著者:いとうせいこう 2017年4月に河出書房新社から出版
どんぶらこの主要登場人物
鉢部美智(はちべみち)
ヒロイン。19歳で家を出てからはパートの勤めを転々。展望のない日々に飽き飽きしている。
鉢部繁(はちべしげる)
美智の父。鶏卵販売から野菜栽培まで手を出すが商才はない。労働運動家でもあり原子力の平和利用を推し進めてきた。
鉢部佳江(はちべかえ)
美智の母。一時期は投資に熱中していたが興味を失う。
鉢部和雄(はちべかずお)
美智の兄。片方の目の視力が極端に弱く集中力がない。
紀伊(きい)
美智の娘。自分の恋愛を大切にして親元には寄り付かない。
どんぶらこ の簡単なあらすじ
生まれ育った田舎町を飛び出して大阪で新婚生活をスタートさせた鉢部美智でしたが、夫とも娘の紀伊との関係もうまくいっていません。
故郷に戻ると両親のために介護に明け暮れる日々が続いた末に、将来を悲観した父・繁は自らの生命を絶ちます。
すっかり生きる気力を失った佳江も夫の後を追うように亡くなってしまい、美智は母を川に流すのでした。
どんぶらこ の起承転結
【起】どんぶらこ のあらすじ①
S県の東北部にある山あいの小さな町で生まれた鉢部美智には兄・和雄がしましたが、右目にハンディターミナルを抱えていたためにいつもボンヤリと目を細めています。
父親の繁は地味で肉体的にきつい田植えや芝刈りを、母の佳江は濡れ手であわの株取引を。
何とか息子が自活できるように田植えや電話番を手伝わせようとしましたが、30歳を過ぎても一向にものになりません。
繁と激しいケンカを繰り広げた揚げ句に止めに入った佳江を突き飛ばした和雄が、山をおりて行方が分からなくなったのは1985年の5月28日の夜のことです。
その頃美智は未成年でしたが、町で声をかけてきた男と東大阪市内の公団住宅で同せい中でした。
なかなか子供ができなかった夫婦がようやく長女を授かったのは9年後、紀伊と名付けた娘が居酒屋で知り合った男の子と暮らし始めたのが19歳。
娘が家に帰らなくなると夫も別の女性の部屋に転がり込んでしまい、美智が独りぼっちになったのは2011年5月28日です。
【承】どんぶらこ のあらすじ②
美智は毎月の家賃を遅れずに払うために、一日中ひたすら働き詰めていました。
雇用形態はパートタイムでモニターの上部に右から左に流れてくる数字を、ひとつも間違えずに下方のカーソルに打ち込んでいきます。
この単純作業が何の役に立っているのか分かりませんが、他の人よりも短時間でたくさん入力できたので性に合っていることだけは確かでしょう。
変化のきざしが訪れたのは台所で倒れて頭部を強打した佳江が病院に搬送されて、退院してからは舌が回らなくなり日常生活にも支障をきたすようになってからです。
75歳になるまで食器を洗ったこともなく掃除もしたことがない繁が、佳江の身の回りの世話をできるとは思えません。
東大阪の現在の住まいを引き払った美智は実家に戻ると、母のために食事を作ったりお風呂に入れてあげたりしていました。
鉢部家の借家は軽く傾斜した草だらけの土地に立つ木造一軒家で、すぐ脇は大きな湖につながる支流です。
父から借りた軽トラックを運転しているとミラー越しに湖が光っていて、美智は自分が桃になって漂流しているような気分になってしまいます。
【転】どんぶらこ のあらすじ③
ご先祖から受け継いだ田畑や古いお屋敷を売り払ってはさまざまな商売にくら替えしていた繁でしたが、いずれも長続きしません。
農家仲間のあいだでも金銭トラブルを起こしてもめるようになり、一家の財産は確実に減っていました。
労働組合のメンバーだった過去もあり、核兵器について一般の人よりもよく学んできた繁。
東北の大地震と原発事故があってからは一気に精神の調子を崩していき、11月の晴れた午後に天井に細縄を掛けて首をつってしまいます。
救急車を呼べと佳恵は鬼のような形相で美智の体をたたいていましたが、すでに手遅れなのは明らかです。
内々で執り行いたいのは山々でしたが、生前に繁が契約を済ませていたので地元の施設を使わない訳にはいきません。
遠縁や知人からは花が届き、香典を直接自宅にまで手渡しに来た人は詳しい死因を聞きたいのでしょう。
どんな風にぶら下がっていたのか、予感はあったのか、遺書はあったのか、誰かに恨まれていたのか… お酒で真っ赤になっていた弔問客にしつこく絡まれた美智と佳江は、なぜこんな目に遭わなければならないのかと自問自答します。
【結】どんぶらこ のあらすじ④
自宅から軽トラで30分かけて山道を抜けるとスーパーがあり、ガラスに貼り出されていた「レジ係募集」を見て美智はすぐに応募しました。
時給額は大阪時代とは比べものにならないほどの額ですが、仕事を選んでいる余裕はありません。
お墓についてあれこれと口を出したり戒名もないことを責め立ててくる佳江ですが、食欲は衰えてみるみるうちに痩せていきます。
美智がインターネット通販で見つけたピンクの大きなトランクをアルバイト代で購入したのは、次の人生に必要なものをこの中に詰め込むためです。
佳江にはたまに見切り品のお弁当や賞味期限切れの菓子パンを与えていましたが、年が明けて2週間ほどした真夜中に布団の中をのぞいて見ると息をしていません。
このまま放ったらかしにして出発すれば死体遺棄の罪、死亡届を提出すれば保護責任者遺棄罪。
荷物を出してトランクを空っぽにした美智は、母の遺体を折り曲げて無理やりに押し込みます。
小川べりの斜面の上から真冬の川へ転がり落とすと、ピンク色の輝きを放ちながらどんぶらこ、どんぶらこと消えていくのでした。
どんぶらこ を読んだ読書感想
おじいさんは山で芝刈りではなく田んぼで農作業、おばあさんは川で洗濯ではなくパソコンでデイトレード。
現代のおとぎ話とも言える幕開けですが、本来であれば桃太郎の役割りをするであろう鉢部和雄が早々と物語から退場してしまいます。
主役の座に収まった美智もまだ見ぬ世界に憧れて旅立つものの、ロマンスにもドラマにも縁がないのが残念ですね。
金銀財宝は無理だとしてもせめて父と母に恩返しくらいはしてもバチは当たらなそうですが、終盤に彼女が取った行動は衝撃的でした。
来るべき高齢・無縁社会を予感させるようなストーリーで、老後に不安を抱えている世代はもちろん若い皆さんにも読んでいただきたいと思います。
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