著者:徳田秋声 1965年5月に筑摩書房から出版
或売笑婦の話の主要登場人物
女(おんな)
遊女。年期を務めあげて自由の身だが、身寄りがないため遊郭で働き続けている。客の学生に結婚を申し込まれる。
学生(がくせい)
私立大学の学生。実家は田舎の資産家で育ちがいい。
木綿問屋の旦那(もめんどんやのだんな)
女の馴染み客。
田舎の隠居(いなかのいんきょ)
女の馴染み客。学生の父親。
或売笑婦の話 の簡単なあらすじ
遊女の女がいました。
女は年期を務めあげて自由の身でしたが、そのまま遊郭で働き続けていました。
帰る実家もなく、身を寄せるのに丁度いい客の当てもなかったからです。
候補となる馴染み客は二人いたものの、木綿問屋の旦那は妻子持ち、田舎の隠居の方は老齢で世話が大変そうで決めあぐねていました。
ある日、学生が遊郭にやってきます。
初心な学生は女に夢中になり、結婚を申し込みました。
最初は学生の申し出を本気にせず適当にあしらっていた女でしたが、次第に心惹かれていき、かつて遊女になる前にしていた純粋な恋愛を思い出し、学生となら幸せになれるのではないかと思い始めます。
そして、田舎に帰省した学生の後を追って、女は学生の実家を訪ねました。
そこで女は、自分の馴染み客である田舎の隠居が、学生の父親である事を知ってしまいました。
女は学生の前から姿を消しました。
或売笑婦の話 の起承転結
【起】或売笑婦の話 のあらすじ①
遊女の女がいました。
女は年期を務めあげて自由の身でしたが、両親は亡くなっているうえ、実家は後妻が暮らしているので帰る事もできず、身を寄せるのに丁度いい客の当てもありませんでした。
候補となる馴染み客は二人いるものの、木綿問屋の旦那は妻子がいるため、子守り等をしつつ本妻に気を遣う必要があり、肩身の狭い思いをしなければなりません。
田舎の隠居の方は高齢で気楽ではあるものの、隠居自身の世話をしなければならず、どちらを選んでも苦労しそうです。
女自身はかなりの倹約家で、質屋に預けている品も少なく、稼ぎを貯めておきたかったのもあり、気を遣わずに済む馴染み客を気ままに相手にして、遊郭で働き続けていたのでした。
そんなある日、私立大学の学生が友達連れで遊郭にやってきました。
田舎の裕福な家柄の学生は、初心で女慣れしておらず、遊郭での女遊びも初めてのようです。
女と年は一歳二歳しか違いませんでしたが、数多の男を相手にしてきた女からすれば、学生など乳臭い子供にしか見えませんでした。
そんな子供相手なら気を遣う必要もないだろうと、女は身なりも整えないまま、学生の相手をしました。
女の体に触れる事すらきまり悪そうにする学生に、女も男に触れるのを遠慮しつつ、遊郭などあまり来るものじゃないと釘を刺したり、今度はひとりで来なさいと諭したり、遊女は悪い病気を持っているとを脅しました。
そして、一晩を共にした後、リピート狙いで初見の客へする媚びもせず、女は学生を送り出しました。
【承】或売笑婦の話 のあらすじ②
今度はひとりで来なさい。
そんな女の言葉に素直に従って、学生はひとりで遊郭に通うようになりました。
そして馴染んでいくにつれ、女と学生は互いの身の上話などをするようになります。
女は学生が訪ねてくれるのを、特別期待していた訳ではありません。
しかし暇な時などは、過去の恋愛を思い出すようになりました。
少女時代にした初恋。
裁縫を習いに行く道すがらにある、店の息子に恋をした事。
心を惹き付けられて、淡い恋の悩みを覚え始め、店の前を通る時や、偶然道ですれ違った時に、顔が赤くなったり鼓動が早まったりした事。
昼夜問わずにその姿を思い浮かべた事。
美しい幻として恋する事自体を楽しみ、それから何度も恋を繰り返した後、女は親の借金のため遊女になったのでした。
学生によって呼び起こされた淡い思い出に、女は懐かしさを感じていました。
ある日、学生は女に、将来の事について尋ねました。
女が当てにしている馴染み客二人の事を話すと、学生は心痛めました。
若く美しい女が、なぜ老人に将来身を寄せようとしているのか、わからなかったのです。
女は学生に、遊女という借金返済のため色恋営業をして働く女との、恋愛の難しさを説きますが、学生は引きません。
女の青春が色欲のために浪費されるのが耐えられないと、女に結婚を申し出ます。
女が遊郭を出るために必要な金額を伝えると、学生は本当に金を用意してきました。
しかし、女は少しのお金をもらうだけで、理由を付けてほとんどのお金を学生に返しました。
【転】或売笑婦の話 のあらすじ③
学生から結婚を申し込まれて以降、女は学生を意識して避けていました。
それは学生が田舎に帰省した後も変わらず、手紙の返事も出しませんでした。
しかし暇になると、過去の懐かしい思い出が蘇ってきて、遊郭という牢獄の中にいる事にやるせなさを覚えました。
宴席で陽気に騒ぐのは楽しいものの、ひとりになると、今更自由になったとして遊郭の外で生きていけるのか不安で堪らなくなってきます。
未来ある学生の相手をするのが大人気ないような気がしていましたが、学生を拒絶するのはその誠実さを疑いすぎているような気も、遊女である女自身を卑下しすぎているような気もしてきます。
学生の愛の言葉は現実味がなく、頼りなくも思えましたが、本当に自分を愛しているのは学生だけなのだとも思えました。
学生との将来を思い悩む内、女は学生を見定めたいと考え、学生の実家を訪ねる事を決心しました。
そして、遊郭を抜け出たのです。
汽車の中では、自分が遊女だとばれないように気を張りました。
太鼓や三味線の音色ばかり聞いていた女には、カエルの声さえ恐ろしく思えました。
周囲の人間も、何を考えているかわかりません。
明かりのない藪の暗がりも、崖際の白百合が夜風に揺れるのも、女には恐ろしくてたまりませんでした。
そうして女は学生の実家に辿り着きました。
女は不安感から実家を訪ねず、また引き返そうとも思いましたが、引き返す気にもなれませんでした。
半日もかからなかった旅でしたが、女にとっては果てしない山奥へ来たような気がしていました。
【結】或売笑婦の話 のあらすじ④
突然の来訪に驚いていた学生でしたが、戸惑いながらも女を迎え入れました。
女は学生の家族に挨拶をしたいと申し出ましたが、学生は乗り気ではありません。
女を実家のどこに置けばいいのかわからず、町の宿屋に泊まる事を勧めてくる始末です。
女は学生に土産物を渡しました。
それは客から贈られたものの使わずにいた、半襟や化粧箱でした。
学生は母親に女を紹介しましたが、友人の姉だと嘘をつき、遊女だとは言いませんでした。
学生は酒を飲みながら女と話し込みましたが、具体的な将来の話は一切しません。
また、学生は東京で暮らすのだと女に語っていましたが、実家には他に男子がおらず、将来的に学生が実家を継がなければならないはずです。
女は、やはり当てにならない男を頼りにして来てしまったのだと、後悔しました。
田舎で一生暮らせる気などしませんでした。
遊郭という、人間と人間とが情欲を交らわせる以外何もない、窮屈な小部屋に住み慣れていた女が、田舎の大自然に馴染む事など到底できそうにありません。
学生は田舎という自由な場所へ女を連れだした事を喜んでいましたが、女は憂鬱でした。
学生と女が話していると、帰省客の姿が見えました。
その中のひとりは、女の馴染み客である田舎の隠居でした。
そして彼は、学生の父親でもあったのです。
学生は暗く沈んでいる女を見て悲しく思いましたが、女もまた、自分をどうやって幸せにしてやろうか悩んでいる学生を悲しく思いました。
女は何も語らず、黙って学生の元を去りました。
或売笑婦の話 を読んだ読書感想
著者は自然主義の大家であり、川端康成にも大絶賛された徳田秋声です。
学生と遊女の切ない恋愛を描いた作品です。
恋愛を商売道具として割り切っていた遊女が、本当の愛について揺れ惑い思い悩む様子が、繊細かつ丁寧に描写されています。
恋に恋する初恋を「美しい幻」と表現していますが、共感できる方も多いのではないでしょうか。
本作はまさに、そんなかつて見た美しい幻に翻弄された女の、美しくも儚い恋模様と言えます。
外から見れば、遊郭は浮世離れした夢のような世界ですが、遊女にとっては遊郭での営みこそが現実なのかもしれません。
夢のような世界で美しい女との恋愛を楽しむ男と、男の言葉を信じて遊郭の外へ出る事を夢見る女。
また、勉強に遊びにと青春を謳歌している学生にとって、遊女は同年代で青春を謳歌すべき若く美しい女ですが、女はベテランの遊女で将来を真剣に考えざるをえません。
お互い住む世界が違うがゆえに起こる擦れ違いに、切なさをおぼえます。
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