アキラくんのご両親から話を聞いたあと、先輩は何やら不思議なことをし始めた。
やっているのは周囲の聞き込みなのだが、不思議なのはやっていることというより、聞き込みの質問の内容である。
「ほら、この写真の人たちですよ?よく見てください。本当に知らないですか?」
「だから来てませんってば、昨晩は私は夕方夜ずっと家にいましたけど家に訪ねてきたりした人はいませんでしたよ」
「そうでしたか、ありがとうございました」
極めて無収入なやり取りを終えた後、ドアを閉める家の人とそれを見送る私たち。
だが先輩は全く収穫のない聞き込みしかないにも関わらず、なにか考え込んでいたが、私が悩んでいるのは全く別なことであった。
というのも先程から続くこの聞き込みに、全くの意義が見いだせなかったのだ。
無論先輩のやることにいちいちケチを挟みたいわけではないし、パートナーと良い関係でいたいが、このままでは仕事のモチベーションにも関わることである。
「……あの、先輩。この聞き込みって一体何の意味があるんですか?」
腹を決めて先輩にそう尋ねてみた。
「何の意味があるとは?」
「いや、被害者の家の周辺を聞き込みするのはわかるんですけどなんで昨夜雅史さんか霧子さんが訪ねてきたかどうかばかり尋ねているんですか?」
先程から先輩は家の人や通行人を捕まえては、
「先日この人が訪ねてきませんでしたか?」
と雅史さんと霧子さんの写真を見せるだけで、あきらくんの目撃情報や怪しい人物の情報などは一切聞いていない。
私としては要領を得ない行動にしか見えないのだが、先輩もまたこの私の質問に要領を得なかったのか不思議そうな顔で逆に私の顔を見返してきた。
「白井は逆におかしいと思わないのか?ここまで俺たちは、事件誘拐翌日の午後の貴重な時間を使って被害者宅の周囲4ブロックを全部回って昨晩雅史と霧子が訪ねてきたかを聞いた」
「えぇそうですね……」
少々答えづらい質問ではあるものの、別に嘘ではないので口をもごもごと動かし、先輩の発言を肯定する。
「で、昨晩雅史と霧子が訪ねてきたと答えたのは何人だ?」
「ゼロ……人です」
私はそう小声で答えるがすぐ顔を上げて反論する。
「いやでもお留守の家もありましたし、もしかしたら今日知らないといった家でも昨日応対した人は別な人だったとかだってありえますし……」
反論しながらも自分で説得力がないなと思っている自分に嫌気がさし、途中で言葉を発するのをやめると、先輩はここの通りとその周辺の地図を開いて次のブロックを確認し始める。
「なんにせよ、あの二人は昨晩はあきらくんを探したり近所を聞きこんでいたと言っていたが全くその裏が取れない。これってただの偶然だと思うか?」
「それはまぁ……確かにちょっと変ですけど」
絶対自分は正しいことを言っているはずなのに、なんか言いくるめられたような気がして、非常に納得の行かない気持ちになったが、私はここで負けるわけにはいかなかった。
こうしている間にだってあきらくんは誘拐され、不安に襲われているに違いないのだ。
最悪命の危険にさらされている可能性だってある。
「でもやっぱり今はあきらくんの両親の言葉の揚げ足取りとかよりあきらくんの安否を優先すべきだと思います。こうしてる間にもあきらくんは不安に過ごしてるはずなんですよ!?」
この渾身の訴えは私の心の奥底から出た真剣な気持ちだったが、その言葉が先輩の耳に届くことはなかった。
というのも先輩はもう次の通行人を見つけ、その人に聞き込みを開始してしまっていたのだ。
もはや聞く耳もないとわかった私も渋々その後ろに付く。
「突然すいません、警察です。昨晩この二枚の写真の人物のどちらかに会ったりしていませんか?」
先輩はそうやって前回と同じく雅史さんと霧子さんの写真を差し出す。
一方呼び止められた通行人は、5,60代のぎょろ付いた目が特徴の男性で、こめかみに茶色いイボがあった。
その男性は「あぁ、ちょっと失礼」といって、首から下げていた老眼鏡をかけて、二つの写真を凝視していたが、雅史さんの方を見ていた時に目を少し見開いてその写真に指さした。
「あぁーこの男の方なら知ってる。昨晩見たよ」
「え?本当ですか?」
ようやく裏が取れたと早合点した私は、身を乗り出した。
おそらくこれで先輩もこの茶番を終わらせる気になって、事件の捜査の方に加わるだろう。
この時はそう思ったのだが、後から思えばそんな簡単に行くはずもなかった。
というのも先輩の次の質問に対するその男性の答えは私のその望みを見事に打ち砕くことになったからだ。
「失礼、この男性を見たというのは家に訪ねてきたりしたということですか?」
「あ?家に訪ねてきたぁ?違う違う、昨日この男はパチンコ屋で俺の隣の台で閉店までずっと打ってたんだ。結構長いあいだ隣同士だったからね、覚えているよ」
「え?パチンコ……?」
予想外の答えと理想の答えと違うものが出てきたという二つの理由で、私の目の前がいろんな意味で真っ暗になった。
私はあまりのショックに二の句が継げない状態だったが先輩はさらに質問をしていった。
「それって何時頃だったか覚えていますか?」
「何時からかは忘れたけどパチンコが閉まるまで二人ともいたから夜の11時までいたと思うよ」
少し訛りのある言葉でそう答えるその中年男性。
だがはっきり言って私はショックでもうその言葉も右から左に抜けていってるかのようだった。
なんにせよそれが本当なら、夜の間ずっとあきらくんを探していたという彼らの証言は嘘ということになる。
(一体何でそんな嘘を……?)
ショックで放心しつつも、頭の方ではそのような疑問が思い浮かんでいたが、残念なことに思考が働いていなかった。
「なんで……」
ポツリとつぶやく私、そのつぶやきに対し頼んでもいないのに、先輩が親切のつもりかその私の疑問の続きを口にする。
「なんであのふたりは嘘をついたか、だな」
その時私はなぜか先ほど霧子さんの腕を掴んだ時のことを思い出した。
いや、正確には思い出せていないというか、思い出せなかったことを思い出したというのか。
(あの時私は一体何に違和感を感じたんだろう……?)
あの時はあきらくんを取り戻すことに執心していて、深く考えなかった。
だがあのふたりが嘘をついていたのであれば、あの違和感も何か重要な意味が?
頭が疑問符でいっぱいになった私は、反射的に先輩の方を見るが、先輩の方はこの情報に何か確かな手応えを感じているのか満足気な表情だったが、私は到底そんな気分にはなれなかった。
「でもこれではっきりした。少なくとも昨晩ずっとあきらくんを探していたというのは嘘、あの男性の証言だと雅史はかなりの時間パチンコ屋にいたようだ。気になるのはなんで嘘をついていたかということだが……白井はどう思う?」
「……それはやっぱり雅史さんに何か外で探していたということにしておきたい事情があったとかだと思います。その事情とかはまだわからないですけど」
ひとまず混乱した頭を回しつつ、考えられる無難な可能性を率直に述べつつ、雅史さんを非難しないような言葉遣いに努める。
というのも雅史さんについてさえ否定してしまったら、自分の先程までの気持ちすらも否定するみたいで悔しかった。
「玄関を見たか?玄関には子供用と思われる泥だらけのスニーカーがあった。あれは間違いなく外行き用の靴だ。となるとだ、あきらくんは本当に遊びに行ってたのか?」
「あきらくんは遊びに行ってない……って言うんですか?」
突拍子もない先輩の発想に私は舌を巻きつつも、結局頭の中は整理できておらず疑問符が増えただけだった。
「倉庫の横には手頃な長さの棒も転がっていた。少し合わせてみたが倉庫のつっかえ棒にするなら最適な長さだ」
「つっかえ棒?……それってまさか!?」
一瞬頭の中が一閃しあぶくが一瞬で連鎖的に消えるように、脳内の疑問符のいくつかが弾ける音が聞こえて、次の瞬間には先輩は姿を消していた。
辺りを見回すと、先輩が車に向かってスタスタと歩いていっているのが遠くに見え、私も慌ててその姿を追いかけるのであった。
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