著者:三国美千子 2019年6月に新潮社から出版
いかれころの主要登場人物
杉崎奈々子(すぎさきななこ)
四歳。杉崎の分家の長女。物語の語り手である〈私〉。
杉崎久美子(すぎさきくみこ)
奈々子の母親。杉崎本家の長女。分家して養子をとった。
杉崎隆志(すぎさきたかし)
奈々子の父親。福井出身。中学校の教師。杉崎家の分家の婿養子になった。
杉崎末松(すぎさきすえまつ)
奈々子の祖父。杉崎本家の長。
杉崎志保子(すぎさきしほこ)
二十四歳。久美子の妹。少し精神に障害がある。
いかれころ の簡単なあらすじ
大阪の田舎に住む奈々子の家は、昔大地主だった家の分家です。
父は婿養子として家に入りました。
本家には、少し精神を病んだ叔母がいます。
その叔母が、行き遅れかと思われる年になって、ようやく縁談がまとまりました。
相手の悪口など、田舎特有の女たちの陰口が続くなか、叔母の結婚話は進んでいくのですが……。
いかれころ の起承転結
【起】いかれころ のあらすじ①
昭和五十八年のことです。
妊娠中の母は、毎週土曜日、奈々子を自転車に乗せ、三本松村にある杉崎の本家に行きました。
本家は、もとは地主だった農家で、曾祖母、祖父母、叔父、叔母がいます。
祖父の末松は、婿養子である奈々子の父、隆志のことを馬鹿にしています。
叔父の幸明は大学を停学中で、叔母の志保子は精神を病んでいました。
その志保子に、親戚を通じて縁談話が持ち込まれ、結婚する予定です。
しかし、身分制度の残るこの村では、杉崎ほどの家の娘に支払う結納金がたったの百万円というのが気に入らないのでした。
志保子はいつも覆いをかぶせた籠を持っており、仲良しの奈々子にもなかを見せてくれません。
杉崎の家族は彼女のことを怖がっています。
さて、奈々子たちが家にもどると、夕方に父が帰ってきました。
中学の先生をしている父が、土曜日は半ドンなのにすぐに帰宅しないのが、母は気にいりません。
養子のくせに、という侮りが、祖父ばかりでなく、母にも確かにあるのでした。
父は福井の出身で、二浪して福井大学に入学したものの、学生運動に身を入れたせいで、地元では就職できず、大阪へ出てきて教師になったのでした。
【承】いかれころ のあらすじ②
母が祖母といっしょにデパートに出かけるときには、いつも志保子が奈々子を幼稚園にむかえに来て、本家に連れていくのが常でした。
その日も、そうして本家に行った奈々子は、志保子に誘われて、墓参りに行きました。
墓地には親戚のおばさんがきていました。
昔、曾祖母は、杉崎の家に後妻に入ったあと、先妻の子供たちをみな追い出しました。
そのうちの、嫁に出した女の娘が、そのおばさんなのでした。
そうした恨みがあるせいか、おばさんは志保子に嫌味を言いますが、志保子はていねいに頭を下げるばかりでした。
やがて、志保子の結納の日がきました。
分家である奈々子の一家も、本家に集まります。
志保子の着ている安物の着物に、女たちは眉をひそめます。
奈々子の母は、最後まで自慢の振袖を志保子に貸したがりませんでした。
結局、最後には譲ったのですが、直前になって着てみたその着物には、致命的なシミがあったのでした。
それで志保子は急きょ購入した安物の着物を着ているのです。
縁談を仲介した分家筋の永通が、堂々たる体格を見せてやってきます。
縁談相手の氏家の父親も、永通に負けず劣らず貫禄があります。
本人の和良は、歳が少し行っているものの、背の高い上品な男性でした。
志保子は相変わらず謎の籠を持っているものの、和良は気にしない様子で、結納は無事に終わったのでした。
【転】いかれころ のあらすじ③
田植えの日が来ました。
昔は手でひとつずつ植えていたのですが、祖父は乗用型の田植え機を使って植えていきます。
親戚が集まっていますが、奈々子の母の久美子はいません。
身重でありながら温泉旅行に行ったのです。
女たちが陰口をたたきます。
奈々子の子守は志保子にまかされました。
志保子は分家に来て、まだひな人形が飾ってあるのを見てびっくりします。
奈々子が行き遅れるからと、人形を片付けてしまいました。
それから夕食の支度をして、本家へ帰っていきました。
翌日、もどってきた母は、人形を片付けられたことにカンカンになったのでした。
奈々子は幼稚園へ行くようになり、いじめにあいました。
杉崎の分家の娘という地位は、子供の世界では通用しないのです。
その後、小学校へ進学してもいじめは続くのですが、奈々子は杉崎の者として毅然としてそれに耐え、母にはいっさい伝えませんでした。
さて、父と母の仲は冷えていきました。
母は、本当は別の男性といっしょになりたかったのです。
しかし、立派な分家の建物を建てられ、無理やり、婿をとらされたのです。
父は、いつしかバットの素振りをやめ、エッチなビデオの収集にハマっていきます。
いつか奈々子が婿をとって住む予定の二階部分は、ビデオで埋め尽くされていくのでした。
【結】いかれころ のあらすじ④
志保子と和良との結婚式は、十月二週目の吉日と決まりました。
本家の犬のマーヤは、老いて、死ぬのを待つばかりです。
夏の盛りに、曾祖父の二十三回忌があり、和良も来ました。
奈々子の母は、結婚もしていないのに夫婦づらして、呼んでもいないのにやってきた、と毒づきます。
志保子は部屋にこもって奈々子を追い出し、和良とふたりで話をしました。
八月になり、奈々子が楽しみにしていた花火大会のときには、すべてが終わっていました。
志保子と和良の縁談は破談となりました。
婚約指輪を返すこともできず、結納金は倍返しだと、本家では文句を言っています。
犬のマーヤは死んでしまいました。
奈々子の両親の仲は破局寸前です。
父は福井の実家へ帰ることが増えました。
母は離婚をちらつかせて、本家にもどります。
しかし、祖母に、「あんた、いまから働いて子供を養う気があるのか」と叱られます。
父は母に、「お前にあるのは、この分家の家だけだ」とけなします。
両親は不仲ながらも、なんとか続きます。
本家の祖父が、毎日のように分家の家の庭を手入れしますが、父は後片付けもしません。
やがて、時が行くと、みじめな将来しか待っていないのでした。
いかれころ を読んだ読書感想
新潮新人賞と、三島由紀夫賞の両賞を受賞した作品です。
軸になっているのは、ひとつの縁談が始まり、やがて破局する、というものです。
その軸のまわりをうろうろする田舎のさまざまな人たちが興味深いです。
やたらいばりくさっている本家の祖父、妖怪のような曾祖母、婿にしてやったんだといばっている母。
古い人間にとっては「そうそう、田舎って、こうだったよねえ」と既視感のある人間模様なのです。
そうして、ところどころにはさまれる「その後」のエピソードが、古めかしい巨木だった田舎の権威が、徐々に崩れ落ちていくもの悲しさを感じさせてくれます。
読み終わって、なつかしさと、あわれさを感じさせてくれる、不思議な作品でした。
コメント