【オフィスのアネモネ】第17話「触れてはいけない写真」

オフィスのアネモネ

ここのところ続けて、坂下は休日も仕事であった。
志織は坂下がいないのはわかっていたので、鍵を預かって部屋に行っていた。

週末はずっと一緒にご飯を食べていたから、休日に坂下がいないとさびしい。

しかし、彼の部屋にいれば、彼の残り香を感じることができる。
ほんとうなら、あたたかい腕でだきしめてほしいが、仕事ならばしかたない。

自分が高校生なら、きっと恋人と一緒にいないと不安になっただろう。
今だって本当なら不安だと言いたい。

でも自分はもう高校生ではない。だから、さびしくても本心は彼には言わない。

時間があると、不安やさびしさが強くなる。
こんなときこそ、行動に限る。

志織は彼の留守番を引き受けて、部屋の片付けをしていた。
もちろん坂下には了承をえている。

坂下は仕事の机まわり以外は、基本的に触っていいと言ってくれた。
ゴミの仕分けや、クリーニング、そして洗濯物を片付ける。

 

「もう、坂下さんってば。実は洗濯物たたむのは苦手なのかな」

 

家事が完璧に見える坂下。
ひとり暮らしも長いから、志織以上に料理もできる印象を受ける。
ただ洗濯はそれほど得意ではなさそうだ。

定期的にスーツやワイシャツはクリーニングにだしているようだが、洗濯物をたたむのが苦手なようだった。

志織はクローゼットの奥に畳まず積んである下着を手に取った。
雑然と置いてある衣服に、小さく笑ってしまう。

男性でもとてもきれいに洗濯物をたたむ人もいる。
ただ、志織がつきあった男性はみな洗濯物を適当にたたむ人だった。

 

「うわ、奥にある!全部たたみなおさないと」

 

手前にあった衣服を取り出すと、奥からシワになってシャツが出てきた。
適当に積んでしまったから、奥に存在を忘れられていたようだった。

志織はシワになったシャツをとりだし、アイロンをかけてたたみ直した。

志織が整理整頓をすると、部屋に自分の名残がある気がして少しうれしくなる。
ここはもう自分の場所だと思えるようになる。

休日も平日も一緒にいることが多い。
これからもずっとこんな生活が続けばいいのにと、志織は思ってしまう。

 

「あれ、デスクの引き出しが開いている」

 

坂下が触れないでと言った仕事用のデスク。
だが、いつもはしまっている引き出しが開いていた。

一度気になったらどうしても気になってしまう。

しめるくらいならいいだろう。
勝手に中のものを触るつもりはない。

志織は引き出しに手をかける。
しかし好奇心から、中身をみてしまう。

そこにあったのは、写真立てだった。
裏側にしてあり、写真は見えない。

 

だめだ、見てはいけない。

 

瞬時にそう思った。
でも、少しだけ。少しだけなら……

志織は嫌な予感はしていたが、写真を見たかった。
そうして裏返しになっていた写真立てをひっくり返した。

 

「……男の子と、女のひと……?」

 

写真はピアノを弾いている男の子と、ヴァイオリンを奏でる女性だった。
ふたりはお互いの顔をみつめ、楽しそうに楽器をひいていた。

女性は志織と同じくらいであり、とてもきれいなひとだった。
髪の毛が明るく、グレーの瞳でまるでお人形のような女性。

一方、男の子もきれいな顔立ちの子だった。

中学生くらいだろう。どこか、見たことがある顔だ。

 

「いつの写真?」

 

写真の端をみると、写真を撮った年をしることができた。
二十年前の写真だ。そして志織は写真が誰だかわかってしまった。

 

「坂下さんと、サラさんだよね」

 

志織は胸が痛んだ。
この写真を見る限り、ふたりの間に入ることは難しいと思わされる。

ふたりには志織の知らない二十年以上の歳月が存在するのだ。

二十年前といったら、志織はまだ赤ん坊だ。恋なんて知らない。

 

志織は、そのまま写真たてを元の場所にもどした。
もちろん写真は裏返しにした状態だ。

 

わたしはこの写真を見てはいない。

 

そっと引き出しをしまって、何事もなかったように掃除を再開した。
でもその顔は強ばったままだった。

やはり見てはいけなかった。
触るなと言われたのに、好奇心で見てしまった自分への罰かもしれない。
志織は堪えきれず、涙が一粒こぼれてしまった。

 

 

*****

 

 

「どうかした?」

「え……?」

 

志織は、はっと我に返った。
視線の先には、坂下がいた。

坂下は志織の顔をのぞき込んだ。慌てて志織は顔を横にふる。

 

「え、ぼーっとしていました?」

「うん、今日は調子が悪いのかなって」

「ごめんなさい、疲れているのかな」

 

晴れない気分で週末が終わり、いつものように仕事が始まった。
そうして坂下と帰り道、いつものように小料理屋で食事をしていた。

志織は時間ができると、写真のふたりの姿を何度も思い出してしまった。

坂下の妻の存在は知っている。
だけれど、あの写真はリアル過ぎた。

坂下は今でも、サラのことを思っていることを強く感じてしまった。

あの引き出しには、志織と坂下の写真はない。
坂下と志織は、ふたりきりの写真を撮ることなどほとんどないのだ。

 

「今日は、このまま帰ろうか」

「そ、そうですね」

 

心配をかけてはいけない。勘づかれてもいけない。
志織はいつも通りに振る舞おうとする。

坂下が気を利かせて支払いをしてくれた。

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