【オフィスのアネモネ】第18話「願い」

オフィスのアネモネ

 

「ありがとうございます……すみません」

「いや、いいんだよ。支払いはもたせて」

 

志織は店の外で坂下を待っていた。
最近は外食も多くなり、おごられてばかりでは申し訳なく、支払いを交互ですることになった。

ただ年上だからと、坂下はいつも支払いを済ませてしまうことが多い。

財布を出してお金を払うというが、坂下は今日も断ってしまった。
あまり彼の負担にはなりたくない。

 

「じゃあ、週末にカフェでも行ったときお願いするよ」

「はい、絶対ですからね」

 

志織はしぶしぶお財布をカバンにしまった。そしてアパートに向かって歩き出す。

 

「坂下さん!」

 

すると、声がかかった。
坂下は振り返り、スーツを着た男性と談笑を始めた。

志織はその男性を知らなかった。
スーツの男性が志織は気がつき、頭を下げる。

 

「キレイな方ですね。坂下さんの奥さん?」

「え……」

 

スーツを着た男性は、話をきくと取引先のひとのようだった。

志織は男性のことばに驚いてしまった。

今まで坂下と歩いていて、カップルを言われたことがあったが、夫婦と言われたことはなかった。

志織は恥ずかしくなってしまう。
志織はどう反応すればいいのか迷って、坂下を見つめた。

 

「キレイなひとだよね、ありがとう」

「ノロケですか、いやいや参ったなあ」

 

坂下は否定することもしなく、男性と仕事の話を続けた。
志織はふたりの邪魔をしたくなかったで、少し離れたところで待っていた。

待っている間も、胸の鼓動が速くなるのを感じていた。

 

夫婦と言われて、坂下は否定しなかった。
少しだけでも期待をしてもいいのだろうか。

彼との未来と、期待してもいいのだろうか。
志織は気分の落ち込みもいっきに晴れていく気持ちだった。

 

なんて自分は単純なのだろう。

坂下の妻のことを知れば気分が落ち込むし、坂下に好かれていると思えば気分はよくなる。
彼のことで、気分が上下を繰り返す。

つらい瞬間はあるが、こういう瞬間がたまらなく愛しい。

 

「では、坂下さんまた」

「はい、よろしくお願いします」

 

話しに区切りがついたようで、男性は離れていった。
志織はそっと頭を下げて、見送る。
すると笑顔で坂下が志織のもとへやってきた。

 

「びっくりしたよ。まさかこんなところで会うとは思わなかった」

「わたしも驚きました」

「話しが上手なひとでね、井口さんのことをほめていたよ」

「はずかしいです」

 

志織は首を横にふった。
それからふたりでゆっくりアパートに向けて歩き出した。

先ほどまでのぎこちない雰囲気はなくなった。

 

「夫婦って言われてしまいましたね」

「そうだね」

 

志織はうれしさのあまり、心に思うままことばを口にしてしまう。

 

「ちょっと想像してしまいました。坂下さんと夫婦になったらって」

「井口さん」

「……坂下さんは、離婚はしないのですか?」

 

志織は少し真剣みを帯びた声で彼に尋ねる。
気分がいい今だから、聞けたと思う。

坂下は志織の表情にはっとして、それから視線をそらした。

 

「すみません……、ただ今ふたりで過ごす時間があまりにもたのしくて。いつまでも続けばいいのにって、何度も思ってしまうのです」

「俺だって楽しいよ。毎日、井口さんと一緒の時間を過ごせて」

「わたしと同じように思ってくれるなら、うれしいです。だからわたしが、いつか離婚しないのかなって思うことは、わがままですか?」

「それは……」

 

聞き分けのいい恋人でいようと何度も思っていた。
でも、何度も思っても気持ちは抑えられない。

 

「いますぐにでなくていいんです。でも、ふたりの将来があるって信じたいです。わたし、坂下さんが好きだから」

 

アパートがそろそろ近づいてくる。

あのアパートについたら、今行ったことは冗談だと言おう。

これ以上、坂下を追い詰めてはいけない。
もしこれ以上言ってしまって、別れようなんて言われたら、志織は生きてはいけないと思った。

 

「坂下さん……、今のは……」

「井口さん!」

 

志織が決めていたことを発しようとしたとき、坂下は語気を強めてことばを遮った。

 

「ごめん、いつかになるけれど。離婚、考えてみるよ」

 

志織は歩みをとめてしまった。
今までいくら願っても、坂下は離婚について触れたことはなかった。
だが、初めて坂下は離婚を考えてくれると言ってくれた。

 

「本当……に?」

「いろいろあって、すぐには無理だと思うけれど。井口さんは大切だから」

 

志織は涙がこぼれてしまった。
坂下のことばがどれほど本気なのかわからない。

でも彼のことばにすがりついてしまいたい。
志織は坂下の胸へ飛び込んだ。
そうすると、彼は力強く抱きしめてくれた。

 

「坂下さん、うれしいです」

 

志織はずっと続いていた悩みが晴れたような感覚を覚えた。

彼が既婚者とわかって、ずっと苦しかった。
いくらサラと坂下が一般的な夫婦と違っていても、絆の強さは一般的な夫婦よりも強く感じられたからだ。

女としていくらがんばって尽くしても、サラと坂下の関係には到底およばないだろうと不安が途切れなかった。

だが、志織は尽くす以外に方法を考えられなかった。

好きなひとのためにがんばりたい。

もっと大人の女性だったら、坂下を翻弄し、楽しませたかもしれない。
でも、少しだけ報われた気がした。

坂下の言葉を信じたいと願った。

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