「二百十日」のネタバレ&あらすじと結末を徹底解説|夏目漱石

「二百十日」

【ネタバレ有り】二百十日 のあらすじを起承転結でネタバレ解説!

著者:夏目漱石 2016年7月にゴマブックスから出版

二百十日の主要登場人物

圭(けい)
主人公。実家はお寺の前に店を構える豆腐屋さん。市民階級の出身のために華族や権力者が嫌い。

碌(ろく)
圭の友人。比較的に裕福な家庭で生まれ育つ。旅行費用は圭とワリカン。

二百十日 の簡単なあらすじ

圭と碌が東京からはるばる阿蘇の温泉地へとたどり着いたのは、9月1日の夕方のことです。宿屋で温泉に入って夕食を済ませてたっぷりと休息を取った次の日には、阿蘇山への登山にチャレンジします。しかしその日は二百十日という1年で最も風が強く天候が荒れる日のために、ふたりは予想外のトラブルへと巻き込まれていくのでした。

二百十日 の起承転結

【起】二百十日 のあらすじ①

熱き豆腐屋の息子

東京で生まれ育った圭と、彼の友人である碌と一緒に熊本県阿蘇郡まで旅行に来ていました。

ふたりが宿泊している温泉宿の近くには鍛冶屋があるために、先ほどから馬具を打つ音ばかりが鳴り響いています。

その音は圭の実家である小さな豆腐屋から1丁(約100メートル)ほど行った先にある、お寺から毎朝聞こえてくる鐘の音にそっくりです。

豆腐屋出身で血気盛んな圭は、今の時代にやたらと威張っているお金持ちや華族のことが気に入りません。

優れた知性と人並み外れた向上心を持ちながらも豆腐屋の息子は豆腐屋に、魚屋の息子は魚屋にしかなることができないからです。

次第に議論に熱くなる圭に気を遣って、碌は彼を大浴場まで連れていきます。

湯船の端へ肘をかけてガラス越しに外を眺めている圭の肉体は、いかにも豆腐屋らしい筋肉質です。

窓の外は日が暮れ始めていて、その先には阿曽山がどっしりとそびえ立っていました。

明日は6時に起床して、12時過ぎにはあの山に挑むつもりです。

【承】二百十日 のあらすじ②

卵とビールで腹ごしらえしつつ明日に備える

湯上りに宿の食事をごちそうになりましたが、湯葉やシイタケに芋などのあっさりしたメニューのために大食漢の碌からするといまいち物足りません。

若い女性の従業員に半熟卵を注文しましたが、肥後の方言が強いためなのかなかなか話が通じません。

ようやく彼女が持ってきたのは固ゆで卵が2個に生卵に2個で、断ることもできずに食べる羽目になりました。

ビールはないと言いつつも恵比寿ビールが運ばれてきたので、圭と碌はふたりで乾杯をします。

明日の朝食は8時で、宿屋を出た後に11時に阿蘇神社へ参詣する予定です。

従業員に道のりを詳しく尋ねてみると、宿から3里(約11キロメートル)行くとお宮があって山の上まではさらに2里(約7キロメートル)はかかることが分かりました。

「よな」と呼ばれる火山灰が先ほどから降ってきたために、明日の天気は荒れ模様になるかもしれません。

縁側からは阿曽山の火口から噴き出すマグマが、何とも不気味に光輝いています。

【転】二百十日 のあらすじ③

志半ばで山を降りる

翌日は立春から数えて二百十日目に当たり、1年を通して最も台風が多い日とも言われていました。

雑木林の間を歩いていきますが、道幅は3尺(約90)センチもないためにふたりで並んで歩く訳にはいきません。

阿蘇の社で無事を祈願してから30分も経過しないうちに、碌は圭の姿を見失ってしまいます。

朝から怪しかった空からはついに雨が落ちてきて、風はますます強まっている一方です。

無造作にハンカチで顔を拭いてみると、雨に灰が混じっているためかたちまち真っ黒になってしまいました。

ようやく林を抜けた先に広がる広々とした草原で、碌と圭は合流します。

その向こうに待ち受けているのは、ふたりを威嚇するかのように噴火口から立ち昇るけむりです。

圭は碌の様子がおかしいことに気がついて、噴火口の手前で立ち止まりました。

碌の足には一面に豆ができて腫れ上がっているために、これ以上先に進むことは無理でしょう。

登山を諦めたふたりは、辺りが暗くなる前に何とか宿まで引き返します。

【結】二百十日 のあらすじ④

圭と碌の賭け

吸い殻に米粒を混ぜた自家製の膏薬を圭が塗ってくれたために、碌の足にできた豆の痛みは少しずつ和らいでいきました。

圭と碌が着ていた着物は火山灰が付着して真っ黒になっていましたが、宿のおかみが冷水で洗い流してくれます。

次の日には嵐も止んですっかり天気も良くなり、懲りない碌は再び阿蘇山に登るつもりです。

昨日のことで疲れ果てている圭は早く馬車に乗って熊本に行きたいために、ふたりの意見は真っ向から対立してしまいました。

そこで碌は手をたたいて宿の従業員を呼んで、最初に入ってくるのが御者か主人か賭けをします。

御者であれば碌の言う通りに山に登る、主人であれば圭の言う通りに熊本に向かう。

入ってきたのは単なる雇われ人で、御者でも碌でもありません。

ふたりはお互いに歩み寄って、今回は熊本に帰って次回に阿蘇に再チャレンジすることにします。

ふたりのはるか頭上では、二百十一日目の阿蘇山が大空へ煙を吐き出しているのでした。

二百十日 を読んだ読書感想

圭と碌の息の合ったコンビネーションと、とぼけた味わいの会話の応酬が心地よかったです。

半熟卵のオーダーが全く通じないために、生卵と固ゆでの卵を食べるシーンには笑わされます。

「吾輩は猫である」の苦沙弥とそのお客さんとの間で延々と繰り返される、無駄話にもつながるものがありました。

一部の特権階級が権力を握っていた、明治時代の社会制度への痛烈なメッセージも込められていて考えさせられます。

大自然のど真ん中に投げ出された時の無力さと、いつの時代にも変わることのない阿蘇山の雄大なシルエットとのコントラストが心に残りました。

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