし のあらすじを起承転結で紹介
よだかの星の主要登場人物
親分狸(おやぶんたぬき)
しょうじょう寺に集う狸のグループを取り仕切る親分狸
ポン太(ぽんた)
しょうじょう寺に集う狸のグループの一員で雄狸
ポン子(ぽんこ)
しょうじょう寺に集う狸のグループの一員で雌狸
町の有名な和尚さん(まちのゆうめいなおしょうさん)
町の人達が、しょうじょう寺の復興を託せると考えた、名声を有する和尚さん
変な和尚さん(へんなおしょうさん)
町の人達から変人と思われている和尚さん
しょうじょう寺の狸ばやし の簡単なあらすじ
古寺であるしょうじょう寺は、荒れ果てていて、山の狸達の集いの場となっており、その復興のために二人の和尚さんが名乗りをあげました。二人のうち名声を有する和尚さんが、やはり復興に成功したのでしょうか。
しょうじょう寺の狸ばやし の起承転結
【起】しょうじょう寺の狸ばやし のあらすじ①
古寺しょうじょう寺には長らく和尚さんがおらず、月の出るころになると狸達が山を下りて集まり、はらつづみを打って大騒ぎをするのが常となっていました。
狸達は、自分達の楽しみを邪魔されないように工夫もしておりました。
例えば、いろいろなものに化けては人々を驚かし、人々が寺に近づかないようにしていました。
人々は、自分達の力だけでは解決が難しく、名声を有する和尚さんを探して、その和尚さんの力によって、しょうじょう寺を復興してもらうことを考え始めました。
【承】しょうじょう寺の狸ばやし のあらすじ②
この町には有名な偉い和尚さんがおられ、しょうじょう寺のことを聞いて、自分がしょうじょう寺の住職になって、しょうじょう寺を復興しようと約束してくださいました。
和尚さんはしょうじょう寺にやってきましたが、あまりの荒れように驚きました。
和尚さんが本堂に入ってお経をあげると、山の狸達は顔を見合わせ、和尚さんを追い出す打ち合わせを始めました。
打ち合わせにしたがって、狸のポン太とポン子は、それぞれ一つ目小僧と首の延びる美しい娘とに化け、お経をあげている和尚さんのうしろに近づき、そっと和尚さんの前に顔を出しました。
仰天した和尚さんは悲鳴を上げて寺の石段をころげるようにかけおりて逃げてゆきました。
有名な偉い和尚さんは狸問題を解決できなかったのです。
【転】しょうじょう寺の狸ばやし のあらすじ③
その次に、変な和尚さんが現れました。
狸達は相談をして、まず一つ目小僧のポン太が変な和尚さんのそばに出てゆきましたが、和尚さんに団子をもらって喜んで戻ってきました。
次にポン子がでてゆきましたが、変な和尚さんは、「首の長い美人さん、一杯飲もう」と、ポン子とお酒を酌み交わし始めました。
怒った親分狸は、変な和尚さんが眠っているときに、庭で狸達にはらつづみを打ってドンチャン騒ぎをさせました。
すると変な和尚さんは、庭に降りて狸達と一緒にはらつづみを打ち始めました。
なかなか、うまく打つことができず、疲れて庭に倒れてしまいました。
これを期に人間に対し良い気持ちを有していなかった親分狸は、変な和尚さんの気持ちを知って、倒れた変な和尚さんをいたわり、変な和尚さんを友人としてもてなすようになりました。
【結】しょうじょう寺の狸ばやし のあらすじ④
仏教を深い叡智をもって理解している高僧であっても、自分達を人間より低度の生き物として扱う人間は、人間以外の生き物にとっては友人ではないということを、この童話は述べているように思います。
昨今の、愛犬、愛猫の傾向は、日本人の動物に対する同列意識の強さを示しているように思います。
西洋人も動物愛護の気持ちは日本人以上に在るように感じますが、童話などでは、あまり見かけません。
しょうじょう寺の狸ばやしは、人間の、狸と、より正確には親分狸との、友情を表しているように思います。
しょうじょう寺の狸ばやし を読んだ読書感想
日本の伝説や童話を読んで常に感じるのは、人間と、人間以外の動物や植物との間の、地位の関係が、特に西洋などのそれと異なっていることです。
日本の伝説や童話においては、人間は他の動物などに対して絶対優位の存在ではありません。
これは、飢えた虎のためにわが身を与えられたという仏陀のお話があるように、仏教の影響もあると思います。
しょうじょう寺の狸ばやしも、人間と狸とが同列に扱われていて、前記のことから外れておりません。
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