児童相談所を出た私と先輩はその後その足でアキラくんの両親の家にやってきていた。
今日は児童相談所へ行ったりといくつかやることがあったため、既に時間は4時半頃を過ぎていたが不思議と疲れは感じていなかった。
むしろ、体にエネルギーがみなぎるようにすら感じる。
もはや今日だけでも二度目となる白い家の前だが、先程とは違い気合十分といった感じであった。
「白井、大丈夫か?」
チャイムを押す前に私を気遣ってか先輩が私をチラっと見たが、私の様子を確認するやいなや、ふふっと笑って
「大丈夫そうだな」
とチャイムを押す指に力を入れた。
「何度もすいません」
「いえ、アキラの行方に関する質問ならいくらでもお受けいたします。ですが先ほどのような不躾な質問はごめんこうむりますよ?」
ソファにこそ案内されたものの、明らかに先程より不機嫌になっている雅史を相手に、私と先輩は苦笑いを浮かべるが、無論容赦をするつもりなどない。
「不躾ですいません。不躾ついでにもう一つお願いがあるのですが、今回は霧子さんだけにお話を伺いたいのでご主人は少しの間席を外していただけますか?」
「はあぁ!?」
怒りと驚きの入り混じった声を上げる雅史と、声こそ上げなかったものの目を丸くして驚く隣の霧子。
本当に一秒あるかないかという沈黙がその場を支配したがそれを破ったのは当然雅史の怒声であった。
「あのね、あなた方いい加減にしてくださいよ。妻は息子が誘拐されて疲れているんです。事情聴取なら主に私が答えますから妻に無理をさせるのはやめにしていただきたい」
もっともな理由をつけているが私と、おそらく先輩も考えていることは同じだったと思う。
(霧子にはなるだけしゃべってほしくない、というわけか……)
「そこをなんとかお願いします。それを聞けたらちゃんとアキラくんのほうの捜査に専念するとお約束します」
「無茶苦茶だ。女刑事さんもなにかおっしゃってくださいよ」
雅史が私に助け舟を求めてきたが、私は内心ほくそ笑んでいた。
実は事前におそらく追い詰められた雅史は昨日雅史たちを擁護する発言した私に擁護を求めるであろうと話し合っていたのだ。
「はい、実は私も散々これ以上あの両親を疑うのはやめましょうって言ったんですけど、先輩もうこれを最後にするから頼むって聞かないので、じゃあこれで本当に最後ですって約束したんです。なので今回だけお願いできないでしょうか。それとも本当になにかやましいことあるわけじゃないですよね?」
作戦通りのセリフを発し、退路を絶った。
さしもの雅史もこの私の言葉に腹を決めたのか、
「わかりました、ただしもうこれを最後にしていただきたい!」
と捨て台詞を吐いて、部屋を後にするのだった。
残されたのは私と先輩。そして霧子の三人だ。
「さて……」
雅史が部屋を出たのを確認した先輩が早速切り出す。
「霧子さん、私たちは雅史があなた方お二人を虐待するいわゆるDVが行われていたと見られています」
「……なっ!」
霧子は驚いた表情を見せるが、先輩はお構いなく言葉を続ける。
「事件当日、一昨日の昼。アキラくんは遊びに行ったのではなく裏にある倉庫に監禁され、その間に誘拐をされた。その後雅史はパチンコ店に行き、あなたもこの部屋のどこかで監禁や暴行を受けたせいでアキラくんの安否を確認できず、結果アキラくんは誘拐された。違いますか?」
「違います!一体何を根拠に……」
激しく否定する霧子。
唇が震えているが、彼女は演技が上手く怒りで震えているのかあるいは動揺して震えているのか区別がつかない。
「実は先ほど児童相談所に行ってきました」
霧子はそれを聞いて少々顔を青くするがすぐにまた元の顔に戻って答える。
「あぁ……確かに職員の方がこられましたね。でも安全確認が出来て虐待はないと相談所の方も判断したはずです」
「……霧子さん、別にあなたを責めてるわけじゃないんです。あなたの力になれるとお伝えしたいんです。本当のことを教えてください、あの日アキラくんは遊びに行ったんじゃなく倉庫で閉じ込められている時に誘拐されたのではないですか?」
先輩が必死で説得する。
今日は本当に先輩のいろんな表情を見ることができているなぁと思いつつそんなことを考えている暇はない。
それに対する霧子は絡ませた両手の指を握り締めながらまるで何かを考えているようにも見えた。だが、なかなか覚悟が決まらない、そんな様子である。
そのような霧子の様子を見ていたとき、私はなぜか最初に霧子に会った時のことを思い出した。
正確に言うと霧子の袖に触ったときのことである。
あの時はあの違和感に気がつかなかったが今ははっきりとわかった、というよりなぜあの時は気付かなかったんだろうとさえ思うほどであった。
「霧子さん、ちょっといいですか」
そう言って私は刺激しないように霧子の隣の座席――普段は雅史が座っている場所に腰をかけ、膝の上で絡ませている右手に手を伸ばした。
「一体何を……!」
霧子はそう言うが振りほどこうとする右手の力は弱い。
私は難なくその霧子の右手をつかみ、昨日からぴっちりととめていたカッターシャツの袖口のボタンを外していくと現れたのは痛々しい青あざになりかけている内出血の痕であった。
「先輩、これ……」
私が声をかけると先輩も黙って頷き、あとは頼むというような表情でこちらを見てきたので私も目線で任せてくださいと返し、俯いている霧子に向き直った。
「霧子さん、さっき先輩も言いましたが、私たちはあなたの力になりたいんです。だけど、もしあなたがそれでも私たちの助けがいらないって言うならもうここに来てその件について聞くのはこれで最後にします。だけどもしあなたが助けを求めているなら私たちはなんとしても力になります…!」
力を込めて本心を告げたつもりの私だったが、ちゃんと届いているだろうかと伺うように霧子の顔を覗き込むが、霧子は顔を俯けたまま何も答えなかった。
少々待ったがなかなかその状態で動こうとしない霧子。
かなりの時間が経ったが、しびれを切らしたのか先輩が口火を切る。
「ご主人を呼ぼう。やっぱり俺たちの勘違いだったみたいだ」
「え?あ、あの!」
先輩の言葉に明らかに慌てる霧子。
そう言って引き止めようとして駆け出すが、まるでに何かに蹴躓いたように床に倒れ込んで四つん這いとなり、私は思わず
「霧子さん、大丈夫ですか?」
と駆け寄ったが、すぐに霧子は転んだのではなく地面に倒れ伏して泣いているのだということに気がついた。
「霧子さん……」
「私が悪いんです……。あの人はお酒を飲むと私に暴力を振るうんです。……だからあの子は私を守ろうとして主人のお酒を戸棚の影に隠した。そしたらあの人の逆鱗に触れて……」
霧子はかなり不明瞭な声でそのように切々と語りだした。
「なのに私はそれを見ているだけ……あの子は私を助けようとしてくれたのに私は何もできなかった……。主人はあの日私をビニール紐で縛って二階の部屋に拘束しました。外で何が起きてたかはわかりません……本当にすいません」
そう言ってわっと泣き出す霧子。
その様子に私たちはなんと声をかけたら良いのか分からず黙りこくったが、ふたりとも夫雅史への怒りの感情がうずまいていたのは間違いない。
「一体何ごとですか!」
こういう場合、噂をすれば影とでも言うのか雅史が泡を食って入ってくる。
妻を心配している体を装っているが、内心妻ががどこまで話したか心配でならないのであろうどちらにせよ本当に許しがたい夫である。
「すべて霧子さんから聞きました。それで聞いた以上はあなたには霧子さんにこれ以上近づいてもらうわけにはいきません」
「なんだと!?俺は夫だぞ!一体何の権利があってそんなことを……」
そう言って雅史は先輩の方に向かい、先輩を力いっぱい押しのけて霧子に近づこうとするが先輩がその手を掴んで逆にねじ伏せた。
「はい、まず公務執行妨害。そのうちすぐ暴行と……あと傷害もつきそうかな」
そう言って慣れた手つきで雅史を連行する先輩。
一方私はまだ床に座り込んでいる霧子の肩に手を回した。
「後からまた警察が来て詳しい事情聴取をすると思います。霧子さん、勇気を出して話してくださってありがとうございました」
「私はいいんです。あの子を助けてください……あの子はまだ小さいのにとても優しくていい子なんです。もしあの子がいなかったら私は……」
「もちろんです。アキラくんは私たちが必ず見つけ出します。あともうちょっとだけ待っててください!」
そう言って私は霧子の肩をさすってから外に出た。
冬は日が落ちるのが早いとは言え、外はいつの間にか日が暮れて暗くなりかけていており、その中で雅史を車に乗せ終わった倉木が車の脇で私がくるのを待っていた。
「先輩、これからどうしますか?」
「ひとまず雅史を警視庁に連れて行こう。話はそれからだ」
そう言ってすかさず車を発進させようとエンジンをかける先輩。
その相変わらずな自分勝手ぶりに私はもう文句を言う気にもなれず、黙って車に乗り込むのだった。
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