【正義の鎖】第4話「両親」

正義の鎖

午前10:30頃、捜査会議室において非常に鼓舞する決起集会を聞き私も大いに士気を強められた。

あるいはすべてが初めてのことで私は人生初にして女子の身でありながら武者震いというものがしていたのかもしれない。
あるいは犯人に対する義憤に駆られていたか、いずれにせよ私は高ぶり、体中からはアドレナリンが分泌されているのを肌で感じていた。

「倉木、姫様。ちょっといいかい?」

目をらんらんと輝かせ手のひらから血が出るかというほどに両手を握り締めていた私と、
資料をまとめていた先輩に声をかけるのは、先程まで捜査会議を進行していた佐々木課長だ。

「はい」

そういって素早く手に持っていた資料を持って課長のもとに馳せ参じた倉木先輩に比べ、悦に浸っていたところに横槍を入れられた形となった私は完全に出遅れてしまい、

「……はい!」

そういって慌てて課長のもとへと走る。
隠したつもりだったが、課長には到底隠しきれていなかったようで、課長は先ほどの捜査会議のときとは同一人物とは思えないほどのフランクな笑顔を浮かべながら

「大丈夫か?姫様」
と尋ねてきた。

「だ、大丈夫です!」

心配をかけまいと元気よく答えたつもりだったが、言ってしまってからおそらくこれは強がりに聞こえただろうなと頭で理解する。
なのでもう姫様というニックネームもあまり訂正する気にもなれなかった。

「心配はいらないさ、ナポレオンにも初陣はあった、というだろう?」

そう微笑みかける課長だが、私は例えがよくわからず苦笑いを返すしかなかった。
だが課長なりに励まそうとしたのだというのは理解できたので好意を無碍にしてないか、うまく笑顔を返せていただろうかとなんだか感情的に板挟みにあったように感じる。

「俺たちに何か用です?」

課長が話しかけてから今に至るまで一言も発さなかった倉木先輩がここで口を出す。
うまく隠してはいるが、おそらく私と課長の妙な掛け合いにしびれを切らしたといったところかと私は推察する。

「あぁ、そうそう。被害者の両親の事情聴取だが君たちに行ってもらいたい」
「え?本当ですか!?」

課長の言葉に私は思わず目を輝かせた。
まさか初めての事件で、被害者の家族の事情聴取をさせてもらえるなど思いもよらなかったのだ。
私の喜びはもう言葉では言い表せず、もう小躍りでも始めたくなるほどのものであったが、
さすがに倉木先輩もおかしいと思ったのか疑問を差し挟む。

「いいんですか?被害者の事情聴取を現場経験のない刑事にさせて」

現場経験のない刑事というのは言うまでもなく私であろうということに考察が至って、私は少々水を差されたような気分になるが、冷静に考えるとそれもそうだという声が心の中で響いていた。

「まぁそうなんだが、今回は女性に対する事情聴取が含まれる。強面のオヤジの二人組とかより、若い女性刑事を含む刑事二人組の方がきっと被害者のご両親も話しやすいだろう」

なるほどそういうことかと課長の言葉に納得する。
だがこれは逆に結果を出す大チャンスには相違ないことだろう。
私は渾身の力を込めて右手を頭の上に持って行き敬礼する。

「はい!この白井、必ずや御用命を果たしてきます!」
「頼もしいな!しっかり頼むぞ!」

そういって肩を強く叩いてその場を去っていく課長、その課長の行き先を見ていると何やらほかの捜査員にもそうやって肩を叩いて「期待しているぞ」などと声をかけながら鼓舞をしている。

非常に熱い人物であるということは伝わってきた。

「なぁ白井」

課長を見ていると、後ろから倉木先輩の低い声が響いて私はビクッとして振り向いた。
そういえばさっきは倉木先輩を差し置いて勝手に返事をしてしまった。
ひょっとして怒っているのではあるまいか。
その若干顔にかかった前髪の向こうで光る眼を見ながら私は少し焦燥感を覚える。

そんな私に先輩は声をかける。

「被害者の関係者の事情聴取は大事な仕事だ、気を引き締めていこう」

先輩はそう言って私の肩を叩く。
といってもさっきの課長の力強い叩き方というより、優しく2,3度つつくような叩き方である。

(もしかして緊張してるって言ったから元気づけようと……?)

そうなのだとしたら不器用にも程があるというものだが不思議と悪い気はしなかった。

「わかってます!」

私も先輩の言葉に応じ、先を行く先輩についていくのだった。

先輩の車で警視庁を発進し、30分ほどで諸星区にある被害者の自宅付近に到着する。
閑静な住宅街のど真ん中といったところで誘拐などの凶悪犯罪とは到底無縁そうに私には見えた。
その風景がなおさら、犯罪の魔の手というのは本当に身近に潜んでいるということを印象付けているようだ。

先輩がその中の一軒に目星を付ける。

「あの家だ」

住宅街のど真ん中というのは案外停める場所がないもので、近くの駐車場に車を止め3ブロックほどを歩いた地点にある白い家の先輩がチャイムを押す。

「はい」

少々意外だったが、返事は男性のものであった。
今午前11時頃、本来なら仕事に行っている時間なのであろうが、今は有事だ。
きっと家で待機しているのだろう。

「失礼します、警視庁捜査一課の倉木です」
「同じく捜査一課の白井です!あきらくんのご自宅はこちらでしょうか?」

タイミングを合わせ私もすかさず合いの手を入れる。
個人的には結構いいタイミングで言えたと思う。

「刑事さんたちですね?私アキラの父で雅史です。どうぞこちらに」

その男性はどうやら私たちを待ちかねていたようで私たちを強いて家の中に招き入れ、玄関から左手に見える部屋へ続くドアの前で手を差し伸べた。

私は一足先に靴を脱ぎ、ドアを開いて手を差し伸べる男性に会釈をして部屋に入るとそこはリビングで、低めのテーブルとソファが配置されている。

「どうぞ、そちら側にお座りください」

男性のすすめに従い、私は奥側のソファに腰をかけようとソファに歩み寄ったが、ここで先輩がなぜか後ろから付いてきていないことに気がついた。

(あれ?)

 

「あの、ちょっとすいません」

そう言って慌てて部屋のドアを通って玄関を出ると、何やら先輩が家の庭のほうに回ってあたりをキョロキョロ見回して落ちている棒を拾い上げたり、庭に立ててある倉庫に触ったりしている。
刑事バッジをつけてなければ完全に不審者だ。

「先輩!」
私の呼び声に倉木先輩はようやく気がついたか、「あぁすまん」などと言いながらようやく家に上がる。
私はこの先輩の不可解な行動がなんとなく気にはなったが、先輩も緊張しているのかと勝手に納得することにした。

かくしてようやくソファに腰をかけて話を聞く態勢が整った時に、一人の疲れた顔をした女性が湯気のたった飲み物を持ってきた。

 

「どうぞ、外は寒かったのではないですか…?」

「いえそんな…お構いなく」
そう言いながら私は向かいのソファに座っている男性と、そして今コーヒーを出してからその隣に座った女性を観察していた。

(捜査会議の時の情報が正しければきっとこの人がはあきらくんの母親の霧子さん……)

妻の霧子さんは黒いきれいな髪を背中にかかるほど伸ばし、上半身は袖口のボタンを留めた白いカッターシャツとスカートを着たきれいな和風美人であった。

いや、おそらくそうなのだと思う、というのも今は非常に疲れているというか憔悴しきった表情で顔色は悪く、膝の上で握り締めた両手をブルブルと震えさせている。
きっと今は心配で心配でたまらないのだろう。
そんな霧子さんの表情を見ていると私まで胸が締め付けられるような思いがする。
その反動で凶悪な誘拐犯に対し怒りが沸いてくるようだった。

一方、夫の雅史さんの方は捜査会議でも名前を聞いた。
面長で非常にシンプルな顔つきにTシャツとジーパン。体つきは案外ガタイがよく、スポーツでもやっていたかと思わせるほどだったが、今はその大きい左手を震える霧子さんを慰めるかのように霧子さんの両手に添えている。

「それじゃ、少しお話を聞かせてもらいます。前に巡査さんが来た時と同じ質問もあるかもしれませんけど、記憶喚起のためにもお答え願えればと思います」
「もちろんです、僕たちアキラが帰ってくるためなら何だってお答えしますよ」

雅史さんが身を乗り出さんばかりにそう答えた。その協力的な姿勢からあきらくんが帰ってきて欲しいという気概をひしひしと感じる。

「では早速ですが、あきらくんは昨日遊びに出たきり家に帰らないのを不審に思い、翌日になってから警察に通報したということですが、怪しい人物とかに心当たりはないですか?」
「怪しい人物、ですか……?」

少々困った表情になる雅史さん。しょっぱなから質問チョイスがまずかったか、と私は焦る。

「小さいことでいいんです!特定の誰かとかじゃなくて、家の周りで怪しい人がいたとか不審者が出たとか……」
雅史さんは少し考え込むが、霧子さんの顔を覗き込んで、「何かあったか?」と質問を返す始末だ。霧子さんも少々考えるが顔を俯けながら首を横に振るだけだった。

「そうですか……」
「あ、ちょっと気になったんですが」

しょっぱなから質問チョイス間違えたとうなだれる私の隣で、先程から無口となっていた先輩が唐突に口を開いた。

「昨日あきらくんが家を遊びに出たのは何時頃でした?」
「昼ごろです、13時ですね」
「帰りが遅いと気づいて探し始めたのは?」
「17時くらいですかね」
「ならなぜその時に警察に通報しなかったのでしょうか?」

先輩の突如の不躾とも言える質問に私は思わず目を丸くしてとなりの先輩の顔を見上げた。

「だって思いませんか?6歳ですよ?まだ小学校に上がるか上がらないかの子供でしょう?私が親なら心配ですぐに警察なりに通報しそうなものですがね」
「それは……子供の迷子程度で警察のお手を煩わせるのは心苦しいと思っただけです。もちろん心配はしました。だからこそ夜を徹して探して回ったんです」
「なるほど……、あと子供を一人で遊びに行かせるっていうのもどうなんでしょうかね、私なら」
「先輩!」

もう私はこれ以上先輩の言葉を聞いていられず思わず声を上げていた。

(子供が誘拐された直後の両親になんて失礼な質問ばかり……)

私はそんな怒気をこめた目で先輩を睨みつける。すると先輩もその迫力に気圧されたか少し口をつぐむ。

「あの、すいません……」

なんともその場が気まずい雰囲気につつまれる。なんとか話題を変えようと私は別の質問を考える。

「えっとーー、あきらくんは13時にはどこに遊びに行っていたんでしょうか?」

その後もいくつか質問はしたが、なんとなくギクシャクしたような答えでろくな事情を聞けるような状況ではなく、その後も有益な情報は一切得られない。

私はひとまず切り上げることにした。

「今日はこれで失礼します、また明日来てもいいですか?」
「……はい、もちろんです」

雅史はそう快く答えたが声に先ほどの活力はない。
無理もないことだろう、あんな無神経な質問をされれば当然だ。
そして霧子さんが結局飲まなかったコーヒーを直そうとお盆を持ってきたので、私はそれを止めた。

「あ、あの!コップ片付けさせてください」

そういってコップを片付けようと伸ばした霧子さんの手首を、思わず握るように触ってしまった時だった。

(……あれ?)

一瞬ではあったものの、私はなんとなく違和感を感じて固まった。そして思わず霧子さんの方を見たのだが、霧子さんは相変わらず顔色の悪い表情で、やはりこちらを見つめている。

「お手伝いは結構ですので!」

一瞬何か質問しようと思った疑問が頭の中で次の瞬間には消え失せていて、霧子さんはさっさとコーヒーを持ってキッチンへと走っていた。

(あれ?今私一体何を疑問に……)

なんとなく腑に落ちない何かを抱えながら立ち上がると、いつの間にか倉木先輩も立ち上がっており、リビングの出口で雅史に挨拶をしていた。

「今日はお世話になりました。おかげで参考になりました」

「……いえ、とんでもない。私に協力できることがあればなんでもお話しますよ」

参考もなにもろくな質問とその答えを得ていない、はっきり言って収穫ゼロ。
いや二人との関係が悪化したといえば、むしろマイナスに切れてると言っても過言のない散々な戦果であった。

なんだかいろいろ釈然としないもやもやを抱えながら、私たちはまた5分歩いて車に戻り、助手席に座る。
一息つくと、納得の行かない気持ちが余計に噴出して来て、気づいたときには言葉に出ていた。

「あの、先輩。今日のあの質問てなんだったんですか?何か意図があったのでしょうか」
「ん?」

先輩は一体どの質問だとでも言いたげに首をひねってみせるが、それが返って白々しく見えて私をイラつかせた。

「百歩譲ってですよ?あの二人の対応が無用心だったかもしれないとして、それをあそこでいう必要ないじゃないですか。あんなんで次からも話を聞かせてもらえなかったらどうするつもりなんですか!」

倉木先輩は私のこの渾身のアドバイスを一通り聞いたが、「あぁ、そんなことか」とでも言いたげに目線を前に戻し、エンジンをかけた。

「あ、ちょっと先輩!」
どこ吹く風といった様子で通りに出る方向に車を走らせる先輩に私は余計に腹が立ったが、信号のない一時停止の交差点で車を止めたとき、先輩が急に声をかけてきた。
がそれは先ほどの質問の答えではなかった。

「中庭に、倉庫があった。近くに手頃な棒が転がってた」

唐突なその言葉に私は一瞬思考が止まる。
今日このように思考が止まったような感覚を味わうのはこれで2度目だ。

「玄関の靴置きには外出用と思われる子供用のスニーカー」
「先輩一体何の話を……」
「なぁ白井」

ここで改めて私に話しかける先輩。
どうも先程までのいい有りげな発言は、私に対して話していたのではなく独り言だったようだ。

私は少々不機嫌に先輩に答える。

「なんです?」
「誘拐犯が憎いか?」

唐突な質問に何をいまさらとなんとなく呆れの上塗りをされたような気分で、余計に機嫌が悪くなる。

「当然です!……憎いというのは言いすぎかもしれないですが、許せないです。今頃あきらくんはきっと怖くて眠れない日々を過ごしているはずです。それを考えると胸が締め付けられるようで……」
「眠れない日々ねぇー……」

助手席で角を生やした私と、運転席で意味ありげにそうつぶやく先輩を乗せたプリウス。
先輩はその言葉を聞き、なぜかもう一度車のドアを開けるのであった。

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