翌日早朝。昨日あれから気分が高ぶって眠ることのできなかった巧はあくびをかきながら居間へと降りてきていた。
「おはようたくちゃん、はいこれ朝ごはんね」
母直美は食卓についた巧の前に食パンで作ったフレンチトーストを出す。
「ごめんね、ちょっと焦がしちゃったけどまぁ食べられないことはないでしょ?」
昨日直美はそのように詫びを入れるがはっきり言って昨晩嘘をついて夕食を抜いた巧にとっては大層なご馳走で切り分けたフレンチトーストを口にほおばる。
(昨日のうちに忍び込んだ侵入者……あいつのことも気にはなるな。だが行方知れずのスマホも結局見つかってはない。事態は進んでいくけどわからないこと事態は増えてばっかりだな今んとこ)
寝ぼけた頭でそのように考えていた時である。
家のチャイムが鳴り、直美が「はーい」と返事をして出て行った。直美が玄関で二、三言葉を交わしている声が巧の耳にも届いていたのも束の間、応対に出て行った直美が戻ってきて、巧を手招きする。
「巧、あなたにお客さんよ」
「え?誰」
「私は知らないけど昨日来てた子の一人よ」
どうやら昨日のかしまし娘たちのうちの一人だという。
(多分ルカちゃんかな。あいつはあの中じゃ特に活発だし)
そうあたりを付け玄関に出たが、その予想は外れた。
「あ、先輩おはようございます」
そこにいたのは予想していた茶髪のルカではなく、黒い髪を背中まで伸ばしたマヤであった。
「おう、おはよう」
(マヤか……、なんかコイツはあの中では一番おとなしいイメージあったんだけど。意外だな)
「ちょっとそのへん歩きませんか先輩」
だだっ広い田んぼのあぜ道のような道を歩く巧とマヤ。その道路を挟んで用水路の反対側の細い方をまるで平均台のようにバランスをとりながら歩くワンピース姿と麦わら帽姿のマヤ。
普段リーダーシップを発揮するルカやその参謀ポジションの夏希に比べ、マヤはその二人についていくことすらあれ、自ら行動することは少ないというイメージを巧は持っていたが、このように一人で行動しているのはちょっと意外であった。
「マヤちゃんはなんか高校の時と比べて印象変わったよな。髪も前と比べて随分伸ばしてるし、体格とかも随分ほっそりとした気がするよ。
考えてみれば女性と二人きりになることなど美香以外とはなかったもので、なんとか話題をひねり出す。がマヤはその言葉には答えず用水路のヘリを行ったり来たりするばかりである。
どうしたものかと巧は新たな話題を探す。
「今日はあの二人はいないんだな」
するとマヤはバランスを取りつつ巧の方を向いた。
「あ、ふたりは実は今日どうしても仕事休み取れなかったみたいで……。一人で来ちゃいました」
そう言って微笑むマヤ。その笑顔にどきりとしている自分に気づき巧は思わず冷や汗をかく。
「まぁ、でも私としてはあの二人がいない方が都合がいいというか……」
「うん?」
「先輩は高校生だった頃を覚えてますか?」
覚えているもなにも三年ほど前のことである。マヤももちろんだが、ルカ、夏希、マヤの三人は巧や美香の一つ下の学年で三年になるまで巧は彼女たちのことは知らなかったが、美香と付き合うようになったあとは接点ができるようになった。というか、一方的にその三人が敵視して絡んでくるようになっただけなのだが。
「あぁ、俺と美香が一緒に帰ってたときにお前ら三人が顔を隠して襲いかかってきたのは覚えてるよ」
「先輩!」
ちょっと意地悪を言い過ぎたか、眉を逆八字にして怒るマヤ。だが、すぐに笑顔に戻る。
「まぁ確かにあの頃の私たちはちょっと子供っぽかったとは自分でも思ってます。行動もそうですけど、なんというかな精神面がっていうか」
そう言って用水路の向こう側からこちらのあぜ道へとぴょんっと飛び移るマヤ。
「でもですね先輩、私もいい加減自分の気持ちにも素直になって子供をやめようと思うんです」
「子供をやめる?」
「あの頃は巧先輩の顔を見ると腹が立って仕方なかったんです、特に美香先輩が巧先輩と付き合うと聞いたときはショックでした。でもそれは美香先輩を取られてしまうかもしれないというショックからだと思ってたんです。でも昨日久しぶりに巧先輩に会ってやっと自分の本当の気持ちに気づいたんです」
なんだか心なしか先程からマヤが自分にジリジリと近づいているように感じるというかもういつの間にかマヤは巧の目の前まで移動してきていた。
「好きなんです先輩。私は美香先輩みたいにしっかりしてないし綺麗でもないけど……、でもいずれは美香先輩のようになります!なので巧先輩……」
「ま、待てマヤちゃん。俺はこの事件がかたがつくまでそういうのは……」
なんとかマヤを制そうとするものの、マヤはもうすでに目を閉じて今にもキスをしてきそうな勢いで迫ってきている。
(こうなったらもう男決めるしかないか……)
そう腹をくくり迫ってくるマヤを止めるのをやめ抱き寄せようとしたその時だった。背後から視線を感じ、思わず巧は振り向いた。
すると一瞬ではあるが、壁の横から覗いていた首が引っ込んだように見えたのだ。後ろにあった屋敷はほかでもない柚木家である。
「マヤちゃん、ごめん!ちょっと俺行かなきゃ!」
そう言って迫ってくるマヤを押しのけ柚木家へと走る巧。置いていかれる形となったマヤ、しばらくキョトンとした表情で去っていく巧をしばし眺めていた後、ぼそっと
「先輩のヘタレ……」
とつぶやくのであった。
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