太陽が真上に来た頃、俺はアキラに昼ご飯用の山菜を取りに行ってくると言って山小屋を抜け出し、少し麓の方へと降りてきた。
なぜ麓の方に下ったかといえばこちらのほうが電波が届きやすいかと思ったからである。
「はい、もしもしこちら110番警視庁です」
「もしもし、警察ですか?」
電話の応対係の女性の声が聞こえ俺は呼びかける。
「実はさっきニュースでやっている誘拐された男の子を見かけたんです。場所は目白区にある真島公園付近です。ついさっき10分前くらいのことです」
そう一方的に告げてから携帯電話を切る。
おそらくこれで警察はこのあたりにやってくるであろう。あとはどのようにアキラを言いくるめ、山の下に降りさせるかである。
そんなことを考えながら山小屋の方へ戻ろうと振り返ったとき俺はぎょっとして立ち止まらざるを得ない状況となった。
なにせ、そこには目を点にしてその点のような目を俺に向けているアキラの姿があったからだ。
「……アキラ!お前まさか今の聞いて……」
「将軍一体どういうこと……?今電話してたのって警察?見かけた男の子って僕のことじゃないよね……?」
アキラは体をブルブルと震わせ顔は、もういつ泣き出してもおかしくないほどにクシャクシャにしていたが、もうそこまで聞かれていたのなら仕方がない。
俺は出来るだけカッと目を見開き、自分でもおそらくこれまでしたことがないと思うほどの恐ろしい顔をしたつもりでアキラに詰め寄る。
「聞いていたなら話が早い。山を降りろ。お前を警察に引き渡すんだ」
「どうして……!?将軍はずっと僕と一緒にいてくれるんでしょう?」
アキラの涙声に俺は思わず決意が揺らぎそうになる。
だがここで折れるわけにはいかなかった。これは事件が起こる前から決めていたことだったのだ。
「昨日お前を虐待していた親父も捕まった」
この言葉はさすがのアキラも想定外だったようで、口に手を当てる。
「それって本当……?」
「本当だ」
俺のこの言葉にアキラの顔にはほっと安心したような、それでいてなにか悲しげないくつもの感情が入り混じった非常に複雑な表情になる。
だが、残念だがそれに付き合っている暇はない。
なにせグズグズしていれば警察の捜査員がやってきてしまうからだ。
それまでにアキラを指定した場所に置いておきたい。
そうしておけば、警察がアキラを回収して母親のもとに返してくれることであろう。
そして全てはあるべき場所に収まるのだ。
「わかっただろう?これ以上お前をここに留め置く理由はない。きっと残されたお母さんも心配している、これからはそこで暮らすかあるいは親戚に引き取られるか……。とにかく俺は分からないがお前は愛情ある親のもとで暮らすんだ。こんなところにいつまでもいるべきじゃないんだ」
「だけど僕を助けてくれたのは将軍だ……」
涙ぐみながらすでに不明瞭な声ながら口を尖らせて主張するアキラ。
「こんな急に将軍と別れるなんて嫌だ。僕はまだここにいたいよ!」
「わがままばかり言うな!」
思わず怒鳴りつける俺。
その怒鳴り声に、一瞬背筋を硬直させ怯えたような表情を見せたアキラに一瞬俺の良心は傷んだがもはや後には引けない。
「子供なんだからいい加減に聞き分けろ。お前は下に降りる、そして警察に全部話せ。そうすれば家に帰れる」
「家に帰れなくってもいい。僕は将軍といたいんだよ!だって僕を助けてくれたのは将軍だ、親戚だとかお母さじゃない……。将軍は別に家族とかじゃないけどでも僕を助けてくれたのにこんな急に……」
もう完全に泣きじゃくって最後の方は言葉になっていないアキラ。
子供ながらに胸の内を必死で打ち明けるアキラを前に、俺は正直胸が張り裂けそうだった。
事実おそらく俺も泣いていたと思う。
アキラがこちらを向かず一心不乱に泣いていたのは不幸中の幸いであった。
「ならはっきりと言ってやる。お前がこれ以上俺と一緒にいると邪魔なんだ。足手まといなんだよ」
我ながらむちゃくちゃな言い訳だと思う。
誘拐しといて足手まといになったから警察に引き渡すなど子供だって騙されないと思うが、アキラはそれに答えなかった。
これで納得してくれればいいのだがおそらく無理であろうが、とにかくどちらでも良い。俺はアキラの手を強引に引っ張っていった。
「ひどいよ将軍……。なんで、なんでそんなこと……やけどだって見せたのに……。わかってくれたと思ったのに……」
それに俺は答えなかった。
というより答えられなかった。もう限界だった。
これ以上何かを言えば心の中の感情が決壊しそうだったのだ。
俺はただただ声を上げて泣き出すのはやめようと、
そして一度決めたこの覚悟を鈍らせることはしないようにしようと、
アキラの方を振り返らぬよう歩を進めてアキラの前を歩き、その感情をなんとか押し殺すように強引にアキラの手を引いてアキラを山から麓へ下ろすことしかできなかった。
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