【オフィスのアネモネ】第11話「不機嫌な彼」

オフィスのアネモネ

山本とそれなりに楽しい時間が過ごせた。
映画のあと、甘味喫茶に行って、いつもどんなことをしているかなど雑談を話した。

山本は、アウトドアが好きで、最近はロードバイクで遠方まで出かけるのが好きだそうだ。

坂下は自宅の周辺だけが生活の範囲であるのに対して、山本は友人も多く、外に出かけることが好きだった。

 

「あ、メッセージだ……なんだろう」

 

ちょっとしたことでも、志織は坂下を思い出してしまう。

自分でも坂下への思いが深くなっている自覚がある。

尊敬できるし、仕事もできる坂下だ。ひかれるのは仕方がない。

ただ、芸能人のようにかっこいいわけではないのに、今は坂下が誰よりもかっこいいと思ってしまうのだ。

やっぱり自分は恋の病なのかもしれない。

 

「坂下さんからだ」

 

山本とわかれて、自宅に帰ろうとしたら、珍しく坂下から自宅に寄ってというメッセージが来た。
出張のお土産を買ってきてくれたという。

最近、また坂下は海外へ出張していることがあり、海外のチョコレートをたくさん買ってきてくれる。

ただ、坂下は消えてしまう食べ物ばかり選んでいるのを知っている。

関係を物で残さないよう、配慮してくれているのだろうか。

少し寂しさを感じる。

言葉にはあらわれない、坂下と自分の関係。

 

「これから、行きますねっと」

 

短いメッセージを送ると、志織は夕焼けに染まる空を眺めた。

1日が過ぎて行く――――。

こんな時間は、感傷的になるのだ。
キレイな空なのだが、もの悲しさが広がる。

すっきりとしない気持ち、でも悪くないと思っている自分もいる。

身を焦がすような恋というほどではない。
だが、心の奥がじんわりと焦げ付くような熱さも感じる。

志織は、お酒のつまみになりそうなチーズと生ハムを買って、坂下の家に向かった。

 

 

*****

 

 

「坂下さん、何か作りましょうか?」

「井口さん、いいの?」

 

坂下の家に着くと、志織が出かけていたのを察した様子の坂下。
何か聞きたそうにしていたが、志織はあえて何も言わずにいた。

山本とデートをしていたなんて、あえて報告することか迷ったのだ。

なんとなくいつもより、気まずい雰囲気がある。
そんな空気をかえようと、志織は夕食を一緒に食べようと提案した。

今から出かけるのもめんどうなので、冷蔵庫を簡単に見させてもらって、さっと作れそうなものを思い浮かべた。

 

「はい、簡単なものですけれど。おつまみも買ってきたので、お酒も飲みましょう」

 

坂下はキッチンを使っている気配もなく、食器も数えるだけあるだけだ。
二人でシェアしないと、ご飯も食べられないだろう。

志織は蒸した菜っ葉類とマヨネーズであえた根菜をお皿に並べた。
パンも少しだけあったから、トーストもした。
買ってきた生ハムとチーズ、坂下のお酒があれば、食べられるだろう。

 

「きのこもあればよかったかな」

 

きのこがあれば、オリーブオイルでアヒージョ風に炒めてもよかったかもしれない。
次はガーリックも買ってからここに来ようと決めた。

そして、少しわれにかえってクスリと笑ってしまった。
なんだか、ここに住んでいるような気がした。

たまにくる上司の家。
生活感がなく、落ち着ける雰囲気もない。
だが慣れてくると悪くはない居心地だ。

 

*****

 

「「乾杯」」

グラスを重ねた。坂下が出張で買ってきたワインを開けることにした。

「おいしい……」

坂下がおすすめしてくれるお酒はおいしい。どちらかといえば、それほどお酒は得意ではなかった。

だが坂下と出会って、日本酒やワインのよさを知った。

 

「井口さん、今日呼び出してごめんね」

「いえ!こんなおいしいお酒のめて、うれしいです」

「出かけていたみたいだし、疲れてない?」

 

坂下はやはりどこか気分が上の空だ。

志織はあわい期待を持ってしまう。
もしかして、坂下がジェラシーをもってくれるだろうか、と。

山本とデートして、そして彼に好きな気持ちをもたれていると言ったら、坂下は何と言うだろうか。

 

「疲れてはないです。ただ、やっぱりわたし……坂下さんのこと考えちゃうなって。それを痛感しました」

「え……」

「坂下さんが結婚しているって知って、こんな気持ちをもってはいけないのだろうなって。でも、出かけていても……誰かと話していても、坂下さんのこと思い出しちゃって」

「だが……」

「わたしが勝手に好きなだけですから。坂下さんは、ちゃんと結婚しているって言ってくれて。関係を深める前に言ってくれたのも、優しさなのだって今は思っています」

「そんな、君だけのせいじゃないよ。俺だって君に甘えている」

「わたしだって、坂下さんに甘えています」

 

志織は、山本のことはいうのはよそうと思った。

今、もし彼のこと坂下に告げたら引いてしまうかもしれない。
独身同士で付き合った方がいいよ、と言われてしまうかもしれない。

 

「坂下さん、キス……していいですか?」

 

志織は酔ったふりをして、甘えたように坂下の肩に頭を乗せた。
そしてじっと彼の瞳を見つめる。坂下の顔はほんのり赤い。

今日はいつもより、視線に熱を感じる。
なぜ、坂下はいらついているのだろう。冷静な人がめずらしい。

そして、坂下にキスをされ強く抱きしめられた。

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