【正義の鎖】第3話「覚悟」

正義の鎖

俺の目を覚ましたのは、煮込まれた鉄鍋のグツグツという音だった。

目の前の完全ににたっている鉄鍋の炎を消し、完全にデリートされた短期記憶を探ろうと部屋の方に戻るが、その部屋の片隅に転がっているものがその手間を省かせてくれた。

そこには安らかな寝息を立て、安心しきった表情でぐっすりと夢へと落ちている少年がいた。
俺はこの子の名を知っていた。
彼の名は香月あきら、俺が昨晩誘拐した6歳の少年である。

(そうか、俺はこの子を誘拐して……)

曖昧な記憶が明瞭になっていき俺は頭を抱え悩み始める。
とはいってもそれは自分の行為を後悔をしているわけではない。
考えているのは今後のことだ。

(さてはてこれからこの子をどうするか……)

顎に手を当て考えていたところ、目の前からゴソゴソという音を聞こえる。
目を落とさずとも、目の前のあきらくんの寝返りの音だというのは明らかだった。

彼は仰向けに向き直るように寝返りを打ち、そしてその間中ずっと何かをもごもごとつぶやいていた。

「……なさい」
「……」
「めんなさい、ごめんなさい……」

俺はその言葉に胸が締め付けられるような思いがする。

「あきらくん……」

俺は跪き、布団で寝ている汗だくのあきらくんの額の汗を蒸しタオルで拭いた。

「もう大丈夫だ。大丈夫だからな」

蒸しタオルで顔を覆うように吹き上げた時である。
俺はあきらくんがすでに目を開けており、その両目でしっかりと自分の顔を見つめていることに気づいた。

 

「……ヒィッ!」

俺の顔を確認するやいなや、あきらくんは言葉にならない悲鳴をあげ、壁際の端にまで飛びのき、まるで壁に背中をこすりつけんばかりに縮こまって布団をかぶる。

「あ、あぁ!すまん!」

怯えさせてしまったことを申し訳なく思うのと同時に、まるで拒絶されるかのように怯えられたことで少し傷心し俺は動けなくなる。
あきらくんは布団をかぶりブルブル震えていた。

ひとしきり布団の中で震えて少し落ち着いたか、布団の隙間からこちらを見る。
だが結果は同じでやはりもう一度悲鳴を上げて、さらに布団を目深にかぶってブルブルと震えてしまうだけだった。

(そんな顔を見るたびに怖がらなくても……)

少し傷つきながら自分の顔を触っている時に俺はあることに気がついた。

(そうか、もしかして……)

そう考え部屋の反対側にある姿見を睨みつける。
そこには右頬にひどいやけどを負った中年男の醜い顔が映っていた。

(そうか……こんな火傷を負ったやつ普通に考えて怖いよな……)

そう考え、俺はなんとかこのあきらくんの恐怖を和らげられないか必死に思案する。

「だ、大丈夫だよあきらくん。このやけどは君と同じでな……」

そう話しかけようとしたとき、ブルブルと震える布団の中からぐーという重低音が響く。
腹の虫がなく音だというのは明らかであったが、俺はここである名案を思いついた。

「お腹減ってるのか?ご飯食べるか?」

俺の人生の中でもこれほど優しい声を出したことがあったかというくらい努めて優しい声で、そのように問いかけると、
それが功を奏したのかあきらくんは布団の中から首をだし、泣き出しそうな顔をのぞかせながら頷く。

「そうか!じゃもうすぐできるから少し待っていてくれな?」

それから数分後、俺は既に鍋の中で煮立っていたじゃがいもの一つに、菜箸をぐさりとつきたてていた。

「これくらい柔らかくなってればいいか……?」

独り言をつぶやきながら仕上げに胡椒をふりかけ、一口すする。
途端に野菜の出汁とコンソメの風味、それにスープの暖かさが口の中に広がる。

後味には少々入れた胡椒の風味がしつこすぎない程度に後を引くのが、また風味を引き立たせている。
完成したポトフのスープと具材をスープ皿へと移し替え、こぼさないよう慎重にお盆にのせるが、そこで先日から抱えていた感情が芽を出す。

(本当にこれでいいと思ってるのか?)

思わずお盆にかけた手が止まる。

(これが正しいと思っているのか?犯罪なんだぞ?今すぐに出頭してすべての問題を警察に委ねるべきだろう)

(いやいや、警察に委ねて問題が本当に解決するか?)

頭の中で別の意見が聞こえる。

(まだ警察に委ねるべきじゃない、その結論がそのまま犯行動機だっていうのにここで出頭しても堂々巡りだとなぜわからないんだ?)

だいたいこういう自問自答の場合、自分の心の中に天使と悪魔がいて、その双方が議論をするという場面をするが、
この場合どちらの意見が天使になるのか、正直今の俺には皆目見当がつかない。

「ちくしょう!悩んでても仕方ない」

現に誘拐してしまい、賽は投げられたのだ。
ルビコン川を渡り始めたカエサルのように後戻りはできない。

そうであればどのような結末だとしても受け入れるしかないであろう。
心の中での議論を終え、少年が監禁されている部屋――とはいっても鍵がかけられたりしているわけでもないのだが――の前で俺は一度立ち止まる。

お盆を片手に持ちかえ、左手で木製のドアをコツコツと叩き、「入るぞ」と声をかけゆっくりとドアを開ける。

それと同時に部屋の中からふっと温風が俺の頬を掠め冷たい廊下へと流れていく。

「ほら、ポトフだ。トマトが入っているが大丈夫かな?」

温かい湯気を立てたスープ皿を凝視し、布団の隙間から目を出したあきらくん。
目を輝かせてはいるが近づこうとはしない。そこで少し俺は意地悪な気持ちになり

「今あまりお腹すいてないならまた後で持ってこうか?」

と軽く発破をかけると、あきらくんははっとしたような表情で、机に置かれたスープ皿に手を伸ばし、瞬きをする暇もないほどの速度で、右手に持ったスプーンを使って、そのポトフのスープの部分をすすった。
しばらくガツガツと食べていたが、次に顔を上げた時には目をキラキラと輝かせる。

「……おいしい」

以上があきらくんがこの家でまともに発した初めての言葉であった。

「そっか、そう言ってもらえると嬉しいな」
「あっ……」

どうやら先ほどの言葉は、無意識のうちに口にしてしまっていたらしく、子供らしい仕草で恥ずかしがるあきら。
まるで女の子のように奥ゆかしい子である。

「おかわりもあるからな」
「……」

食べ物で釣れたかと思ったが、そう上手くはいかないもので、あきらくんは先ほどの無口な子に戻ってしまっているのであった。
だが、美味しそうに食べているアキラの姿を見て、一つ確信することがあった。
それはやはり、彼を誘拐したことは間違いではなかったということであった。

(誰がなんと言おうと俺がこの子を誘拐したのはこの子のためだ、それだけは嘘じゃない)

あきらくんのこと、そしてこの事件のことに関しても、今は不安しかないのも事実ではあったが、不思議と後悔などはなかった。

(俺には俺の信念がある。なんとしてもやりきらないと)

そう思いを新たにし、部屋を後にするのだった。

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