著者:戌井昭人 2012年8月に新潮社から出版
ひっの主要登場人物
おれ(おれ)
物語の語り手。業務用油脂メーカーに勤めていたが26歳になった現在は無職。アルコールが原因で仕事にも人間関係に失敗している。
ヒサシ(ひさし)
おれの伯父。「ひっさん」の愛称で親しまれた作曲家。強気な発言が多く浮世ばなれしている。
とし子(としこ)
おれの母。下町で生まれ育った働き者。
下野(しもの)
ヒサシの友人。造船会社の別荘を買い取って民宿を始める。大工仕事が得意で料理もうまい。
気球さん(ききゅうさん)
ヒサシの釣り仲間。本名も出身地も不明。
ひっ の簡単なあらすじ
仕事を辞めてブラブラとしていた「おれ」が日本を飛び出したのは、母親の兄・ヒサシのひと言がきっかけです。
1年ほど海外を放浪してから帰国するとすでにヒサシは病死していたために、遺言に従って遺品を整理します。
生前にヒサシと親しくしていた人たちと交流を深めたおれは、これまでのいい加減な生き方を考え直し始めるのでした。
ひっ の起承転結
【起】ひっ のあらすじ①
離婚して女手ひとつでおれを育ててくれた母・とし子は上野の下谷出身で、ヒサシという名前の兄がいました。
15歳で家を出て極道の世界に足を踏み入れましたが、対立する組織の構成員に狙われたためにフィリピンに高飛びします。
観光案内や拳銃の密輸にまで手を出して生計を立てていたヒサシが、日本に戻ってカルチャーセンターのギター教室に通い出したのは29歳の時です。
高級クラブで弾き語りをしているうちにプロデューサーに見出だされて、次々に作曲の依頼が舞い込んできました。
てテレビやラジオに「ひっさん」として出演していたヒサシですが、逆恨みから腹部を包丁で刺されたのを契機に芸能界を引退します。
引っ越し先に選んだのは海を見渡す半島の先の丘に立つ木造2階建ての納屋で、管理しているのは横須賀の不動産屋です。
高校生になったおれは学校をサボってヒサシと一緒に釣りをしたりお酒を飲んだりしていましたが、大学に入ると山岳サークルで忙しく半島に行く暇はありません。
【承】ひっ のあらすじ②
大学の先輩から紹介してもらったのは上野にある工業用の油脂を扱う会社で、おれが配属されたのは飛び込みで営業を行う部署です。
やる気がないために営業成績は新入社員の中でも最低ですが、他にこれといってやりたいこともありません。
2年目に酔っぱらいながら外回りをしていたところを車に跳ねられてクビになり、品川の実家に戻ってからは眠っているか酒を飲んでいるかの毎日でした。
心配したとし子は唯一の身内である兄に相談したようで、おれは久しぶりに半島のヒサシの家に呼び出されます。
「もっと行動範囲をデカくしろ」とヒサシから説教を受けたおれが、物置小屋で見つけたのは年代物らしきギターです。
勝手に持ち出して川崎の楽器店で売ると70万円ほどになったために、その日のうちにタイまでの航空券を購入します。
バンコクから寝台列車でインドへ、ニューデリーのイスラム集落を抜けた先はガンジス川、バスで北上してネパールへ入国、カトマンズのカジノで豪遊。
自由気ままに旅を続けて1年ぶりに日本に戻ってくると、ヒサシは心臓病で亡くなっていました。
【転】ひっ のあらすじ③
半年前に心臓の手術を受けていたヒサシは半島の家を妹に譲る手続きを進めていて、通夜や葬式は生前の意向で一切行われていません。
楽譜を書いたノートは「気球さん」へ、燃やせるものは全部燃やす、残りはぶどう棚の下に穴を掘って埋める。
万が一の時のために事細かにとし子に指示を出していたヒサシは、何となく自らの死期を悟っていたのでしょう。
とし子に頼まれて半島に出向いたおれは、ダンボール箱でふたつほどの量にまとめたガラクタに火を付けました。
庭から空へと上った煙を見て、丘を下った浜辺で民宿を経営している下野が駆け付けてきます。
ヒサシがこの家に移り住んだ時に改装を手伝ってくれた人でもあり、遺体の第1発見者でもある中年男性です。
高級木材が自慢の「民宿しもの」に招待されたおれは、ヒサシが大好きだったしめじチャーハンとビールを片手に思い出話に聞き入りました。
妻に逃げられた下野とやたらとモテたヒサシは不思議と気が合ったこと、お互いに独り身なために老後は助け合って生きていくと約束したこと、ギターを抱えたままで眠るような死に顔だったこと。
食堂の大きなガラス窓から海と富士山を見ていたおれは、ヒサシが死んでしまう前に会いにくればよかったと後悔します。
【結】ひっ のあらすじ④
気球さんは半島の外れの洞窟内に全裸で住んでいる人で、ヒサシとは気が合って海に付き出した岩場で一緒に釣りをしていた仲です。
気球に乗ってハワイまで行こうとしたら海に転落して、気が付いたらここに流れ着いたために自分の名前もどこに住んでいたのかも覚えていません。
片付けが終わったおれが洞窟まで会いに行くと気球さんは相変わらずの裸で、受け取った5冊ほどのノートを読み終わる度にたき火の中に投げ込んでいきます。
気球さんが再び飛び立ったのはそれから間もなくのことですが、桜木町のランドマークタワーの観覧車に引っ掛かった末に警察に保護されました。
身元引受人になったおれはネパールのお土産である赤いセーターを気球さんに着せてあげて、中華街で食事をした後で電車で一緒に半島まで連れ帰ります。
風が読めなかったという気球さんは洞窟に戻って3度目のフライトに挑戦するらしく、まるで懲りていません。
ここに来る途中にあった漁師小屋の壁に「働ける人募集」というぶっきらぼうな張り紙が気になっていたおれは、明日にでも訪ねて「働けます」と申し出るつもりです。
ひっ を読んだ読書感想
10代で裏社会から東南アジアを放浪、20代で夢をかなえるために一念発起、30代で刃傷沙汰に巻き込まれて晴れ舞台からの退場。
破天荒すぎる若き日のヒサシのエピソードに驚かされるとともに、主人公がおじさんに注ぐ憧れのような気持ちも伝わってきました。
ヒサシが信条とする「テキトーに生きろ」をそのまま実践していた主人公は、あっという間に新社会人の生存競争から転げ落ちていきますがそれほど痛々しさはありません。
世間からのはみ出し者のヒサシを慕って半島に集まってくる、下野や気球さんのようなキャラクターもユーモラスでした。
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