簡単なあらすじ
画家である「私」は一人、古いマンションで静かな暮らしを送っている。仕事もあり恋人もいる充実した生活を送っているように見える彼女だが、長いつきあいの恋人には家庭がある。それでも納得して選んだ人生は孤独であり、「絶望」が部屋を訪ねてくる。それはやがて、主人公に「死」を連想させる。
主人公である姉に生意気な口をきく妹や、あまりに優しすぎる恋人、優柔不断な妹の恋人である大学院生。彼らは主人公の家にやって来ては、やがて帰っていく。妹の恋人にもまた、他に長く付き合っている女性がいることが判明してしまう。それが発覚し、妹は毅然と別れるのだが、しかし泣きついてきた恋人を振り切ることができずに、三角関係を続けることになる。主人公は、妹は自分とは違う選択ができたらと、ひそかに彼女の未来を思う。
何も変わらない日々の中で、それでもささやかな人間関係の変化があり、そしてずっと「絶望」という感情だけが彼女と共にある。それは幼い頃から一緒に生きてきた同志のようなものだ。やがて主人公は、孤独の中、一人獣のように死んでいくことを選ぶ。死ぬことは悲しいことではなく、自然なことなのだと、安らかに眠りにつくのだが、恋人は彼女を迎えに来てしまう。以前のように、孤独で絶望だけがある場所に、彼女は恋人に連れられ、再び戻っていく。
起.幼い頃の記憶と恋人
「私」には七年のつきあいである「恋人」がいる。しかし彼には家庭があり、彼女の元にずっといられるわけではない。その生活を受け入れ、自分の仕事をこなし、彼女は自分がしっかりと一人で生きていることを確かめている。たとえ一人孤独であっても。それに、彼女の家には、妹も尋ねてきてくれる。両親を亡くした二人にとって、お互いが唯一の家族であり、そして完璧には理解しあうことのできないもどかしい存在でもある。家族の中で生き残った彼女たちは、結婚する予定も意思もなく、やがて自分たち一族は滅びゆくのだと思っている。
承.「死」は悲しくない
穏やかな生活の中、ふいに彼女の脳裏に「死」という言葉が浮かび上がる。彼女は中年の女性で、いくつかのそれを見たし、経験してきた。飼っていた犬や、父、そして母。死は唐突に、彼女から大切なものを奪ってきた。その結果、彼女にとって死は恐ろしいものではなく、安らかなものだと考えるようになる。それは悲しむべきものじゃないと。
「私」と恋人は毎年の恒例行事であるバカンスへ出かける。二人きりで愛の言葉をかわしながら、「私」は人を好きになったこと、人に心を開くようになったことに泣き出したくなる。少なくとも大人になった今は、一人ぼっちではないのだ。
東京に戻った「私」は、一番好きだったおやつであるウエハースのことを考える。かつてそれで椅子を作ったことを。ウエハースの椅子は、彼女にとって幸福のイメージであるのに、決して座ることができないものでもある。
転.妹の恋人
妹は旅行が好きで、学校にいけない世界の子供たちを援助している。姉である主人公に「姉さんって、ほんとうにいつまでも子供みたい」とか、「姉さん、あなた、変わってるわ」と生意気にものをいう女でもある。そんな妹に恋人ができる。伊豆高原で出会った、六歳年下の大学院生に彼女はぞっこんになる。しかし主人公の言うように妹の恋は電光石火のようで、すぐに別れることになる。大学院生には、四年もつきあっている女性がいたのだ。「私」と私の恋人は、妹の「やけざけ」につきあうことになるのだが、そこで妹は姉に言う。「姉さんは男に尽くしすぎるのよ」と。「私はびしっと別れましたからね」と。主人公の恋人は、そんな姉妹のやりとりを、余裕たっぷりに眺めている。
しかし妹は、すぐに大学院生とよりを戻す。四年越しの女の問題は解決しないまま。
そのことが発端であるのか、「私」もまた、恋人との現状に苦しんでいることを自覚していく。自分が彼の空想の産物であるような気がしてくる。しかし恋人は言う。「こっちが現実だ」と。
しかし恋人にも癒せないほど、淋しさがつのっていく。自分が「閉じ込められている」ように感じる。
「私」はもう自分には仕事以外、生きる意味がないような気がしてくる。それがたった一つ残された、やるべきことなのだ。しかし同時に、このまま死んでしまってもかまわないとも思う。彼女は自分が少しずつ壊れていくのを感じる。
そして「私」は唐突に出家をするべきかもしれない、と思う。愛されても愛されても足りないから、と。しかしそんな彼女に恋人は、いつものように不安定になっているのだと、やさしく背中をなでる。
「私」は恋人と別れるべきなのかもしれないと思う。恋人が「私」を赦しすぎてしまったから、自分がつけあがったのだと。
別れを告げると、恋人は「そうしたいの?」と聞く。「私」は泣きじゃくり、そして死んでしまいたいと思う。
結.私の帰る場所
「私」は三日間、シャワーを浴びる以外はベッドで死を待つだけの生活を送る。食事を撮らずにハーブティだけを口にする。なのに、なぜか精神は澄んでいく。恋人からの連絡もない。五日目に具合が悪くなり、トイレに行くのも億劫になる。恐ろしく疲労し、ただ眠りたいとだけ思う。
やがて「私」は病院にて、彼女を運び込んだのであろう恋人と対面する。病院は嫌いだと言うと、恋人は「すぐに帰れるよ」と答える。
二日後、家に帰った「私」は恋人に自殺しようとしたわけじゃないと説明する。「ただ死にかけている」のだと。恋人はそれを信じると言う。そしてもしも彼女に「死」が来るのなら、自分にも来るのだろうと言う。
「私」は呆れてしまうが、恋人の言葉をもう信じてしまっている自分に気づく。
「私」はまた帰ってきてしまったと思う。元の場所に、閉じ込められていた場所に、彼女はまた戻される。
感想
この物語には、これといって明確なストーリーはないのだが、美しい言葉と表現で主人公の心の流れが描き出されている。その見事なまでに完璧な文章によって、読者はすぐに引き込まれ、「私」の絶望を理解する。主人公は愛する恋人と「結婚」と言う形で、共に人生を生きることができてはいない。しかし聡明な彼女は、形式よりも恋人が自分を本当に愛していることが大切なのだとも確信している。恋人は彼女に優しいし、自分もまた同じように苦しんでいると囁く。実際、彼女は恋人を微塵も疑ってはいない。もしも疑うような隙があれば、その瞬間、彼女の恋は終わるのだ。彼女の愛には迷いがなく、それが彼女のプライドなのだろう。
そんな中、彼女の妹もまた、他に恋人——長いつきあいである妻のような存在——のいる男を好きになってしまい、別れたり、悩んだりしてしまう。彼女は自分の妹には、よその女の元に「いかないで欲しい」と恋人に言えたらいい、と思う。それは到底自分にはできないこと、自分の本当の望みを託しているのだ。しかし妹は、毅然とした態度でそれを拒絶する。おそらくそんなことは、どんな女にも難しいのだろう。
誰を責めることもせず、孤独の中、愛を引き受けて一人生きている彼女は、そんな日々に疲れてしまったからというような理由で、「自然に」消えていくことを望む。決して恋人のせいではない。この愛に果てがなくて、絶望したからなのだ。もうどこにもいけないという絶望は、彼女を蝕み、死だけが彼女を魅了する。しかしその前に恋人は再び彼女を迎えにきてしまう。その愛を振り切ることができずに、再び手を引かれ、孤独の部屋に帰って行く「私」の未来を思いながら、本を閉じる頃には、恋に落ちた女の終わらない絶望に絶句する。
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