著者:太宰治 1946年2月に角川書店から出版
貨幣の主要登場人物
私(わたし)
旧式の百円紙幣であり、女性。 紙幣の番号は七七八五一号。 長い間使われて、くたくたに疲れている。
大工(だいく)
私が生まれたころの最初の持ち主で、若い大工。
医学生(いがくせい)
顕微鏡を売って、百円紙幣を手に入れた学生。
婆さん(ばあさん)
私を連れて小都会に連れて行った老婆。
お酌の女(おしゃくのおんな)
大尉に酒を尺している女。小さい子がいる。
大尉(たいい)
横柄な態度の軍人。
貨幣 の簡単なあらすじ
七七八五一号の百円紙幣である私は、生まれたころは最高額紙幣でした。
そのころは、大変ありがたがられる存在でしたが、時代の流れと共にみすぼらしい姿になりました。
二百円紙幣や千円紙幣なども出てきて、もはやありがたがられる存在ではなくなったのです。
長い間にいろいろな人に手に渡り、自分自身も擦り切れ、変な匂いまでついて、もうボロボロでした。
そんな私でも、貨幣としてとてもうれしい体験をしたことが、一度だけあったのです。
それは、東京から少し離れた小都会で、空襲があった夜のことでした。
貨幣 の起承転結
【起】貨幣 のあらすじ①
(紙幣である私(女性)の独白で物語は進みます)私は、七七八五一号の百円紙幣です。
あなたの財布の中の百円紙幣をちょっと調べてみて下さい。
私はその中に、はいっているかも知れません。
私は、くたくたに疲れて、自分がいま誰の懐の中にいるのか、屑籠の中にいるのかも見当が付かなくなりました。
近いうちに、モダン型の紙幣が出て、私たち旧式の紙幣は皆焼かれてしまうという噂も聞きました。
もうこんな、生きているか死んでいるか分からない気持ちならば、いっそ焼かれてしましまいたいと思っています。
生れた時には、今みたいに、こんな賤しいていたらくではなかったのです。
後から、二百円紙幣や千円紙幣など、私よりも有難がられる紙幣がたくさん出て来ました。
でも、私の生れたころには、百円紙幣が、お金の女王でした。
私が東京の大銀行の窓口からある人の手に渡された時には、その人の手は少し震えていました。
その人は、若い大工さんでした。
家へ帰ると、その人はさっそく私を神棚にあげて拝みました。
私の人生への門出は、このように幸福でした。
けれども私は、その大工さんのお宅には、一晩しかいる事が出来ませんでした。
その夜、夫婦の間に喧嘩が起きて、私は四つに畳まれておかみさんの財布の中にいれられました。
その翌朝、おかみさんに質屋に連れて行かれて、おかみさんの着物十枚とかえられたのでした。
私は、質屋の冷くしめっぽい金庫の中にいれられました。
妙に底冷えがして、おなかが痛くて困ったものでした。
【承】貨幣 のあらすじ②
しばらくして、私は、質屋の金庫の中から外に出されて、日の目を見る事が出来ました。
こんどは、医学生の顕微鏡一つと交換されたのでした。
私はその医学生に連れられて、ずいぶん遠くへ旅行しました。
そして、瀬戸内海のある小さい島の旅館で、私はその医学生に捨てられました。
それから一箇月近く、私はその旅館の、帳場の小箪笥の引出しにいれられていました。
その医学生は、私を捨てて旅館を出てから間もなく、瀬戸内海に身を投じて死んだというのでした。
女中たちの取沙汰をちらと小耳にはさみました。
『ひとりで死ぬなんて阿呆あほらしい。
あんな綺麗な男となら、わたしはいつでも一緒に死んであげるのにさ』と、でっぷり太った四十くらいの、出物だらけの女中がいって、皆を笑わせていました。
それから私は五年間四国、九州と渡り歩き、私はめっきり老ふけ込んでしまいました。
しだいに私は軽んぜられ、六年振りに東京へ戻った時は、変り果てた自分の姿に自己嫌悪してしまいました。
東京へ帰って来てからは、私はただもう闇屋の使い走りを勤める女になってしまったのですから。
五、六年東京から離れているうちに私も変りましたが、東京の変りようったらさらにひどいものでした。
私はやはり休むひまもなくあの人の手から、この人の手と、まるでリレー競走のバトンみたいに渡り歩きました。
おかげでこのような皺しわくちゃの姿になったばかりでなく、いろいろなものの臭気がからだに附いていました。
もう、恥ずかしくて、やぶれかぶれになってしまいました。
【転】貨幣 のあらすじ③
私が東京から汽車で、三、四時間で行き着けるある小都会に、闇屋の婆さんに連れられていった時のことです。
これまで、いろんな闇屋から闇屋へ渡り歩いて来ましたが、女の闇屋のほうが、男の闇屋よりも私を有効に使うようでした。
私をその小都会に連れて行った婆さんも、ある男にビールを一本渡してそのかわりに私を受け取りました。
そうしてこんどは、その小都会に葡萄酒の買出しに来て、私一枚で四升の葡萄酒と交換しました。
その頃の普通の闇値の相場は、葡萄酒一升で五十円とか六十円とかであったらしのにです。
つまり、婆さんの手腕一つで、ビール一本が葡萄酒四升になったのです。
とにかく、女の欲というものは程度を越えています。
それでもその婆さんは、少しもうれしいような顔をせず、どうもまったくひどい世の中になったものだ、と大真面目で愚痴ぐちをいって帰って行きました。
私は葡萄酒の闇屋の大きい財布の中にいれられ、うとうと眠りかけたら、すぐにまたひっぱり出されましたました。
こんどは四十ちかい陸軍大尉に手渡されたのでした。
この大尉もまた闇屋の仲間のようで、軍人専用の煙草を百本と交換したのでした。
大尉は百本といっていたのだそうですが、あとで葡萄酒の闇屋が勘定してたら八十六本しかなかったそうでです。
あのインチキ野郎めが、とその葡萄酒の闇屋は、大いに憤慨していました。
私はその大尉のズボンのポケットにねじ込まれ、まちはずれの薄汚い小料理屋の二階へお供をする事になりました。
【結】貨幣 のあらすじ④
小料理屋の二階では、お酌の女が大尉に酒を注いでいました。
そして大尉はひどい酒飲みで、しかも酒癖が悪いらしく、ずいぶんとしつこく女を罵るのでした。
すると、階下からは赤子の鳴き声が聞こえました。
大尉は、耳ざとくそれを聞きつけると、また女を罵るのでした。
これに女も応戦をしていると、とっさに空襲警報が出て、同時に爆音が聞えはじました。
部屋の障子はまっかに染まりました。
大尉は立ち上がりましたが、ブランデーがきいたらしく、よろよろです。
女は、鳥のように素早く階下に駆け降り、赤ちゃんをおんぶして、二階にあがって来ました。
ほとんど骨がないみたいに酔っている大尉を、抱き上げるようにして歩かせ、すぐ近くの神社の境内まで逃げました。
しかし、火の雨が降って来て神社も燃えはじめました。
お酌の女は何の慾も見栄もなく、ただ眼の前の酔いどれ客を救おうとして田んぼほうに避難しました。
避難した直後に、神社の境内は火の海になっていました。
大尉は、すでにぐうぐう高いびきをかいていました。
夜明けちかく、大尉は眼をさまし、燃えつづけている大火事をぼんやり眺めました。
それから、上着の内ポケットから私の仲間の百円紙幣を五枚取り出して、ズボンのポケットから私を引き出してました。
そして、六枚重ねて二つに折り、赤ちゃんの一番下の肌着の下の、地肌の背中に押し込んで、走って逃げて行きました。
私が自身に幸福を感じたのは、この時でした。
貨幣がこのような役目に使われるなら、どんなに私たちは幸福だろうと思いました。
私は仲間の紙幣にいいました。
「こんないいところはほかにないわ。
この赤ちゃんの背中をあたため、ふとらせてあげたいわ」仲間はみんな一様に黙ってうなずきました。
貨幣 を読んだ読書感想
太宰治の作品といえば「人間失格」が思い浮かびます。
人間失格の作中の世界観は、思いつめ苦悩する主人公の、どうにもうまく生きられない姿を描きます。
しかし、太宰作品の魅力のもう一つの面は、ポジティブで明るい、少しコミカルな小作品で見ることがっできます。
例えば、走れメロスの最後にちょとしたユーモアを交えていたことからもわかるように、本来は遊び心のある作家だったのです。
本作品では、この遊び心が存分に発揮されていると思われます。
まず、冒頭にで「異国語においては、名詞にそれぞれ男女の性別あり。
然して、貨幣を女性名詞とす。」
と、いきなり述べるあたりに、並々ならぬセンスが感じられます。
外国では名詞に性別があるそうな、そして貨幣は女性だそうなという前置きの直後に、主人公であり、百円札でもある「私」が、女性口調で過去を語り始めます。
また、作品の設定に目を奪われがちではありますが、貨幣である私が、人の手から人の手へ渡るさまを非常にコミカルに描いています。
そして、コミカルに進めた話の、最後のゴールが赤ちゃんの背中というのも気の利いた演出になっています。
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