著者:小前亮 2019年11月に小峰書店から出版
新選組戦記 上の主要登場人物
村田市之助(むらたいちのすけ)
十一歳。近藤勇を師匠と仰ぐ。右手の親指がうまく動かないため刀を握れない。本作の主人公。
虎太郎(こたろう)
十一歳。桂小五郎を師匠と仰ぐ。尊王攘夷側の人間。村田市之助と対立する。
沖田総司(おきたそうじ)
天然理心流を学ぶ。近藤勇の弟子。剣の天才だが子ども好きで暇なときはよく子どもと遊んでいる。
永倉新八(ながくらしんぱち)
藤堂平助と仲のいい男。神道無念流を習得。仲間の輪を重んじる。
藤堂平助(とうどうへいすけ)
永倉新八と仲のいい男。北辰一刀流と天然理心流を学ぶ。向こう見ずで生傷が絶えない。
新選組戦記 上 の簡単なあらすじ
試衛館という道場に世話になっていた村田市之助は道場主の近藤勇や沖田総司など、個性豊かな剣客らとともに京へと向かっていた。
十四代将軍徳川家茂が孝明天皇に挨拶をするため、それ以前に京の治安を整えるようにと命じられる。
しかし、旅の道すがら問題は打ち続き、思想の違いから離れて行くものも多かった。
それらを解決しながら、村田市之助らには新選組という名を貰い、晴れて京の治安を守るために活動していく。
新選組戦記 上 の起承転結
【起】新選組戦記 上 のあらすじ①
村田市之助は試衛館という天然理心流を教える剣道場でお世話になっているまだ十一歳の若い少年です。
村田市之助は幼いころに盗賊にあい、両親を失い右手の親指を負傷しました。
それ以来、悪事をはたらく者たちを見ると放っておけず石ころを投げてこらしめます。
試衛館には近藤勇を道場主として血気盛んな若者たちが集い、刀を学んでいました。
文久二年、村田市之助たち試衛館の者たちは将軍上洛に際する京の治安維持の浪士募集に名乗りを上げ、京へと出発しました。
しかし、共に京へ向かう途上、中山道の本庄宿では一隊を率いる芹沢鴨が宿に火をつけるなど、数々の暴挙に出ていました。
さらに三条大橋では尊王攘夷が盛んに叫ばれていました。
また、尊王攘夷を主張する清河八郎らとも対立していきます。
清河八郎一派は江戸へ戻ると主張し、近藤勇や芹沢鴨らと離れて行きます。
清河八郎が抜け、半分以上数が減った市之助らは壬生浪士組として組織を形成し、浅葱色のだんだら羽織を着て活動を始めます。
【承】新選組戦記 上 のあらすじ②
文久三年。
壬生浪士組は局長筆頭を芹沢鴨、局長を近藤勇とする組織が作られました。
大坂で活発に活動する志士の取り締まりをした折、力士ともめ事になった芹沢鴨や沖田総司らは力士らを斬ってしまいます。
近藤勇は相撲の興行をする事で和解します。
しかし京では偽の壬生浪士組が押し借りをはたらいているという噂がのぼり、市之助、藤堂平助、沖田総司、山南敬助はその犯人を突き止めます。
上洛した将軍は朝廷や幕府多数派の駆け引きの後、既に京を出て江戸へ帰還していましたが、壬生浪士組は松平容保の命を受け、引き続き京の治安維持のために活動していました。
新しい人員も入ってきましたが、試衛館の仲間ほどの腕利きは居ないと市之助は思います。
そんなある日、屯所を覗いていた少年、虎太郎と出会います、歳上ばかりの市之助にとって、虎太郎との出会いは非常に新鮮で嬉しいものでした。
文久三年の八月十八日、この日近藤勇と芹沢鴨は松平容保の急使から御所の警備を言い渡されます。
会津藩と薩摩藩が組み、長州を京から追い出すためです。
しかし、市之助は屯所で伝令係を任せられてしまします。
そんな時、再び虎太郎がやってきて、医者である師匠が旅に出るため京を離れるというのです。
虎太郎と市之助は同い年同士、「会えてよかった」という思いを胸に別れを告げました。
【転】新選組戦記 上 のあらすじ③
年明け早々、再び将軍上洛が予定されているため、新選組は大坂での警護を命じられていました。
はりきる近藤勇は稽古に見たり、沖田総司らと立ち会いをしたり、張り切っていました。
しかし、そんな近藤勇を武田観柳斎はとどめ、稽古場から連れ出してしまいます。
大坂での警備の際、市之助、近藤勇、土方歳三は通りがかった軍艦奉行並の勝海舟とその連れ、坂本龍馬と出会い、近藤勇は話をしますが、互いに対立してしまいます。
京に戻った新選組は、元治元年六月五日、枡谷で捕まえた店の主人が長州らと何かを企てているという情報を得る。
新選組総出で関係者をあらっている中、市之助は久しぶりに京へ戻って来た虎太郎と再会しました。
しかし、市之助の胸には悪い予感が渦巻いていました。
虎太郎が長州の関係者かもしれないと思ったからです。
市之助は近藤勇に伝えるか否かを悩み、病に臥せっていた山南敬助に相談を持ち掛けます。
市之助は近藤勇に打ち明ける覚悟を決めましたが、虎太郎を殺す事に対しては割り切れずにいました。
しかし、新選組は長州が京を火の海にしようと企んでいる事を知り、集合場所を探し出そうと動き出します。
市之助も近藤勇に付き、連絡役となります。
そして、近藤勇らは最も怪しい池田屋へと突入し、市之助はその事を告げるため、土方歳三の元へと走ります。
そこで市之助は虎太郎と対峙します。
互いに信じる師匠のために睨み合います。
市之助は舌戦の末刀を抜いた虎太郎に石を投げつけ、その隙に土方歳三の元へ駆け出していきました。
涙をこらえる市之助に対し、虎太郎は師匠、桂小五郎の元へ戻り、次は必ず勝つとうわ言のように繰り返しました。
【結】新選組戦記 上 のあらすじ④
新選組は会津藩や幕府から褒美をもらいましたが、新選組が受けた打撃は大きいものでした。
藤堂平助の傷は重く、沖田総司や永倉新八、近藤勇も怪我をしていました。
他の隊士も犠牲になりました。
そんな中、京に再び長州が襲ってくるという噂が流れ始めます。
しかし会津藩主松平容保は体が丈夫でなく、この時も病で寝込んでいました。
六月ごろ姿を見せ始めた長州は元治元年七月十八日に動き出します。
長州は会津藩や薩摩藩を中心とする軍により敗走しましたが、その際火を放ち、街の半分が火に包まれてしまいます。
市之助と沖田総司は残党と戦いながらも非難を誘導するなど、街を駆け巡っていました。
まだ虎太郎に対する割り切れない思いがあった市之助は石を投げても外すという失態を繰り返していました。
しかし、非難を誘導していると父子を脅している薩摩の兵を見かけます。
長州をかくまっていたという父子ですが、市之助は弱い者いじめを許せず、沖田総司と共に応戦します。
翌日、新選組は長州の残党を捕らえるため天王山に向かいました。
市之助も近藤勇に付いて行きます。
しかし、残党はことごとく切腹などで自害していました。
近藤勇は彼らに対し敬意を表します。
そんな近藤勇でしたが、徐々に武田観柳斎の助言に従い、威張った態度をとるようになります。
不満を抱いた永倉新八は市之助に愚痴をこぼしますが、市之助は師匠を庇います。
後日、永倉新八らは近藤勇の態度が改められなければ組を抜ける旨の書状を松平容保に送付します。
近藤勇は主君、松平容保に釘を刺され、潔く己の過ちを仲間たちに謝り行動を改めました。
そして、新しい隊士募集のため、近藤勇、永倉新八、市之助たちは江戸へ向かい、先に赴いた藤堂平助の紹介で伊東甲子太郎と出会うのでした。
新選組戦記 上 を読んだ読書感想
いつもは仲良くご飯を囲んだり、稽古をしている試衛館の仲間たちが自分たちの曲げられない意志を貫く様子が静かに、強く綴られていて、武士を知らない人たちも武士の姿を垣間見ることができる作品だと思います。
また、市之助は仲間たちよりも若く、刀も使えません。
そんな中で自分にできる事を探し続け、行動し続ける姿は読み手を励ましたり、勇気を与えてくれます。
そして、市之助にも次第に自分の意志が形作られていく姿を見ていると、応援せずにはいられません。
お互いを励ましながら、時には叱咤しながら成長していく試衛館の仲間たち、それを揺るがす隊士たち、様々な思惑が渦巻く激動の時代を詰め込んだような新選組の組織図は次は誰が動くのだろうと読者を惹きつけます。
新選組が好きだという人も、全然知らないという人も読める作品だと思います。
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