著者:夢野久作 1929年12月に改造社から出版
あやかしの鼓の主要登場人物
音丸久弥(おとまるきゅうや)
「あやかしの鼓」を作った音丸久能のひ孫。作中の語り手である〈私〉。
音丸久禄(おとまるきゅうろく)
久弥の兄。六歳のときに他家にやられた。
高林弥九郎(たかばやしやくろう)
東京の九段に住む能小鼓の名人。
鶴原ツル子(つるはらつるこ)
中野の鶴原子爵の奥方。
妻木敏郎(つまきとしろう)
ツル子の甥と名のる書生。
あやかしの鼓 の簡単なあらすじ
江戸時代、鼓作りの男が、女にふられた恨みをこめて鼓を作りました。
それが「あやかしの鼓」です。
男はその鼓を、自分をふった女に贈りました。
女は鼓を打つうちに自害し、女の夫もまもなく病で亡くなります。
それ以来、この鼓を打つ者には呪いがかかって死ぬ、と伝えられてきました。
時は流れて百年後の大正時代、「あやかしの鼓」を作った者の子孫である音丸久弥が、その鼓に関わって、数奇な運命をたどります。
幼くして父と死に別れた彼は、鼓打ちの名人の家へひきとられます。
ありきたりの鼓の音に満足しない彼は、「あやかしの鼓」に興味を持つのでした……。
あやかしの鼓 の起承転結
【起】あやかしの鼓 のあらすじ①
〈私〉の名前は音丸久弥。
大正十三年のいま、〈私〉は、あやかしの鼓に関わる出来事を、遺書として書いておこうと思います。
さて、今から百年ほど前、江戸時代の文政のころ、京都に音丸久能という、鼓作りを生業とする者がいました。
一方、久能が出入りする公家の家に、綾姫という小鼓に堪能な美女がいました。
久能は妻子がありながら、綾姫に思いを寄せます。
姫は彼になびくと見せて、結局は同じ公家の鶴原卿に嫁ぐことにしました。
久能はじたばたせず、姫に嫁入り道具として自作の鼓を贈ります。
これがのちの「あやかしの鼓」です。
嫁いだ姫がその鼓を打ってみると、陰気な音が出ました。
姫は部屋に閉じこもって鼓を打つうちに、自害してしまいます。
夫の鶴原卿も、病気になり血を吐いて死にます。
久能は鼓を取りもどそうと、鶴原卿の屋敷に忍び込みますが、斬りつけられ、その傷がもとで死にます。
久能は死ぬ間際、鼓を取り返すように遺言しますが、従う者などいませんでした。
その後、姫の実家はおちぶれて所在不明になる一方で、鶴原の家は維新後に子爵となり、東京へ引っ越すのでした。
一方、音丸の家は孫である久意の代となりました。
長男、久禄が生まれましたが、六歳のときに他家へやり、その後に生まれたのが〈私〉でした。
大正五年に亡くなった父は、少し前にこのような話をしてくれました。
三年ほど前、鶴原家の奥さんが訊ねてきて、鶴原家所蔵の鳴らない鼓を見てほしいと言われたのです。
それは音丸家に言い伝えられた「あやかしの鼓」でした。
久意は方便で言いくるめて、しまっておくように、と返答しておいたそうです。
奥さんが「あやかしの鼓」を打ったせいなのか、夫の子爵は身体が弱って死にました。
父は〈私〉に、鼓と無関係な職業につき、鶴原家に近寄らないように、と言い残しました。
父の死後、〈私〉は鼓打ちの高林先生のお世話になりました。
その頃、養子である若先生の靖二郎が、家出をしたばかりでした。
先生の家で育つうち、鼓も少し教わりましたが、まったくうまくなりません。
先生は〈私〉に、なぜ鼓に紙を貼ったりと変なことをするのかと訊きます。
〈私〉は、どの鼓もポンの「ン」の音がするから嫌なのだと答えます。
ポ……ポ……ポ、という音がいいのです。
〈私〉は鶴原家に名高い鼓があると聞いているので、借りてはいただけないか、と訊ねました。
先生からは言下に却下されてしまいました。
【承】あやかしの鼓 のあらすじ②
それからまもなく〈私〉は高林家の跡継ぎと定められました。
跡継ぎになりたかった内弟子たちは落胆しました。
しかし、〈私〉もまた、これからヘタクソな弟子たちの面倒を見なければいけないことに落胆していたのです。
やがて大正十一年、〈私〉が二十一の春が来ました。
ある日先生からお使いを命じられた〈私〉は、風呂敷包みを持って、鶴原家を訪れました。
出迎えたのは、鶴原未亡人の甥で、妻木と名のる書生でした。
〈私〉が持っていった包みは、若先生の七回忌のお茶でした。
若先生の法事は内輪で済まされたはずなのに、どうして他家にこんなことをするのか、不思議です。
〈私〉は妻木と打ち解けて話しこんだあと、鶴原家にある「あやかしの鼓」を見せてもらえないか、と頼みました。
妻木は応諾します。
そして、〈私〉の名字が「音丸」であることを確かめてから、高林家の若先生のことを教えてくれました。
七年前、鶴原家に「あやかしの鼓」を見に来た若先生は、鼓を打ったために呪われ、姿を隠しているのだそうです。
また妻木は、「あやかしの鼓」についても、こんなことを教えてくれました。
彼は不眠症のために、未亡人の処方した睡眠薬を飲んでいます。
そうして眠っている間に、未亡人は「あやかしの鼓」を打っているようです。
妻木はその鼓がどこにあるかは知りません。
そんなふうにして、この家で七年すごしているのだそうです。
〈私〉は妻木に案内され、家のなかを見てまわりました。
小さな監獄のような一室がありました。
鉄のベッドが置かれ、壁には皮の鞭が掛けられています。
そこが妻木の寝室だそうです。
鶴原子爵が死んだのもこの部屋だそうです。
さらに奥の一室に入りました。
そこが叔母の鶴原未亡人の部屋です。
四つの鼓があったのを見せてもらいました。
そのひとつは、間違いなく「あやかしの鼓」した。
妻木は笑います。
彼は、〈私〉が本当に「あやかしの鼓」のことを知っているかどうか、試したのでした。
そうして彼は真相を告白します。
自分は七年前に高林家を出た靖二郎である、と。
【転】あやかしの鼓 のあらすじ③
靖二郎は、次に来たときに、「あやかしの鼓」が〈私〉のものになるようにするから、そうしたら、音丸家の先祖の遺言通りに鼓を壊してほしい、と頼むのでした。
鶴原家を出た〈私〉は、二十四、五の婦人とすれ違います。
〈私〉はお辞儀しただけで、その場を離れていきました。
やがて靖二郎から招待の手紙とお金が届きました。
出かけていくと、靖二郎こと妻木が出迎えてくれました。
通された奥座敷には、四つの鼓が置いてあります。
未亡人が入ってきました。
彼女は、「あやかしの鼓」を打って本当の音色を出すほどの腕であれば、自分は喜んで鼓を譲る、と言います。
また未亡人は四つの鼓のひとつをじっと見て、涙を浮かべ、「この鼓と私の間の因縁を断ち切ってほしい。
私はこんな日が来るのを待っていた」と言うのです。
その因縁について説明する前に、まずは鳴らしてみよと言われ、〈私〉は鼓を打ちました。
ポ……ポ……という音が出て、打ち続けて鼓が手になじむにつれ、どことなく余韻が聞こえてきます。
その音には、作った久能の恨みがこもっていました。
恋に破れた者の呪いの声、無念の響きがこもっているのです。
だから百年前、この鼓を打って呪いの声を聞いた綾姫は自害したのです。
鼓を打ち終えた〈私〉は、背中がゾクゾクしました。
未亡人は、初めてこの鼓の本来の音色を聞いた、と礼を言います。
そして、自分は綾姫の血筋のものであることを告白するのでした。
未亡人は、「あやかしの鼓」と別れる祝いだと、〈私〉に酒を勧めます。
〈私〉が酔うと、酔い覚ましに水を飲ませます。
すると〈私〉はすっかり眠ってしまいました。
目覚めると、女物の夜具をかぶっています。
夜でした。
そばで、未亡人が〈私〉をのぞきこんで、高笑いします。
「とうとうあなたは引っかかったのね、可愛い坊ちゃん」と言われ、〈私〉は未亡人の罠にかかったことを知るのでした。
【結】あやかしの鼓 のあらすじ④
未亡人は言います、先日すれ違ったときに〈私〉が音丸久弥と気づいたこと、妻木に命じて〈私〉を誘う手紙を書かせたこと、自分は妻木に飽きたので〈私〉といっしょに遠くへ逃げて所帯を持ちたいと思っていること、そのために全財産をお金に替え、カバンに入れてあること。
それだけ説明しても〈私〉が覚悟を決めないでいると、未亡人は鞭を持ち出してきました。
彼女の前夫は鞭で責められて亡くなり、妻木も鞭で責められて死骸のようにおとなしくなったのだそうです。
綾姫の霊に乗りうつられたような未亡人の姿に恐れをなし、〈私〉は申し出を承知してしまったのでした。
そのときです。
「奥さん、火事です」と叫んで飛びこんできた妻木が、懐剣で未亡人を刺したのです。
妻木は〈私〉に、未亡人につけられた鞭のあとを見せます。
こんなふうにされるのが気持ちよくなるほど、自分は堕落したのだ、と言うのです。
そして、自分は六歳のときに高林家に売られた〈私〉の兄の久禄なのだ、と正体を明かすのでした。
兄の指示により、〈私〉はお金の入ったカバンを持ち、鶴原家を脱出しました。
その後、新聞を読み、鶴原家が火事になって、未亡人と妻木の死体が見つかったことを知ります。
それから〈私〉は日本のさまざまなところを放浪しました。
三年ぶりに東京へもどって、高林家の様子をうかがいました。
先生が出てきて、今夜、内緒で自分の部屋に来るようにと言われました。
その夜、裏庭に忍んでいくと、ポポポ……と、「あやかしの鼓」の陰気な音色が聞こえてきました。
それがだんだんと明るく普通の音色に変わります。
名曲「翁」の鼓の手です。
〈私〉は心のなかで謡い合わせます。
やがて鼓の音がバッタリとやんだので、先生の部屋に入ると、先生はもう死んでいました。
〈私〉は鼓をかかえて逃げ出しました。
鼓の箱には先生からの手紙が入っていました。
お金が添えられ、遠方へ行って、見込みのある者に鼓を教えてやってほしい、という内容の手紙でした。
遠方へ逃れた〈私〉は、新聞により、自分が鶴原未亡人、妻木、高林先生の三人を殺した殺人犯とみなされていることを知ります。
〈私〉は観念しました。
そうしてここまでの経緯を、遺書として書いてきたのです。
〈私〉はこれから「あやかしの鼓」を壊して、死ぬつもりです。
あやかしの鼓 を読んだ読書感想
「あやかしの鼓」という、呪われた鼓についての物語です。
野久作の処女作だそうです。
雑誌「新青年」のコンテストに応募して、二等に入選した作品です。
「あやかしの鼓」に関わるひとりの青年が、自殺する前に、これまでのことを遺書としてしたためた、という形式で書かれています。
遺書とは言いながら、文章としては、口語による告白に近いものになっていますので、大変読みやすいです。
さて、内容について、興味をひかれたことが二点あります。
一点は、鼓の音についてです。
主人公の久弥は、先生から鼓の音について問われ、ポンポンという音の「ン」が鳴るのが嫌だ、と答えています。
ポンポン、ではなく、ポ……ポ……と鳴ってほしいのだ、と。
ここを読んだとき、なんとも異様な印象を受けたものです。
その音を頭のなかで鳴らしてみると、ポ……ポ……というのは、響きのない、陰気な音に聞こえます。
それを平気で主人公に主張させているのが、印象的なのでした。
興味をひかれた二点目は、鞭によるSMが出てくることです。
もちろん、大正時代に発表された作品ですから、あからさまな性的描写は制限されていたでしょう。
本作中でも、具体的にその行為についての描写はありません。
それでも、口頭で、SM趣味のことが語られているのです。
この作品が書かれたのが、大正十五年。
そうか、そんな頃にはもう日本にSMプレイが持ち込まれていたのだな、と妙なことに感心したのでした。
少し作品の本題からそれてしまったかもしれません。
この作品は、鼓の呪いに翻弄される人間たちを描いた佳作であることは間違いありません。
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