ここのところ続けて、坂下は休日も仕事であった。
志織は坂下がいないのはわかっていたので、鍵を預かって部屋に行っていた。
週末はずっと一緒にご飯を食べていたから、休日に坂下がいないとさびしい。
しかし、彼の部屋にいれば、彼の残り香を感じることができる。
ほんとうなら、あたたかい腕でだきしめてほしいが、仕事ならばしかたない。
自分が高校生なら、きっと恋人と一緒にいないと不安になっただろう。
今だって本当なら不安だと言いたい。
でも自分はもう高校生ではない。だから、さびしくても本心は彼には言わない。
時間があると、不安やさびしさが強くなる。
こんなときこそ、行動に限る。
志織は彼の留守番を引き受けて、部屋の片付けをしていた。
もちろん坂下には了承をえている。
坂下は仕事の机まわり以外は、基本的に触っていいと言ってくれた。
ゴミの仕分けや、クリーニング、そして洗濯物を片付ける。
「もう、坂下さんってば。実は洗濯物たたむのは苦手なのかな」
家事が完璧に見える坂下。
ひとり暮らしも長いから、志織以上に料理もできる印象を受ける。
ただ洗濯はそれほど得意ではなさそうだ。
定期的にスーツやワイシャツはクリーニングにだしているようだが、洗濯物をたたむのが苦手なようだった。
志織はクローゼットの奥に畳まず積んである下着を手に取った。
雑然と置いてある衣服に、小さく笑ってしまう。
男性でもとてもきれいに洗濯物をたたむ人もいる。
ただ、志織がつきあった男性はみな洗濯物を適当にたたむ人だった。
「うわ、奥にある!全部たたみなおさないと」
手前にあった衣服を取り出すと、奥からシワになってシャツが出てきた。
適当に積んでしまったから、奥に存在を忘れられていたようだった。
志織はシワになったシャツをとりだし、アイロンをかけてたたみ直した。
志織が整理整頓をすると、部屋に自分の名残がある気がして少しうれしくなる。
ここはもう自分の場所だと思えるようになる。
休日も平日も一緒にいることが多い。
これからもずっとこんな生活が続けばいいのにと、志織は思ってしまう。
「あれ、デスクの引き出しが開いている」
坂下が触れないでと言った仕事用のデスク。
だが、いつもはしまっている引き出しが開いていた。
一度気になったらどうしても気になってしまう。
しめるくらいならいいだろう。
勝手に中のものを触るつもりはない。
志織は引き出しに手をかける。
しかし好奇心から、中身をみてしまう。
そこにあったのは、写真立てだった。
裏側にしてあり、写真は見えない。
だめだ、見てはいけない。
瞬時にそう思った。
でも、少しだけ。少しだけなら……
志織は嫌な予感はしていたが、写真を見たかった。
そうして裏返しになっていた写真立てをひっくり返した。
「……男の子と、女のひと……?」
写真はピアノを弾いている男の子と、ヴァイオリンを奏でる女性だった。
ふたりはお互いの顔をみつめ、楽しそうに楽器をひいていた。
女性は志織と同じくらいであり、とてもきれいなひとだった。
髪の毛が明るく、グレーの瞳でまるでお人形のような女性。
一方、男の子もきれいな顔立ちの子だった。
中学生くらいだろう。どこか、見たことがある顔だ。
「いつの写真?」
写真の端をみると、写真を撮った年をしることができた。
二十年前の写真だ。そして志織は写真が誰だかわかってしまった。
「坂下さんと、サラさんだよね」
志織は胸が痛んだ。
この写真を見る限り、ふたりの間に入ることは難しいと思わされる。
ふたりには志織の知らない二十年以上の歳月が存在するのだ。
二十年前といったら、志織はまだ赤ん坊だ。恋なんて知らない。
志織は、そのまま写真たてを元の場所にもどした。
もちろん写真は裏返しにした状態だ。
わたしはこの写真を見てはいない。
そっと引き出しをしまって、何事もなかったように掃除を再開した。
でもその顔は強ばったままだった。
やはり見てはいけなかった。
触るなと言われたのに、好奇心で見てしまった自分への罰かもしれない。
志織は堪えきれず、涙が一粒こぼれてしまった。
*****
「どうかした?」
「え……?」
志織は、はっと我に返った。
視線の先には、坂下がいた。
坂下は志織の顔をのぞき込んだ。慌てて志織は顔を横にふる。
「え、ぼーっとしていました?」
「うん、今日は調子が悪いのかなって」
「ごめんなさい、疲れているのかな」
晴れない気分で週末が終わり、いつものように仕事が始まった。
そうして坂下と帰り道、いつものように小料理屋で食事をしていた。
志織は時間ができると、写真のふたりの姿を何度も思い出してしまった。
坂下の妻の存在は知っている。
だけれど、あの写真はリアル過ぎた。
坂下は今でも、サラのことを思っていることを強く感じてしまった。
あの引き出しには、志織と坂下の写真はない。
坂下と志織は、ふたりきりの写真を撮ることなどほとんどないのだ。
「今日は、このまま帰ろうか」
「そ、そうですね」
心配をかけてはいけない。勘づかれてもいけない。
志織はいつも通りに振る舞おうとする。
坂下が気を利かせて支払いをしてくれた。
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