【オフィスのアネモネ】第30話「新しい季節」

オフィスのアネモネ

「片付けは終わりそう?」

「うん、あとはこの荷物を運ぶだけ」

 

晴天のある日、志織はアパートを引っ越しすることになった。
向かうは、山本と一緒に契約したマンションだ。

山本と付き合いをはじめて、トントン拍子に話が進んでいった。

山本が付き合うときに言ってくれた通り、結婚前提に付き合いを開始し、そうそうにプロポーズされた。

同棲もすぐに決まり、来年には挙式をするために会場を探している。

 

山本との生活はありきたりな日常だが、とても充実したものだ。
一緒に生活すると、家事が苦手で、でも掃除は好きだという一面を知った。

料理は志織が担当し、掃除やゴミ出しは山本の仕事になった。
低血圧なのか、朝が弱くて、志織が起こすことが毎朝の仕事である。

休日となると、彼の運転でショッピングに行ったり、たまには遠出をしてキャンプをしたりする。
アウトドアな彼の趣味につきあったり、おとなしい志織の趣味につきあってくれる。

お互いにとって無理のない生活が続く。

 

「家族に会ってほしい」

 

同棲してしばらくして、山本から真面目な顔で言われた。

志織は少し迷った。

まだ山本に打ち明けてはいないことがあったからだ。
山本は交際したらけじめをつけたいと言う。

志織はしばらく考え、両親へのあいさつをすることを決めた。

山本のことを両親に話したら、大喜びだった。
先日実家に帰ったときも、いい人はいないのか?と家族に言われ、笑ってごまかしただけだ。
親も志織のことが気になっているようだった。

日程を調節し、両家で会う日になった。

 

「志織、用意はできた?」

「うん、先に車に乗っていて」

 

志織が家を出ようとすると、ポストに手紙が入っているのに気がついた。
海外からの手紙だった。

 

誰だろう。

運転席にいる山本に声をかけて、手紙の封を切った。
それは海外にいる坂下からの手紙だった。宛先は書いてはいない。
手紙の文末に、彼の名前だけが書いてあった。

 

『前略 お元気ですか?』

 

書出しはシンプルだった。

 

『今は、オーストリアに滞在しています。
ここは花がきれいで、自然も美しいです。
音楽を奏でるまちで、サラと彼女の新しい恋人と一緒に過ごしています。

過ごす日々は、新しい風と、刺激的な時間にあふれています。
そんな自分にも、大きな変化がありました。

旅を一緒に続けていくうちに、すてきな出会いがありました。

実はサラの親戚の子どもを引き取ることにしました。
彼女の両親が、不慮の事故でなくなっていまい、預かる先を探していたそうです。

自分と同じように簡単に子どもを引き取るサラに驚きながらも、やっと自分の居場所が見つけられた気がします。

5歳の女の子は、おしゃまさんで、今は4人での生活を楽しんでいます。
井口さんの背中を押され、こちらにきてよかったと思っています。
子どもの成長は、貴重なもので、今は彼女がいない時間は考えられません。

血のつながりはないけれど、家族という絆を感じられます。
井口さんにもたくさんの幸せが訪れますように
遠い空の下から、あなたの幸福を祈っています。 草々』

 

そして一枚の写真があった。

白いアネモネの花だった。

 

志織はアネモネの花言葉を思い出す。
山本がカフェの店員さんに教えてもらった花言葉。

アネモネは悲しい花言葉のイメージがある。
だが、希望の言葉もあるのだ。

 

白いアネモネは、期待や可能性、真実、純真無垢。

坂下が引き取った女の子のようなかわいらしいお花だ。

志織にとってのアネモネは、心のように時には赤く、時には紫で、青くもなった。
彼によって感情が左右され、愛を知り、嫉妬に悩まされた。

まるで坂下との恋は、アネモネのようだった。
アネモネの恋。

色とりどりの咲くアネモネのように、志織の心は移り変わる。

季節が終わりをつげ、花は枯れ、根を新しくはる。
志織は新しい季節を迎えようとしている。

山本との新しい季節には、何が咲くのだろう。

 

「おーい、志織まだ?」

 

しびれをきらしたのだろう。
山本が車の窓から顔を出す。

志織は慌てて手紙をしまった。

坂下が会社を辞めてからも、志織はかわりなく時間が過ぎた。
山本がそばにいて、志織を支えてくれた。

もう坂下には未練も、恋する気持ちもない。

 

すべては過去のことだ――――

新しい季節を運んでくれるそよ風のように、山本と一緒にいる時間は穏やかだ。

 

「うん、もうすぐ行く」

 

志織は手紙をバッグにしまった。
彼のいないところで、手紙を捨てよう。

―――もう志織にとってはいらないものだから。

 

両親とのあいさつが終わったら、志織は過去の恋愛について山本に打ち明けようとおもった。
志織は山本にもらった婚約指輪をつけて、玄関の扉をしめる。

彼の待つところへ、志織は向かっていく。

坂下が勇気を出して、幸せをつかんだように。
志織も勇気をだして、幸せをつかもう。

もうあの苦しい恋は終わった。
一方的な恋は、もうしなくてもいい。

たくさんの愛にあふれて、白いウエディングドレスをきた花嫁は幸せになるだろう。

新しい季節に美しい花々が咲く季節まで、そう遠くはない。

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