著者:横川黄鳥 2011年6月に文芸社から出版
海の女の主要登場人物
雨包慎一(あまづつみしんいち)
主人公。堅実に公立学校の教職員への道を進む。気ままにひとり旅をするのが趣味。
上原崎子(うえはらさきこ)
慎一の文通相手。生徒との情熱を燃やす教師。モーター・バイクを乗り回すなど活動的。
慎太(しんた)
崎子の息子。地元の小学校に通う。10歳にしては大人びていて都会的。
海の女 の簡単なあらすじ
雨包慎一と上原崎子は文通がきっかけで親しくなっていき、旅行先の熊本県の宿で結ばれました。
結婚を意識し始めましたが崎子の両親からの反対もあり、ふたりの関係は自然と消滅してしまいます。
12年ぶりに伊豆で再会した時に崎子は別の男性と家庭を築いていましたが、ひそかに慎一との間に授かった男児を夫婦の子としてを育てていたのでした。
海の女 の起承転結
【起】海の女 のあらすじ①
雨包慎一が上原崎子と知り合ったのは大学に通っていた2年生の時で、同じラジオの英会話講座を聞いていた縁で手紙のやり取りから始めました。
ひとつ年上の崎子は次の年の春には地元・大分県の小学校に教師として就職が決まり、同じ教育系の学部に所属している慎一は自然と親近感を抱いていきます。
東京の中学校の教師になった慎一でしたが実家から通勤していましたので、給料はそっくりそのまま両親に渡さなければなりません。
臨時収入や月々の自由になるお金を何とか節約して、九州地方への旅行の目通しが立ったのは社会人2年目の夏のことです。
のんびりとした船路を選んで神戸港から瀬戸内海を抜けると、別府港のフェリー乗り場でようやく崎子との対面を果たしました。
大分では高崎山自然公園の猿見物と宇佐八幡詣で、宮崎ではサボテン公園と青島海水浴場、鹿児島では市内観光。
熊本から阿蘇に入ったのは6日目のことで、飛び込みで泊まることができるのは共済組合の加入者が利用できる保養所「大阿蘇荘」くらいです。
【承】海の女 のあらすじ②
ちょうど予約のキャンセルがあったために1部屋だけ空いて、ふたりは10畳の和室に敷かれた1枚の布団の中で抱き合って眠りました。
次の日の朝に崎子にプロポーズをした慎一は、必ず迎えに行くと約束して大分駅で握手をしてから別れます。
慎一の実家は埼玉にありましたが次男という比較的に自由な立場もあって、どこへ行こうと誰と一緒になろうと構いません。
昔かたぎな崎子の父親は九州男児とのお見合いを勧めていて、母親はひとり娘が遠くに行ってしまうことに猛反対です。
川崎市に住んでいる友人と連絡を取った慎一は、崎子のために神奈川県の教員採用試験の日程を問い合わせてもらいました。
ひそかに彼女を上京させて勤め先と住まいを見つけて、こちらで生活基盤を築いてしまえば両親も文句は言えないでしょう。
その後も家族と話し合って状況は好転していたはずの崎子から、「いい思い出だった」というレター・ペーパーが届いたのは10日後のことです。
時が流れるにつれて慎一の脳裏から彼女の記憶は脱落していき、期待していたはずの音沙汰もありません。
【転】海の女 のあらすじ③
それから7年のあいだ慎一は独身の身を貫いていましたが、お世話になっていた人から紹介された女性と義理のように結婚しました。
その後の5年間の結婚生活にはこれといった波乱もときめきもなく、可もなく不可もなしといったところです。
仕事に行き詰まったり不愉快な気持ちが積み重なった時に、あり金をかき集めて気晴らし旅行に出かけるようにしています。
いつものようにひとりで東京発の踊り子号に乗り込んで終点の下田で降りると、海を見るために向かった先は石廊崎です。
断崖ばかりが続いている奥石廊の海岸伝いを歩いていると午後1時を過ぎていましたが、食事ができる場所が見つかりません。
マーガレットの花畑で収穫作業中の年配女性に教えてもらったのは、坂を上がった先の集落の外れにある1軒の食堂「入間屋」です。
後ろで束ねて縛るだけの素っ気ないヘアスタイル、よく日に焼けて黒くなった肌、たくましい胸や足腰。
調理場からポットと茶器をお盆に乗せて運んできた店員は、紛れもなく崎子でした。
【結】海の女 のあらすじ④
キンキンに冷えた生ビール、山菜を上品に盛りつけた小鉢、新鮮なアジのたたき、熱々のサザエのつぼ焼き、シメのお吸い物。
地元で採れたての魚介類を生かした料理は舌がとろけるほどの味わいで、空腹を抱えていた慎一は残らず平らげてしまいました。
漁業に携わる夫の稼ぎだけでは食べていけないという崎子は、ここに来る途中にあったマーガレット畑で栽培の仕事を手伝っています。
たまに産休に入った教員の代用を頼まれたりと、慣れない土地で苦労が多いながらもそれなりに順応しているようです。
母親としても3人の子育てに追われていましたが、1番上の小学4年生になる男の子だけは夫と血がつながっていません。
彼女が入間屋に嫁いできた時にはすでに妊娠していたこと、名前は慎太、面長な顔立ちと目鼻立ちのはっきりとしたなかなかの男前、将来の夢は学校の先生。
帰り際に慎太を両手で抱き上げた慎一は、心の中で我が子に「また来るよ」と呼びかけて立ち去るのでした。
海の女 を読んだ読書感想
ベビー・ブームのために生徒が急増したというセリフがあるために、主人公の雨包慎一が学校の先生になったのはおそらく1970年代前後でしょう。
本来であれば4年かかる教員養成課程を2年で学ばなければならない、「短期速成部門」という制度も時代を感じさせますね。
SNSもインターネットも普及していないために、ラジオや手紙といったツールで若い世代がコミュニケーションを取っていることも懐かしいです。
昔ながらの方法で心を通わせていた慎一と上原崎子が、すれ違いの果てに別々の道を歩んでいくのは胸が痛みます。
歳月を重ねて思わぬ場所での鉢合わせと、ふたりの愛を受け継いだ小さくも希望に満ちた命の存在は感動的でした。
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