「二人の友」のネタバレ&あらすじと結末を徹底解説|森鴎外

「二人の友」森鴎外

【ネタバレ有り】二人の友 のあらすじを起承転結でネタバレ解説!

著者:森鴎外 1971年6月に筑摩書房から出版

二人の友の主要登場人物

私(わたし)
役人。東京から小倉に単身赴任。小倉の宿に宿泊して役所へ勤務している。ドイツ語やドイツ哲学に造形が深く、探究心のある人を引きつける性格。

F君(えふくん)
自信家。ドイツ語の語法や文法が得意。東京から小倉にやってきて「私」とは面識がないにも関わらず、いきなり宿にいる「私」を訪問する。私は驚きつつもF君の語学力を認め、所持金を持っていないF君に宿と仕事を紹介する。

安國寺(あんこくじ) 
純粋でまじめな若い僧侶。「私」の宿に毎日のようにやってきて「私」が安國寺にドイツ哲学を教え、安國寺は「私」に「唯識論」を教授する間柄。

女子学生(じょしがくせい)
目立たないごく普通の学生。F君や安國寺と同じ下宿屋に部屋を借りている。

二人の友 の簡単なあらすじ

 役人の「私」は東京から小倉へ赴任します。ある日、宿舎にしている宿に自信家のF君が訪ねてきます。彼の習得したドイツ語の語学力に感服した私は所持金や仕事もないばかりか住む当てもない彼に宿とドイツ語教師の職を紹介、F君との交友が始まります。 僧侶の安國寺さんとは互いの専門知識を教え合う仲で親しくなっていきます。やがて「私」は東京へ移動、そこへ追いかけるように二人が現われます。「私」の家に隣接する下宿屋で暮らし始めた二人ですが、下宿屋の2階に下宿する女学生を軸に物語が展開していきます。

二人の友 の起承転結

【起】二人の友 のあらすじ①

突然の訪問者

 役人の「私」は東京から赴任先の小倉で日中の仕事が終わり、いつものように滞在先の宿で休んでいました。

すると、突然、事前の連絡も無く、F君が訪ねてきました。

初対面のF君は二十歳を過ぎた青年でドイツ語に相当自信があるらしく、東京ではドイツ人教師も含めて満足しないのでドイツ語に造形の深い「私」にドイツ語を習いたいと言い放ちます。

 F君の実力を怪しんだ「私」は手近にあったドイツ語の原書を開いてF君に訳させます。

ところがF君は「私」が驚くほどの語学力を備えていました。

さらに「私」が驚かされたのは東京から小倉までの交通費で所持金を使い果たし、今晩泊まるところもない、是非「私」のところで「住み込み書生」にしてほしいと、懇願されたことでした。

 「私」はF君の申し出を断りました。

その代わりに宿とF君の語学力が生かせる仕事を紹介しました。

「私」が小倉赴任で初めて宿泊した『立見』という宿をF君に紹介、またドイツ語教師を探していた『青年の団体』に就職を斡旋します。

F君との交友の始まりでした。

 

【承】二人の友 のあらすじ②

F君の宿

「私」の斡旋で『青年の団体』にドイツ語の教師として職に就いたF君は毎日のように「私」の宿へやってきました。

F君が自分で考えた団体で講義するドイツ語の伝授方法に対して「私」のアドバイスを受けるためです。

しかし「私」はお互いのドイツ語に対する取り組み、考え方の違いに対して議論を交わすことの方が面白くなってきました。

 しばらくして、「私」は自分が紹介したF君の宿『立見』を訪ねてみることにします。

『立見』は狆(チン)という小型犬を飼っている、よく気のつく、しっかりした寡婦が切り盛りしていました。

F君の部屋は客の宿泊用の部屋ではなく、表通りに向いた二階の小部屋でした。

寒さが増してくる季節にも関わらず薄着で出迎えてくれたF君と火鉢を挟んで対座します。

恵比寿ビールの空箱に高い原書が収まっているのを見つけます。

それは高価な本で宿代も自分で払っているF君の懐具合が苦しいのがわかります。

「私」は自分の宿に帰ると女中に古着を持たせてF君の宿へ持って行かせました。

 その後「私」はフランス人の宣教師にフランス語を習うことになり、F君とのドイツ語談義の時間は減少しましたが中断することはありませんでした。

やがて、F君は山口県の高等学校へ就職が決まり赴任していきました。

【転】二人の友 のあらすじ③

もう一人の友と

 安國寺さんは若い僧侶で、「私」が役所の仕事が終わる頃に宿へ現われ、夕食前の時間に「私」が安國寺さんへドイツ哲学の原書講読を施し、安國寺さんは「私」に大乗仏教の根幹の思想「唯識論」を講義するという間柄でした。

 やがて「私」は3年あまりに及んだ小倉での勤務を終え東京へ移動が決まります。

小倉の停車場で別れを惜しんでくれた安國寺さんでしたが、どうしても「私」との講義のやりとりを続けたいという思いが捨てきれません。

そこでついに住職の地位を他の僧侶に譲り、上京します。

そして「私」の家の隣に建った2階建ての下宿屋に引っ越してきました。

ところが東京に戻って多忙になった「私」は安國寺さんと講義の時間を作ることが容易ではなくなりました。

 そのうちF君も山口県の高等学校の職を辞し、安國寺さんと同じアパートへ引っ越してきたのです。

そこで私の代わりにF君がドイツ哲学の原書講読を安國寺さんへ教授することになりましたが、文法重視のF君の講義に安國寺さんは戸惑い、苦労したようです。

 下宿人の入れ替わりが頻繁な下宿屋でしたが安國寺さんもF君もその下宿屋で生活を続けました。

その間にF君は第一高等学校の教授の職に就きますが引っ越しはしませんでした。

【結】二人の友 のあらすじ④

運命

 隣の下宿屋には「私」の家から見える2階の一室に女子学生が住んでいました。

控えめで目立たない学生で、安國寺さん、F君と同様に他へ移ることもなく長くこの下宿屋にいました。

  ある日、「私」は近所で噂話を耳にします。

F君と女学生が恋仲になり、結婚を決心、しかし女学生の両親は反対の態度を崩しません。

無遠慮でエゴイストのF君に女学生の両親は好感を持てなかったようです。

そこで安國寺さんが九州へ一時的な帰省の折り、F君と女学生の結婚に反対している女学生の両親を説得するために四国へ立ち寄るという噂でした。

 噂は本当でした。

誠実で浮き世離れした安國寺さんの性格が幸いし、女学生の両親は安國寺さんの説得に応じました。

そしてF君と女学生は無事に結婚することができたのでした。

F君と女学生は下宿を出て小石川に所帯を持ちました。

やがてロシアとの戦争が始まり、「私」は満州への赴任を命ぜられます。

出発の日、新橋の停車場に見送りに来たF君からドイツ語で書かれたロシア語の文法書を贈られます。

「私」はロシアとの戦争が終結した後に帰国します。

安國寺さんは郷里に帰り、小倉の山中の寺院で住職になっていましたが、F君は相変わらず小石川に住み、第一高等学校に勤めています。

しかし「私」は帰国後多忙のためF君とは通勤の市電で何度か偶然乗り合わせるくらいで、ゆっくり話をする機会はありませんでした。

それから数年後のことです。

F君が喉頭がんで急逝していたことを人づてに聞いたのです。

二人の友 を読んだ読書感想

「私」とF君、安國寺さんは今から100年以上前、明治時代の人物です。

「私」は役人すなわち公務員、F君はドイツ語の教師、安國寺さんは僧侶、それぞれ職業を持ち社会との接点をもっています。

それでもF君や安國寺さんは「私」との交友や個人的勉強継続のために簡単に仕事を辞め、居住地を離れてしまいます。

SNSが発達した現代では信じがたい行動と思われるかも知れません。

 しかも「私」もF君も安國寺さんも全く想像上の人物ではなく、現実に存在したひとたちです。

「私」は森鴎外。

旧陸軍第12師団軍医部長として1899年(明治32年)6月から1902年(明治35年4月)まで小倉に赴任していました。

F君こと 福間 博(ふくま ひろし)はドイツ語学者で第一高等学校(現東京大学教養学部)の教授になり、芥川龍之介にもドイツ語を教えていました。

安國寺さんは(小倉北区竪町1丁目)に存在する安國寺(室町時代創建)の第27代住職でした。

現代社会では気心が知れた友人と向かい合って(あるいは酒を酌み交わしながら)時間を忘れて議論するといった関係性は賛否はともかく失われつつあるのでしょう。

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