著者:中島敦 1942年2月に文芸春秋社から出版
山月記の主要登場人物
李徴
本作の主人公。若くして科挙試験に合格した秀才で自信家。
袁?
李徴の数少ない旧友で、監察御史という役人。
妻子(さいし)
李徴の家族。妻子のために金を工面する描写で登場。
山月記 の簡単なあらすじ
唐の時代の話です。
隴西に李徴という者がいました。
若くして科挙試験に合格した秀才でしたが、詩作で身を立てることを志し、早くに官職を退きました。
しかし、詩作の道で身を立てることは容易ではなく、生活のために、再び地方の官職につくことになりました。
しかし、非常に自信家であった李徴は、自分の低い身分と、かつて見下していた同胞の高い身分に我慢ができませんでした。
ついには、ある公用の旅の途中に発狂し、行方不明となっていました。
その後、李徴の姿を見たものは、ついぞいませんでした。
それからしばらくして、李徴の旧友である袁?というものが林の中で虎に襲われます。
驚くべきことに、人間の言葉をしゃべるその虎の声色に、袁?は聞き覚えがあるのでした。
山月記 の起承転結
【起】山月記 のあらすじ①
唐の時代、隴西の李徴は若くして科挙試験に合格した秀才でした。
早くに江南尉という位の官職に就いていた李徴は、非常な自信家でもありました。
そんな李徴は、俗悪な大官の前に膝を屈することを「潔し」としない性分であったため、賤吏に甘んずることができずに、早々に官職を退いてしまうのでした。
しかるのちに李徴は、詩人として「死後百年の名声を残す」ことを志し、山にこもり、人との交際を断ち、ひたすら詩作に打ち込むのでした。
しかし、文名というものは容易に上がるものではなく、日に日に生活が苦しくなっていきました。
李徴は痩せこけ、眼光もいたずらに鋭くなり、容貌は日に日に鋭くなっていきました。
かつては美少年と呼ばれた頃もあった李徴でしたが、数年の後にはその面影を求めることができないほどに、その風貌は変わり果てたものになっていたのでした。
それから数年が経ち、李徴はあまりの貧窮に堪えきれない状況にまでなりました。
妻子の衣食のために、李徴はついに、自身の志を曲げて、再び一地方官吏の職につくことにしました。
しかし、これは自分の詩作に絶望したという理由もあったのでした。
そのころ、同年代の者達は既に遥はるかに出征しており、彼が若い頃に、歯牙のもにもかけなかった連中から命令を受ける立場になってしまいました。
このことが、李徴の自尊心を大いに傷つけ、彼はついに発狂するに至りました。
ある夜半、急に顔色を変えて寝床から起きあがり、何か訳の分らぬことを叫びながら、闇の中へ駈出かけだし、二度と戻って来なかったそうです。
その後李徴がどうなったかを知る人は、誰もいませんでした。
【承】山月記 のあらすじ②
翌年、監察御史で陳郡の袁?というものが、勅命を奉じて嶺南に使いにいった時のことでした。
途中の商於に宿泊し、次の朝まだ暗いうちに出発しようとしたところ、駅吏が「これから先の道に人喰虎が出るので、旅人は白昼でなければ通行できません。」
というではありませんか。
しかし、袁?は供廻りの人数が多いのを良いことに、駅吏の言葉を無視して出発したのでした。
袁?の一行が、月の光をたよりに林の中を進んでいると、叢の中から猛々しい虎が躍り出てきました。
虎は、袁?に躍りかかるように見えましたが、すぐに身をひるがえして、元の叢の中に隠れました。
すると、叢の中から人間の声で「あぶないところだった」と繰返し呟のが聞えてくるではありませんか。
さらに驚くべきことには、袁?はその声に聞き覚えがあるのでした。
彼は、驚きの中にも、とっさに思い出して叫びました「その声は、李徴ではないか?」と。
その後、しばらく返事がなかったのですが、しのび泣きのような声が、叢の中から漏れ聞こえ始めました。
そしてついには、低い声で「いかにも、私は隴西の李徴であります」と、答えが返ってきたのです。
袁?は恐怖を忘れ、馬から下りて叢に近づき、懐なつかしげに話しかけました。
そして、何故なぜ叢から出て来ないのかと尋ねました。
すると、李徴の声が「自分は今や異類の身となってしまいました。
どうして、あなたにお目にかかれましょう。」
と答えました。
そして「ほんの暫くでいいから、私の外見を問わずに、友であった李徴として自分と話をしてくれないだろうか。」
と言うのです。
不思議なことに、袁?はこの超自然現象を素直に受け入れ、少しも怪しむことなく、彼の話を聞き始めたのでした。
【転】山月記 のあらすじ③
虎の姿をしているであろう、李徴の声が、叢の中から身の上話を語り始めました。
今から一年程前に、旅の途中で汝水のほとりに泊った夜のことでした。
ひと眠りしてから眼を覚ますと、外で誰かが私の名を呼んでいるではありませんか。
その声に応じて外へ出てみると、声は闇の中からしきりに自分を呼んでいます。
たまらずに、自分は声を追いかけて走り出しました。
無我夢中で走っているうちに、山林に入り込んでいきました。
そして、自分でも気づかぬうちに左右の手で地面をつかんで走っているのでした。
その後、少し明るくなってから、谷川に映る自分の姿を見てみると、既に虎となっていました。
驚き、目を疑いました。
次に、夢に違いないと考えました。
しかし、夢でないと悟った時、茫然となり、そして恐ろしくなりました。
色々と考えをめぐらした後に、ついには自殺を考えました。
しかし、その瞬間に、一匹の兎が目の前を通り過ぎた途端に、人間の部分が姿を消しました。
再び人間の部分が目を覚ました時に、口は兎の血に塗まみれ、周囲には兎の毛が散らばっていました。
それからというもの、どんな行いをしてきたのかは、到底語るに忍びないです。
しかし、一日の中には必ず数時間、人間の心が戻ってくる時間があるのです。
そういう時には、人間の言葉を操れれば、複雑な思考をすることもできます。
ただ、そのような時間も日に日に短くなってきています。
最後には、自分の過去を全て忘れて、一匹の虎として狂い廻るようになるのではないかと恐れています。
李徴のような虎は、このように自分の身の上について語り終えると、最後に「私が人間でなくなってしまう前に、一つ頼んでおきたいことがあります。」
と、お願いごとを語り始めました。
【結】山月記 のあらすじ④
袁?の一行は、息をのんで、叢の中の声が語る、不思議な話に聞入っていました。
声が続けて言うことには、詩人として名を成すつもりでいたが、成し遂げることができないまま、この運命に至った。
作った詩の数百篇は、世に知られていない。
その中も、今でもそらんじることができる作品が数十ある。
これを私のために、記録・伝承していただきたい。
とにかく、財産を失い、心を狂わせてまで、執着したものの一部を後代に伝えなくては、死んでも死に切れないのです。
と、いうことでした。
袁?は部下に命じて、叢の中の声が読み上げる詩を書きとらせました。
李徴の声は叢の中から朗々と響き、およそ三十篇の詩を書きとることができました。
その詩は、格調高く優雅で、卓越した趣があり、作者の才能が非凡であることを思わせるものばかりでした。
しかし、袁?は感嘆しながらも漠然と、「作者の素質が一流であることは疑いない。
しかし、一流の作品としては、非常に微妙な欠点がありそうだ。」
と感じるのでした。
詩を読み上げ終わると、李徴の声は調子を変えて、「こんな外見になっても、私の詩集が長安の風流人の机上に置かれる様子を、夢に見ることがあります。
詩人に成りそこなって虎になった哀れな男を笑ってください。」
と自嘲するのでした。
袁?は、若かりし日の李徴の自嘲癖を思い出しながら、哀しく聞いていました。
すると、李徴の声が「今の私の思いを、即席の詩にしてみよう」と言い出しました。
そのため、袁?は下吏に命じて、この即興詩についても、書きとらせたのでした。
全てが終わると、李徴は袁?に、帰路にはこの道を通らないで欲しいと述べました。
その時に自分が襲いかかるかも知れないからという理由からでした。
そして、別れた後に、前方の丘に上ったら、こちらを振りかえって見てほしいとのことでした。
一行が丘の上にたどりついた時、言われた通りに振返ってみると、一匹の虎が咆哮したかと思うと、叢に戻り、再びその姿を現さなかったということです。
山月記 を読んだ読書感想
この話は、人間が虎の姿に変わってしまうという、興味を引く主題を掲げています。
人間が別の生き物に「メタモルフォーゼ」するというモチーフから、1915年に出版された、カフカの「変身」と比較されることも多い作品です。
しかし、奇抜な主題や舞台設定に目が行きがちですが、この作品の本質は、人間が虎になってしまった事でも、虎が人間の言葉をしゃべる点でもありません。
虎になってしまった「李徴の声」が、その原因を、自嘲を交えて独白する部分が、最も重要なポイントです。
高慢ともいえる自信と、それ故に生み出される社会とのギャップ。
・自分が思っているように社会に評価されないというもどかしさ。
・自分が信じている才能が本当は十分でなかたっと気が付いた時の絶望。
・自分が一番わかっているのに、あきらめきれない夢への執着とあさましさ。
このような、人間がかかえる生々しい悩みや内面の問題と、自己の思い上がりがもたらす末路を、獣の姿になぞらえて示唆しているのだと思います。
大人になって読み返してみても、短く削り落とされた文章の中から、多くの示唆と教訓を得ることができる作品です。
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