著者:石原燃 2020年7月に文藝春秋から出版
赤い砂を蹴るの主要登場人物
南千夏(みなみちか)
四十代なかば。フリーのライター。物語の語り手である〈私〉。
恭子(きょうこ)
千夏の母親。画家、美大の教師。肺がんのため、一年数か月前に死亡。
大輝(だいき)
千夏の異父弟。幼いころに死亡。
芽衣子(めいこ)
六十代。恭子の友人。日系ブラジル人。
雅尚(まさなお)
芽衣子の夫。アル中で先日死亡。
赤い砂を蹴る の簡単なあらすじ
フリーライターの千夏は、画家であった母を癌で亡くしたあと、母の友人である芽衣子に誘われて、ブラジルへ旅行に来ました。
芽衣子は、昔ブラジルに住んでいた日系二世で、帰化用の書類を作成するために、ブラジルに来たのです。
ブラジルの地で、千夏と芽衣子は、亡くなった家族にまつわるさまざまな出来事を思い出します……。
赤い砂を蹴る の起承転結
【起】赤い砂を蹴る のあらすじ①
〈私〉は、母の友人である芽衣子さんと一緒に、ブラジルに来ています。
サンパウロの空港からバスに乗って九時間かかる、香月農場をめざしています。
〈私〉の母は画家であり、美大で絵を教えていました。
その母は、二年前に肺癌と診断され、その数ヶ月後に亡くなりました。
また〈私〉には父の違う弟がいましたが、幼い頃にお風呂で亡くなっています。
弟の死後、〈私〉は母と二人で暮らしてきたのでした。
芽衣子さんは、以前、母の友人の紹介で母を手伝いにきてくれた人で、それ以来、ずっと母と友人関係にありました。
芽衣子さんは日系ブラジル人で、二十歳のときに来日して、雅尚という男性と結婚しました。
四十年たち、雅尚はアルコール依存症になり、芽衣子さんに暴力をふるったあげくに、お風呂で亡くなりました。
芽衣子さんは日本に帰化しようと思っています。
その書類を作成するために、一度ブラジルに行かないといけないそうです。
母が生きているときは、芽衣子さんは母を誘っていました。
母が亡くなった今、母の代わりというのでしょうか、芽衣子さんは〈私〉を誘ったのです。
〈私〉はその誘いに応じて、ブラジルに来ることにしたのでした。
さて、目的地の香月農場は、芽衣子さんの親の代の日本人たちが入植して、開拓した農場です。
芽衣子さんは七人兄姉の末っ子です。
でも本当は、彼女は、次女が産んだ私生児でした。
それを、祖父母が自分たちの子どもということにして、育てたのでした。
【承】赤い砂を蹴る のあらすじ②
〈私〉はゲストハウスの一室で、芽衣子さんと二人で寝ました。
そういえば、今年の春、もし母が生きていたなら七十歳になっていた誕生日を、〈私〉は芽衣子さんと一緒に祝ったものでした。
さらに昔のことですが、弟の大輝が亡くなってから、〈私〉は母と距離をとるようになりました。
大学三年の頃、母が湯川という小説家の男を同居させると、〈私〉のほうが家を出ました。
湯川は生活がだらしなくて、芽衣子さんの勧めもあって、母はようやく彼を追い出したのでした。
また、癌の闘病中、母は芽衣子さんに、こんなことをお願いしていました、自分の死後、千夏の父が近づいてきて、千夏を丸め込もうとするから注意してほしい、と。
実際、母の死後、その父から、書留で香典が送られてきましたが、〈私〉は受け取りを拒否したのでした。
父といえば、大輝の父とこんなことがありました。
大輝が亡くなったあと、母は〈私〉をつれて大輝の父を訪ねていきました。
〈私〉が中一の夏でした。
寝ている間に、大輝の父は忍び寄ってきて、〈私〉のパジャマを脱がせようとしたのでした。
さて、話は現在のブラジルにもどります。
芽衣子さんは、三女のエツコさんに、書類の記入を頼みます。
エツコさんは、面倒だとぶつぶつと文句を言います。
出生証明書を取らないといけないので、エツコさんの夫が役場へ芽衣子さんをつれていってくれました。
出生証明書は、なんとか滞在期間中に間に合うようです。
エツコさんは、芽衣子さんが帰化しようとする気持ちは理解しています。
なにしろ、もう四十年も日本に住んで、子や孫も日本にいるのですから。
【転】赤い砂を蹴る のあらすじ③
背中が痛む芽衣子さんのために、次女のエツコさんは、彼女を占い師のところへ連れていくことにします。
その途中、香月農場から派生してつくられた明生農場に立ち寄り、ザボンを採りました。
エツコさんから思い出話を聞くうちに、香月農場をひらいた香月功のことが話題にのぼります。
香月は、力でまわりを押さえつけるような、まさしく昔かたぎの男でした。
香月が料亭で火事にあって亡くなったとき、けっこう彼の悪口を言う人がいたようです。
さて、芽衣子さんが占い師にみてもらったところ、亡くなった義母と夫の霊が背中に乗っており、「生前悪いことをした」と謝っているそうです。
占い師が芽衣子さんの背中をさすると、煙が立ち昇ったとのことです。
香月農場に戻ると、長男で、現在の農場代表であるヨウイチが、交通事故で亡くなった、という知らせが来ました。
皆、ショックを受けます。
それでも、二十四時間以内に葬儀を行わないといけない決まりなので、皆、忙しく立ちまわります。
その夜、停電が起きました。
農場の外へ出てみると、星がとてもきれいです。
そうした出来事の合間に、〈私〉は昔のことを思い出しています。
弟の大輝が死にそうになっていたときに人工呼吸をしてあげたこと、でも知識が間違っていたためにそれが無駄だったこと、母が妻子ある男との間に大輝を産み、女手一つで育てたことが、大輝の死の遠因になっていると世間から責められたこと、その母が癌になり、あるとき急に容態が悪化してあっけなく亡くなったこと、などなど、いろいろ思い出されるのでした。
【結】赤い砂を蹴る のあらすじ④
〈私〉は、母が死んだときのことを思い出します。
癌が急に悪化し、医者からは、あと一、二週間の命だと言われました。
しかし、実際には、それから三日後に母は亡くなったのです。
亡くなる前の晩、看護師から帰らないほうがよいと言われ、付き添いました。
芽衣子さんも来てくれました。
本当はしゃべることもできない母が、そのときは〈私〉に話しかけてくれたように、今は思い出します。
「自分は好き勝手に生きた。
だからあなたも好きに生きてよいのだ」と、そう言ってくれたようでした。
〈私〉は、母の死を捨てるのではなく、抱えたまま、自分を肯定して生きていける気がしています。
一方、香月農場では、ヨウイチの葬儀が滞りなく執り行われました。
芽衣子さんは、夫の雅尚や義母の思い出を語ります。
雅尚は、最後のころはアル中の暴力男でしたが、バックパッカーとして農場にやってきたころの青年の彼とのことを思い出すのだそうです。
結婚して、さまざまに嫌なことがありました。
でも芽衣子さんは、夫に生きていてもらって、ブラジルに連れてきたかったのだ、と、初めて自分の気持ちに気がつきました。
芽衣子さんも、夫や義母の死を否定することなく、ありのままに受け入れて、肯定して生きていくようです。
農場に、久しぶりの雨がふります。
赤い砂を蹴る を読んだ読書感想
第163回芥川賞候補作です。
エンタメ小説とは異なり、起伏に富んだ波乱万丈のストーリーがある、というわけではありません。
二人の女性がブラジル旅行している間に、自分たちの過去のさまざまな出来事を回想する、という、言ってみれば、ただそれだけのお話です。
にもかかわらず、非常に強い感銘を受ける作品でした。
二人の女性は、必ずしも幸福に満ちた半生を送ってきたわけではありません。
二人とも大切な家族と死に別れていますし、その家族が生きている間も、つらい目にあっています。
それでも二人は、それまでの悲しみとか死とかを、否定するのではなく、ありのままにとらえ、肯定し、前向きに生きていこうとしています。
二人の人生はほろ苦いかもしれませんが、ともしびが灯ったような光が感じられるのです。
そして、その「光」が、読んでいるこちらの胸に暖かさを与えてくれるのです。
本作は、希望と勇気の物語だと感じられました。
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