【ブラックのむこうがわ】第4話「……ゴミ屋敷、ですかね」

ブラックの向こう側4話

「ご主人さまー、お引っ越し終わりましたー?」

「もう少しで完成する。そこで待っていろ」

応接室を通り、衣装部屋の向こう側の扉を通って長い廊下に出て、その奥の突き当り。

どうやらそこが私の部屋らしい。

扉の向こうに誰かいるのか、がさごそと誰かが動く音がしている。

「そういえば、えと、あなたの名前は……?」
ずっと気になっていたことだけど、この黒コート姿のストーカー男の名前を私は知らなかった。

名前を知らなかったらどう呼べばいいか迷うし、聞いておくべきだろう。

そう思って聞いたのだけど、
「奴隷に教える名前はない」
と即座に突っぱねられた。

あぁ、あの頃を思い出す……書類提出からの再提出……その間僅か2秒……それを一週間ずっと、嫌がらせのようにされたあの頃……。

「あ、朝倉さんっ、気を確かにっ!」
「……はっ」
いけないいけない、一瞬意識が死んでいた……。

「まぁご主人さまのことはそれっぽく呼べばいいと思いますよ。私みたいにご主人さまとか。他には、主とかパパとか呼ばれてますね」
「パパって」
主は分かるけどパパって。

まさかこの人、妻子持ち……?この目つきで……?「……なにか言いたげな視線だな」
「何も思っておりません申し訳ありませんでしたッ!!!!!」
かつて養われた音速の謝罪。

きっちり九十度に頭を下げ、相手に口を開けさせる間も置かず謝罪の言葉を大声で叫ぶ。

こう謝ってそれ以上怒られたことは私は一度もないのだ。

まさに至高の謝罪。自分で言うのもあれだけど

「この際だから先に行っておくが、奴隷の思考は俺にも共有されるからな。今お前がどう思っているかは即座に分かる。注意しておけ」
えっ、なにその人権のない仕打ち。

「奴隷だからな。その指輪を嵌めている間はずっとお前の考えていることは分かるし、お前は俺の言うことを聞かざるを得ない」
例えば、と私の方を見て、

その場で十回、腕立て伏せをしろ
絶対やるもんかという自分の意志とは裏腹に――私は何故か、ストー……ご主人さまの言うとおりに、その場で十回腕立て伏せをしてしまう。

慣れたものだからさほど苦しくないけど、けれど自分の意志に反して勝手に体が動くのは少し気味の悪いものがあった。

「ほう、余裕そうだな」
「前の会社で、朝礼のときに百回腕立て伏せをしてたので……」
「腕立て伏せ……ですか?」
「そう、腕立て伏せ。毎日、百回」
今思えば頭おかしいんじゃないかと思う。

なんで私達は毎日百回も意味もなく腕立て伏せをしていたんだろう。

一生わからないし、分かりたくもない。

「健康的で、いいですね……あはは……」
苦笑いを浮かべるありすちゃん。

健康的でいいとはなかなか上手い皮肉だと思う。

もし前の会社の知り合いにあったときに使ってやろう。

「そろそろ終わるぞ」
ご主人さまがそう言うと、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。

「開けてみろ」
ドアノブに手を伸ばして、捻る。

ゆっくり扉を開けると……。

「おぉ……」
ところどころ家具の配置は微妙に違うけど、私の部屋にあった家具ばかりがこの部屋には置いてあった。

本当に引っ越ししてしまったんだなと、少し肩の力が抜けた。

「お前の部屋をほぼそのまま再現した。

これからはここに住め」
「あ……はい、ありがとうございます……」
でも、あれかな。

朝に食べた食パンのゴミとか畳みかけの衣服とか、置きっぱなしのペットボトルとか。

それくらいは片付けてくれてもよかったんじゃないかなって思うよ、うん。

確かに食パンの袋とかペットボトルとか机に置きっぱなしにしてたし、パジャマもベッドの上に放置しっぱなしだったけども!そういえば、この部屋に私の部屋の引っ越しをしてくれた人がいるはずなんだけど……見当たらない。

どこに行ったんだろう?「汚いな」
「汚いですね」
「そんなことないもん!」
普段は綺麗だから。

めちゃくちゃ綺麗だから。

今日はたまたま汚かっただけだから!「掃除が得意というのは本当なのか?」
「本当ですよご主人さま。私の情報収集能力を舐めないでください」
「じゃあこれはなんだ」
「……ゴミ屋敷、ですかね」
「そこまでゴミ屋敷じゃないよね!?」
あとで絶対に綺麗に掃除しよう。

うん。

「ま、まぁでも、掃除が得意だからって部屋が綺麗とは誰も一言も言ってませんし、事実は事実です、はい」

「まぁ……そうだな。おい、朝倉。ちょっと来い」

そういってご主人さまは廊下の更に奥へと進んでいく。

命令されればついていくしかないので、私もその後ろについていく。

向かった先は、ご主人さまの自室。

ヨーロッパ風の家具が取り揃えられた、高級感あふれる部屋だ。

一番奥には大きな執務机があり、クマの置物や小さな彫刻などが置かれていた。

んー、お金は持ってるのか……。

仕事場がお世辞にも綺麗とは言えなかったから、多分そういうことなんだろう。

「いや、今は自転車操業状態だ。これは譲り受けたものだから、売るわけにもいかなくてな」
「そうなんですね……」
あ、そういえば思考読まれてるんだっけ。

迂闊なことは考えないほうがいいか。

「少し前に大損害を被ってな。いまは借金返済に追われている」
「借金……」
予想外の言葉が降ってきた。

借金……てっきり、私達を馬車馬のように働かせてご主人さまは贅沢な暮らしをしているのかと思っていたけど、そうじゃないのか……。

「まぁしかし、馬車馬のように働いてもらうのは間違いないな」
借金返済のために、奴隷を使って儲ける。

目的は違えど立ち位置は結局、前に勤めていたブラック企業と何ら変わらない。

ここまで雰囲気がゆるゆるしていたから、すっかり忘れていた。

私の不幸体質は遺憾なく発揮されているようです。

「これからお前には、メイドをしてもらう」

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