「まぼろしのパン屋」のネタバレ&あらすじと結末を徹底解説|松宮宏

「まぼろしのパン屋」

著者:松宮宏 2015年9月に徳間書店から出版

まぼろしのパン屋の主要登場人物

高橋(たかはし)
主人公。勤続33年の電鉄マン。周囲から軽く扱われていて自分自身にも期待していない。

久里子(くりこ)
高橋の妻。カルチャーセンターに通っていて習い事に夢中。

柳井智恵子(やないちえこ)
小さなパン屋の経営者で故人。腕は良かったがお人よし。

太田(おおた)
智恵子の隣人。代々と受け継いできた地所で農業をしている。

和田卓(わだすぐる)
高橋の上司。金融業界で修羅場をくぐり抜けてきた。

まぼろしのパン屋 の簡単なあらすじ

仕事にも結婚生活にも飽き飽きとしていた高橋に幸運が転がり込んできたのは、通勤電車で高齢の女性から1個のパンをもらった時からです。

彼女の名前が柳井智恵子ですでに亡くなっていたこと、さらには自らが働く会社の強引な土地開発が原因であったことを知ります。

早期退職した高橋は妻と力を合わせて起業をして、智恵子の遺志を受け継ぐのでした。

まぼろしのパン屋 の起承転結

【起】まぼろしのパン屋 のあらすじ①

万年課長が出世のレールに乗る

高橋の妻・久里子が突如としてパン職人になると言い出したのは、55歳になって参加した「フランスパンサークル」の影響です。

朝からダイニングテーブルに並べてあるのは焼き立てのクロワッサン、夕食は作り置きのバゲット。

高橋としては白いご飯に納豆の方がありがたいですが、すぐに小言が返ってくるためにこの頃では文句をいいません。

勤め先は大量採用で拾われた「大東京電鉄」、定年まで経理課長を務めるはずでしたが突如として財務部長に指名されてしまいました。

前任者が沼地開発に絡んだ裏金疑惑の責任を取らされてクビを切られたようで、詳しい事情は分かりませんが損金の穴埋めに走らされています。

毎朝の通勤は自宅から最寄りのつきみ野駅まで徒歩で5分、田園都市線の急行に乗り換えると都心部までは1時間ほど。

この1時間を座れるかつり革につかまっているかの違いは大きく、その日1日の仕事の能率にも影響してくるでしょう。

5時40分発の各駅停車はガラガラで、新聞をいっぱいに広げてゆったりと座席で読めるほどです。

いつものようにたいした記事はなく、居眠りでもしようかと思ったところ見知らぬ年配の女性が話しかけてきました。

【承】まぼろしのパン屋 のあらすじ②

まぼろしのような口どけ

持っていたカゴから白い紙袋を取り出した女性は、そっと高橋に差し出してきました。

困惑しながらも開いてみると中身はブール、ブーランジェリーの語源ともなった伝統的な丸パンです。

手のひらに伝わるわずかな温もり、サクッとした歯ごたえ、香ばしい小麦粉の風味、わずかな塩味と後からくる甘さ… 最近になってますますレパートリーを増やしている久里子でしたが、この完成度には到底かないません。

袋には「しあわせパン」と店名がプリントしてあって場所は大和市公所、つきみ野からでも車を使えば2〜30分で着くでしょう。

必ず妻を連れて買いに行くという高橋の言葉に、彼女はにこやかに手を振り途中の駅で降りていきました。

休みの日に紙袋の住所まで行ってみましたが、廃屋となった木造2階建てしかありません。

隣に住んでいて畑を耕している太田という男性に聞いてみると、大手電鉄会社がこの辺り一帯を買い上げて区画整理を始めているとのこと。

商店街と近隣住民で立ちのきに反対していた5年前、柳井智恵子というパン屋さんが心労から帰らぬ人となってしまったそうです。

【転】まぼろしのパン屋 のあらすじ③

それぞれのターニングポイント

太田から見せてもらったアルバムには繁盛していた頃のしあわせパンの写真が1枚、エプロンを付けて写っているのはまさしく例の電車の女性。

さらに悪い予感は当たるもので、大和市内で地上げ屋のようなことをなっている会社こそが高橋のいる大東京電鉄です。

電鉄総帥は外資系コンサルタントから引っ張ってきた和田卓という40代の男を、財務担当常務執行役員に配置しました。

10歳以上は若いはずの和田の指導を受けながら、高橋は農作物の先物取引やヨーロッパ市場の銘柄を売り買いしていきます。

預かる金額は億単位にも上り、一介のサラリーマンには想像のしようもありません。

ただふたつだけ分かっているのは悪事の一端を担いでいること、何か問題が起こると前職のように切り捨てられること。

そんな最中に高橋の同じ年に入社した中でも1番に勝ち組だった玉置が、飲食子会社に出向となりました。

立ち食いそば屋のカウンター業務だそうで、事実上の肩たたきと言えるでしょう。

久しぶりに飲みに誘ってみると思いの外に晴れやかな表情で、根岸の実家を改装してそば屋を始めるそうです。

【結】まぼろしのパン屋 のあらすじ④

天上のお導きで懐かしい味を再現

玉置の後任に座った部門長も高橋とは同期で話は早く、登記を調べて智恵子の娘が渋谷区上原に住んでいることを調べてくれました。

事前の連絡もなしに訪ねてきた高橋にも、柳井小夜子は驚きもせずに少しだけ忍び笑いをしています。

いつの日かしあわせパンの紙袋を持った人がやってくる、その人はステキな申し出をする。

天国から智恵子が自分を選んでくれたことを確信した高橋は、高額の昇給にも社外取締役への昇進にも未練がありません。

辞表を提出して開業資金を調達した上に、しあわせパンを土地ごと買い上げたと聞いて久里子は大喜びです。

新装開店初日に来店してくれた小夜子からも、ひとくち試食しただけで「母の味です」とお墨付きをもらっています。

若い職人を雇ってともに汗を流す久里子、朝いちばんに並んでくれる客のために接客をする高橋。

間もなく還暦を迎える夫婦がどこまでできるか不安もありますが、しあわせのためにも自分たちの心に正直に生きることを誓うのでした。

まぼろしのパン屋 を読んだ読書感想

フランス産の小麦粉でパリッと焼き上げたベーコンエピから、酸味のきいたライ麦パンまで。

愛妻の手作りパンがモーニングコールとは実にうらやましいですが、肝心の高橋が根っからの和食党だというのが残念ですね。

嫌々ながら口に詰め込んで向かう先はいつもの駅のホーム、いかにして座っていくかをシミュレーションする「椅子取りゲーム」には笑わされました。

そんなさえない主人公が車内で遭遇するのはまたしてもベーカリー店主、口の中に入れるだけで至福の時に包まれるという焼き立てブールは一度でいいから食べてみたいです。

読んでいるうちにスピリチュアルな出来事をすんなりと受け入れられるのは、物語の根底にリアルな勤め人の苦労が描かれているからなのかもしれません。

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