「口紅のとき」のネタバレ&あらすじと結末を徹底解説|角田光代

「口紅のとき」

【ネタバレ有り】口紅のとき のあらすじを起承転結でネタバレ解説!

著者:角田光代 2012年1月に求龍堂から出版

口紅のときの主要登場人物


6歳の私(ろくさいのわたし)
母とデパートにお出かけするのが好き。けれども、鏡台の前で口紅を塗る母は知らない人みたいで戸惑う。

12歳(じゅうにさいのわたし)
祖母が亡くなり、最期唇に紅をさされた姿が印象に残る。

18歳(じゅうはっさいのわたし)
高校を卒業し、同級生の彼氏から餞別として口紅を贈られる。

29歳(にじゅうきゅうさいのわたし)
結婚が決まり、義母から口紅を贈られる。

38歳(さんじゅうはっさいのわたし)
仕事・家事・育児に追われる毎日で口紅を塗る暇さえない。

47歳(よんじゅうななさいの私)
娘が17歳になり、誕生日プレゼントとして口紅を贈る。

65歳(ろくじゅうごさいのわたし)
夫の余命がいくばくかになり、毎日違う口紅を塗って見舞う。

79歳(ななじゅうきゅうさいのわたし)
痴呆がはじまり老人ホームに入居する。介護士に久しぶりに口紅を塗ってもらう。

口紅のとき の簡単なあらすじ

6歳、12歳、18歳、29歳、38歳、47歳、65歳、79歳の私の口紅にまつわるお話です。母や祖母が口紅をさしていた姿にはじまり、年頃になり口紅を贈られるようになった私。中年になり、贈られる側から贈る側になり、晩年は自分ではもう口紅をさすことはしなくなってしまいます。女の一生を彩ってくれるアイテムが口紅なのです。

口紅のとき の起承転結

【起】口紅のとき のあらすじ①

幼少期

6歳のわたしの世界は好きなことと嫌いなことで成り立っています。

世界で一番好きなことは、母に連れられていくデパートで、嫌いなことは母と離れ離れになる幼稚園でした。

たった一つ好きとも嫌いとも言えないことがありました。

それは、母が口紅を塗る時間です。

いつもの母の背中とは違い、鏡台に向かい真剣に丁寧に筆で口紅を塗る姿にわたしは不安になりました。

お化粧をしているということは、これから大好きなデパートにお出かけするのだと頭ではわかっているのですが、見慣れない母の後ろ姿にドキドキしてしまうのです。

きれいに縁どられた唇は美しく、塗り終えた母の『さあ、出かけしましょ』という笑い顔にやっと安心するわたし。

世界は好きなことと嫌いなことだけでは成り立たない、むしろどちらともいえないものの方が圧倒的に多いことを、6歳の私はまだ知りません。

【承】口紅のとき のあらすじ②

お年頃

高校の卒業式を終えた私と同級生の彼は、いつもの川べりを行く当てもなく歩いています。

春には二人ともこの町を出て、新しい場所で、新しい生活をはじめる私たちは、ずっと変わらないでいようとか、夏休みや、お正月、春休みには必ず会おうと何度も約束しましたが、その約束はきっと果たされないことを私はわかっています。

新しい出会いや環境に夢中になり、この町のことやお互いのことに興味を失くしていくであろう近い未来が訪れることが。

ふいに彼が小さな包みを寄越しました。

袋を開けてみると、そこには口紅が入っていました。

ぶっきらぼうな彼は恥ずかしいのか、前をどんどん歩いて行ってしまいます。

彼の後を追いながら、私は、変わることはあっても約束は守れなくても、この口紅をつけて新しく恋をした人に会いにいくのは絶対にしないと心の中で誓うのでした。

【転】口紅のとき のあらすじ③

中年期

仕事・家事・育児に追われる私は、化粧っけもなく仕事場と家の往復。

前から歩いてくるおばさんが避けてくれないと思ったら、それはショーウインドウにうつった自分の姿でした。

忙殺される毎日にいつしか口紅さえまともに塗らなくなってしまった私。

仕事帰りに買ってきた総菜を食卓に運びながら、女を忘れている自分に物寂しさをおぼえます。

そして幼少の頃に、自分の母親がデパートに出掛ける前、鏡台の前で口紅を真剣に丁寧に塗っていた姿が浮かびます。

翌朝、いつもより少し早起きをして、軽いお化粧に口紅をさした私。

そんな私を見て、娘が『今日のお母さん、迫力があっていい感じ』と声をかけてきます。

そして娘の17歳の誕生日には、初めての口紅を贈ることにした私。

夫は娘にはまだ早いと言っているけれど、来年には娘も18歳になります。

あんなに小さかった娘も、口紅が似合う年頃になったのかと思うと胸がいっぱいになります。

【結】口紅のとき のあらすじ④

晩年

29歳に結婚して以来ずっと一緒にいた夫が、じきにあの世へ旅たちます。

私は毎日、違う口紅を塗って、寝たきりの夫のもとへ通います。

口紅を塗るくらい余裕がないのだと夫に思わせたくないし、病室はあまりに色が無さすぎるので、これまで買っては捨てずにとってきた数々の口紅で少しくらい色鮮やかに。

誰かのために口紅を塗ることの幸せを、私はもうじきできなくなります。

そして79歳、私は老人ホームで暮らしています。

毎日気に食わないことばかり。

赤ちゃん言葉で話しかけられるのも、お遊戯みたいなことをさせられるのも馬鹿馬鹿しくて不満です。

なので、全部無視することにしました。

耳が遠いわけでも、ぼけたわけでもないと思っている私ですが、実のところは、時系列や人の顔を認識するのが難しくなってきています。

それを知られるのも嫌なので、すべて無視して防御しているのです。

そんなある日、老人ホームに美容介護士がやって来ます。

久しぶりにお化粧してもらう私。

はじめは、こんな年寄りが今さらお化粧なんて馬鹿馬鹿しいと心の中で毒づいていた私ですが、若い介護士の手が肌に気持ちよく、だんだん固くなっていた心がゆっくりほどけていきます。

最後に丁寧に筆を使って口紅を塗ってもらい、手鏡を渡されのぞきこむとそこには、桃のようにすべやかな頬をした10代のわたしの姿がうつっていました。

驚いて目をみはると、20代の私ー世の中には好きなことと嫌いなことだけでは割り切れないことが多すぎると知り始め、欲しい物は何一つこぼさず手のひらにおさめようとしていた頃の私が。

そして、がむしゃらに働き、急いで家に帰りお米を研いでいた30代の私の顔になり、目元や口元に皺ができ、子供たちの未来が輝くものであるように祈っていた40代の私が。

50代になり、子供たちが独立し、自由な時間が増え、夫と旅行に出掛けたりしていた頃の私、そして、長年連れ添った夫に先立たれ、あの人のことを思い出すことで日が過ぎていった60代になり、いつしか、今の私の姿が手鏡には映っていました。

ああ、私ってなんて綺麗だったんだろう、今だってなんて美しいんだろうと思う私。

来月また来るという介護士に『ありがとう。

待ってる。

』と久しぶりに声を出して話す私がそこにはいました。

口紅のとき を読んだ読書感想

一番はじめに手にした化粧品は口紅でした。

母が真っ赤な口紅を持っていたので、三女でませていた私は6歳頃にはたまに塗ってもらっていたように思います。

ある一人の女性の一生と口紅について綴った『口紅のとき』は、写真家の上田義彦さんが撮影した女性と口紅の写真も印象的な一冊です。

初めて口紅を男の子から贈られてくすぐったいエピソードや、結婚式を前に新品ではなく、使い慣れた口紅を塗ることで、結婚生活はきらびやかなものではなく、日常の積み重ねだと教えてくれるもの等、口紅をキーポイントに物語が展開されていきます。

晩年の65歳、79歳の話は短編ながら涙ぐんでしまうほど美しく切ないです。

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