著者:滝口悠生 2021年6月に講談社から出版
長い一日の主要登場人物
私(わたし)
物語の語り手。勤め人から作家に転身。身近な人やできことをテーマにして驚きの結末も用意しない。
妻(つま)
地方から出てきて私と出会う。個人事業主なので年中無休で先延ばしにしない。
窓目均(まどめひとし)
私の高校時代からの友人。人生のすべてを冗談だと思っている。
八木朔(やぎさく)
窓目の大学の後輩。良識を失わなずみんなの重心になる。
石毛(いしげ)
私たちの借家の管理人。いつも忙しげだが表情は柔らかい。
長い一日 の簡単なあらすじ
サラリーマンを辞めて小説家としてデビューした「私」は、長らく妻と一緒に住んでいた家からの引っ越しをします。
高齢の大家さんとの良好な関係や買い物の利便性を手放したために、しばらくは喪失感に悩まされることに。
やがては新しい環境にも馴染みはじめて受け入れていき、自分たち夫婦の将来についても少しずつ向き合っていくのでした。
長い一日 の起承転結
【起】長い一日 のあらすじ①
食品の小売店で働いている私はオフィスワークではなく、店頭で接客に当たることが多いです。
ある朝の通勤電車でいつもの駅まで行けずに途中で降りてしまい、地下鉄のホームのベンチに何時間も座ったまま動けません。
学生時代から斜に構えて悪態をついていた社会に、この日初めてうっすらとした「敗北」を感じてしまいました。
一緒に悪態をついていた中でも特に浮世離れしている窓目均をモデルに小説を書いてみると、新人賞を獲得することに。
この機会に交際していた女性と籍を入れて新居を探しますが、28歳になってもひとり暮らしの経験がない私には勝手がわかりません。
18歳で上京してからいくつかの街に移り住んできた妻が言うには、家の近くに良いスーパーマーケットがあるかないかで食生活の質も左右されるとのこと。
窓目と同じ大学でサークル活動をしていたことがあり、不動産紹介サイトを見るのが好きだというのが八木朔。
彼女が見つけてくれたのは世田谷区の駅から徒歩10分、近所には地域密着型のスーパー「オオゼキ」もあります。
【承】長い一日 のあらすじ②
2010年1月、私たち夫婦が越してきた家は3階建てで1階には鉄工所を経営している大家さんが住んでいました。
80歳をこえてからは工場をたたみましたが、その後も庭で廃業した理髪店から引き取ったサインポールを解体しています。
時にはおすしの出前を取ってくれたり、手作りの煮物をお裾分けしてくれることも。
20代の後半から30代の前半にかけてを過ごしたこの家を、私たちが去ったのは7年後のこと。
メールで新しい物件の情報を送ってくれたのは八木、相変わらず目上の人から頼られたり何かを任されたりしているのでしょう。
管理会社の石毛という男性も紹介してくれて、空き家の有効活用からリノベーションにまで熱心です。
区をまたいでの転居先は南向きで日当たりもよく、庭を隔てて広がるのは小学校。
将来お子さんができてもいい環境だという石毛の笑顔に、少し私と妻は考え込んでしまいました。
同年代の友人や同僚が妊娠や出産を話題にしていましたが、どうしても自分たちが子育てをしているビジョンは浮かんでてきません。
【転】長い一日 のあらすじ③
新しい住まいにも手近な場所に某チェーンのスーパーはありましたが、あれもないこれもないで来店する度に暗たんとした気持ちに。
愛用していたメーカーの調味料、変わった種類の魚や珍しい野菜、入り口を通ってすぐのパンの香り… 使うことよりも貯めることに喜びを感じていた、オオゼキポイントも無駄になってしまいました。
大切なものは失ってみないとわからない、よく言われる言葉の意味を私は人生ではじめて切実に実感します。
この「オオゼキ・ロス」を解消するために訪れたのが、地元の商店街に軒をつらねる魚屋や八百屋。
自転車に乗れば1周するのに5分程度、スタンプシールを集めることで精神的なリハビリにもなるでしょう。
日中は自分の部屋で執筆をしている私、自分の事務所を構えた妻は夜遅くまで帰ってきません。
前の家では大家がカナヅチで鉄板をたたく音が早朝から響き渡っていましまが、ここではチャイムや校内放送が。
少し前からクリニックで不妊治療の相談に赴いている私たち、この先家族が増えることも少しだけ想像できるようになりました。
【結】長い一日 のあらすじ④
前々から自分のことを面白おかしく本に書かれているのが腹立たしい窓目、朝早くに私とケンカをして家を飛び出した妻。
満開の桜が陽を受ける2017年4月、不忍通りから音羽通りへの右折路でふたりは合流しました。
向かう先は講談社ビルの正面玄関口、ガラスの扉をたたき編集長を呼び出そうとしますが警備担当者が対応します。
1986年にお笑い芸能人が軍団を引き連れて暴れた揚げ句、警察沙汰になって以来警備が厳重になったとのこと。
そのお役目を担っているはずの女性警備員は窓目たちに同情的で、特に通報することもありません。
嫌なことがあった時にはすぐそこの護国寺で一服をする落ち着くという、彼女のアドバイスに従ってみることに。
参道の階段を登ると山門、門に一礼をしてから門をくぐると本堂、お賽銭を投げ入れると参拝客に開放された畳敷きの堂内へ。
このお寺の創建は1681年、36年しか生きていない窓目や妻にその長さは想像もできません。
静かにゆっくりと足を崩してあぐらをかくと、太ももの布地が伸縮してリラックスできます。
どこまでも伸びていく1日でしたが、人生を振り返った時には思い出すこともない1日だとふたりで語り合うのでした。
長い一日 を読んだ読書感想
東京のど真ん中で生まれてヌクヌクと実家で育ったという主人公、新社会人として世の中に飛び込んだ途端に打ちのめされてしまうほろ苦いオープニングでした。
他人との壁を低く設定して誰とでもすぐに仲良くなれるところは美点、変わり者の友人をネタに小説家になってしまうところはちゃっかりしていますね。
たまに集まれば学生時代のままノリで大騒ぎをするメンバーたち、八木朔さんのようなツッコミ役も欠かせません。
いつまでも恋人のような関係だった主人公夫婦にも、タイムリミットを突き付けられていく後半の展開にも考えさせられますよ。
ラストは出版社への殴り込みかとドキドキさせつつ、静かに幕を閉じていきお見事です。
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