「鼻に挟み撃ち」のネタバレ&あらすじと結末を徹底解説|いとうせいこう

「鼻に挟み撃ち」のネタバレ&あらすじと結末を徹底解説|いとうせいこう

著者:いとうせいこう 2017年11月に集英社から出版

鼻に挟み撃ちの主要登場人物

わたし(わたし)
物語の語り手。文筆業から役者まで幅広く手掛ける。思い込みが激しく熱中すると止まらない。

父(ちち)
わたしの父親。労働運動家でぜいたくを憎む。

母(はは)
わたしの母親。うまく家計をやりくりして食生活も質素。

後藤明生(ごとうめいせい)
わたしの恩師。異端の作家でひょうひょうとしていた。

大竹(おおたけ)
わたしの先輩でコントグループのリーダー。急なアクシデントにも動じない。

鼻に挟み撃ち の簡単なあらすじ

幼い頃に読んだゴーゴリの小説に衝撃をうけた「わたし」が、小説家として成功できたのは師と仰いでいた後藤明生のおかげです。

後藤が死去してからは気持ちの浮き沈みに悩まされる日々ですが、何とか活動の場を広げていきます。

そんな矢先にマスクを被る風潮が流行していくことに危機感を覚えたわたしは、公衆の前に立ち警鐘をならすのでした。

鼻に挟み撃ち の起承転結

【起】鼻に挟み撃ち のあらすじ①

パンから鼻へ抜けて本の世界へ

高度経済成長期を迎えていた昭和40年代、わたしの父親は左翼系政党の職員として活動していて貧しさを何よりもの美徳と考えています。

母が毎朝起きて用意するのはトースターで焼いた食パンが1枚だけ、たまにベーコンか目玉焼きがつけば良いほう。

わたしが母のトーストを食べられなくなってしまったのは、ロシアの文豪ニコライ・ゴーゴリの短編「鼻」を読んでからです。

舞台はペテルブルグ、主人公は理髪店に勤めるイワン・ヤーコウレヴィッチ、ある日の朝食のパンの中から出てきたのは切断された人間の鼻。

警察沙汰になる前にいかにして始末するのかが見所で、破天荒な筋書きとブラックな笑いに夢中になってしまいました。

自分でも物語を書いてみたくなったわたしが最初の本を出版すると、押上の自宅のポストに日本文芸家協会からの1枚のはがきが。

集団に属することが極端に苦手だったわたしですが、差出人の「後藤明生」には魅力を感じたために記載された電話番号に連絡してみます。

【承】鼻に挟み撃ち のあらすじ②

孤高の文学者に鼻をへし折られて

後藤の作風は過激というよりも内向的で、わたしが個人的に傑作として挙げるのが「ハサミウチ」です。

主人公は朝鮮半島の永興で1945年8月15日を迎えることになった中学生の赤木、テーマは侵略戦争と戦後民主主義に挟まれた苦悩。

多少難しいことでも理解できると過信していたわたしは、ページをめくった瞬間に鼻をへし折られたような気持ちでした。

テレビゲームのような面白さを第一にして若者にウケないと不安になるわたし、切れ味のいい刃物のような感性を文章の向こう側で光らせていた後藤。

その後藤と対面する機会があったわたし、どうしても聞いてみたいのは文芸家協会に入ると何かメリットがあるのか。

「協会の墓に入れます」とポーカーフェイスで答えた後藤、じわりじわりとその人柄に影響を受けてかけがえのない存在へと変わっていきます。

その後藤が67歳でこの世を去ったのが1999年、社会全体が世紀末のムードに包まれていきわたし自身も暗たんとして気持ちが晴れません。

【転】鼻に挟み撃ち のあらすじ③

ドキドキのステージに立つ

学生時代からひと回り上の世代とコントをやっていたわたし、そのメンバーの中でも中心的な大竹が毎年やっている舞台に出演することに。

学問に専念するのは学者、小説家は常に門外漢であれと生前の後藤に言われていたからです。

本番が近づくにつれて心拍数は異常なほど高くなっていき、劇場へ向かう電車でも汗が吹きでて1カ所に落ち着いていられません。

神経をわずらっていること、パニック障害と診断されたこと、とても怖くて人前に出られないこと。

すべてを大竹に打ち明けましたが、すでにチケットは全国で完売していてばくだいなお金が動いていました。

スタッフが大部屋へ運んできた掛け布団にもぐり込んだわたし、リハーサルもセリフの読み合わせもこの中で行います。

強い安定剤を口に入れて何とか公演をやり遂げることができたのは、「やれるところまででいい」という大竹の言葉に救われたからでしょう。

大役を務めたわたし、心の病はたまにやって来る予期範囲のあいだで収まるようになり日常生活に支障はありません。

【結】鼻に挟み撃ち のあらすじ④

不都合な真実を覆うもの

2013年4月27日の日曜日の夕暮れ時、わたしは演説の場所にお茶の水駅の聖橋のたもとを選びます。

すぐ下方を流れる隅田川が、ヤーコウレヴィッチが鼻を遺棄したネヴァ川にそっくりだったからです。

冬はインフルエンザ予防、春は花粉症対策、SARSによるウイルスの流行、福島第一原発の放射能もれ… 世界が空気を信用しなくなったこの10年、日本人はすっかりマスクを手放せなくなってしまいました。

路上でもめごとが発生しても知らんぷりできますし、顔を見られることもないために立ち去っても非難されません。

わたしの話に賛同してくれた人は少しずつ膨れ上がっていき、スマートフォンをかざしている人もいるためにリアルタイムで配信されていきます。

ついには横断歩道にまであふれかえった聴衆と、通報を受けて駆け付けた警察官との挟み撃ちに。

事前に集会・デモの申請をしていないわたしは、道路交通法に違反しているとして拘束されるでしょう。

赤いランプをつけた装甲車がゆっくりと近づいてくる中、わたしはマスクの上から鼻がなくなっていないか恐る恐る確認するのでした。

鼻に挟み撃ち を読んだ読書感想

ストーリーの時代設定は2013年、当時であればマスクをしながら街頭で演説をする男は都心のターミナルでは異彩を放っていたでしょう。

コロナ禍によってマスク生活が当たり前となった今ふたたび読み返してみると、まさに閉塞感を言い当てているような気がしました。

お笑いタレントからミュージシャンまでと多様な「顔」を持つ著者とすれば、他人の表情が読み取れないことにいち早く違和感を覚えていたのかもしれません。

そんないとうせいこうさんの生き写しとも言える主人公が終盤に打ってでる大勝負は、決して独りよがりと笑えませんね。

この国全体が危うい方向へと走っていることを、鋭く指摘しているはずです。

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