著者:石沢麻依 2021年7月に講談社から出版
貝に続く場所にての主要登場人物
里見(さとみ)
物語の語り手である〈私〉。ドイツ、ゲッティンゲンの住人。東日本大震災のときに東北に住んでいた。
野宮(のみや)
〈私〉と同じ大学院に在籍していた。東日本大震災で海に呑みこまれた。
澤田(さわだ)
野宮の友人。〈私〉と同じ大学院に在籍していた。
アガータ(あがーた)
ゲッティンゲンにおける〈私〉の同居人の女性。
ウルスラ(うるすら)
ゲッティンゲンに住む元教師。おそろしく顔が広い。木曜日に他人の訪れを受け入れている。
貝に続く場所にて の簡単なあらすじ
〈私〉はドイツのゲッティンゲンの駅で、旧知の野宮を出迎えます。
彼は、九年前の東日本大震災で海にのみこまれ、遺体の見つかっていない人です。
つまりは幽霊がやってきたのです。
それ以来、ゲッティンゲンの町には、過去の記憶を回想させるような不思議な光景が頻出するようになったのでした……。
貝に続く場所にて の起承転結
【起】貝に続く場所にて のあらすじ①
七月の初め、〈私〉はドイツのゲッティンゲンの駅に、人を迎えに行きました。
一週間不在にしている同居人の犬をつれていきました。
やってきたのは、野宮という男、もしくはその幽霊です。
〈私〉たちは太陽系の縮尺模型が組み込まれた「惑星の小径」を、言葉少なに歩いていきました。
木星をすぎたところで、バス停に向かう野宮と別れました。
野宮は、東日本大震災で行方不明になったひとりです。
当日、〈私〉は仙台の山沿いに近い実家におり、無事でした。
野宮は石巻市におり、家族ともども海にのみこまれました。
彼の家族の遺体が順次見つかる中、野宮と弟の遺体は出てきませんでした。
それから九年たった今になって、〈私〉と大学の研究室でいっしょだった澤田を通して、野宮がドイツに来ることが知らされたのです。
野宮と会った晩、澤田から問い合わせがきました。
〈私〉は野宮の様子をうまく伝えることができないのでした。
〈私〉はウルスラに相談に乗ってもらおうと、面会の予約をとりました。
彼女は、元教師で、顔が広く、さまざまな相談ごとにのってくれるのです。
【承】貝に続く場所にて のあらすじ②
予約した木曜日に、〈私〉はウルスラに会いにいきました。
本がたくさん積まれた彼女の部屋で、〈私〉は自分の悩みを打ち明けるというより、自分の記憶を呼びさまします。
あの東日本大震災の記憶です。
ドイツでは、地震は少なく、大地は安定しています。
ウルスラは「過去はだれかの顔や姿を借りるもの。
それがぼやけているなら、顔が見えるまで、思い出すことに時間をかけなくてはならない」とアドバイスしてくれました。
〈私〉は野宮がドイツ美術に引き付けられていたことを思い出します。
また、東日本大震災のときに味わった苦痛が、自分の身体に残っていることを確認します。
さて、「惑星の小径」について、奇妙なうわさが流れはじめました。
かつて撤去された冥王星の惑星模型が、しばしば元の位置で目撃された、というものです。
また、同居人のアガータからは、奇妙な話を聞きました。
彼女は、よくトリュフ犬をつれて森を散策しているのですが、そのときに、犬がトリュフではなく、ガラクタを掘り出すというのです。
そのガラクタを写真に撮っておいたところ、ウルスラの知り合いたちが、大変に興味を示したのです。
どうやら、ただのガラクタと見えたものは、彼らの記憶につながる遺物らしいのでした。
写真データをウルスラにまとめて送ると、ウルスラは、それらのガラクタの回収をアガータにお願いするのでした。
一方、〈私〉のもとには、野宮から何度かメールが来るようになっていたのでした。
【転】貝に続く場所にて のあらすじ③
冥王星の模型がよみがえる、といううわさが、住人の間に広まりました。
よみがえったその模型を見るために、人々が森にあふれました。
ある者はそれを見つけ、ある者は見つけられませんでした。
ただ、これまで静かに森を散策するのを趣味にしていた人々からは、ゴミを散らかしたことで顰蹙を買うのでした。
野宮のメールに「寺田氏」という名前が出てきました。
ウルスラが木曜会を主宰することになり、皆に、貝にまつわるものを持って集まるように呼びかけがありました。
〈私〉はアガータとともに、貝型のお菓子を焼いて持っていきます。
ウルスラの住居には、トリュフ犬が掘り出したガラクタが並べられていました。
彼女の人脈で、それを大事に持ち帰る人は多くいました。
彼らの記憶の遺物だからです。
寺田氏と野宮が来ました。
どうやら寺田氏とは、野宮がよく読んでいた本の著者、寺田寅彦のようでした。
ゲッティンゲンの町に、さまざまなかつての記憶が復活します。
過去の建物。
過去に亡くなった人。
ここから収容所へつれていかれたユダヤ人たちの足音もよみがえります。
ある朝、〈私〉の背中に歯がはえ、アガータにぬいてもらいました。
それらも〈私〉にとってのなにかの記憶なのか、ウルスラに見せても、答えは返ってきません。
ウルスラのもとに来ていた寺田氏は、師の夏目漱石が病気なのだと静かに語るばかりです。
【結】貝に続く場所にて のあらすじ④
ある木曜の日、ウルスラのところへ行くと、トリュフ犬が掘り出したというふたつの乳房を見せられました。
アガータの記憶につながるものだと言います。
アガータに尋ねると、あれは母親の乳房だそうです。
アガータの母は、晩年乳ガンになり、乳房を切断したものの、その後ガンの転移がわかりました。
離れて住んでいたアガータが、三週間の休暇をとって母と同居している間に、母は自殺したそうです。
それを機に、アガータは姉とも疎遠となりました。
母の乳房は、アガータにとっては胸の痛くなる記憶なのです。
さて、別の日、ウルスラの木曜会の参加者数名を誘って、冥王星の模型を見に行くピクニックが催されました。
寺田と野宮も参加しました。
ゲッティンゲンの町は過去のさまざまの回想を見せます。
戦前の駅。
東日本大震災のためにひび割れた地球の模型。
いつの時代がわからぬ舞踏の踊り手たち。
中世の人々さえ見えてきます。
そういった町の記憶を見ながら、森へと入っていくと、冥王星の模型はそこにありました。
塔の前です。
ウルスラはそこに陣取り、皆に塔の見物をうながします。
塔のなかにこもる百年以上の時間のなかで、寺田氏の姿は消えていきました。
〈私〉のなかでも、九年前の大震災の記憶との折り合いがつきます。
そのとき、野宮の姿はぼやけ、とけていきます。
〈私〉は、塔から見える遠くの空間と時間に見入るばかりです。
貝に続く場所にて を読んだ読書感想
第64回群像文学新人賞と、第165回芥川賞を受賞した作品です。
読んでいて感じたのは、これは日本の盂蘭盆の話ではないか、ということでした。
盂蘭盆に、亡くなった人がもどってきたり、人ばかりではなく、過去の記憶がもどってきても、少しも違和感がありません。
そこに恐怖はなく、なつかしさと郷愁を感じることでしょう。
そういった日本の盂蘭盆の物語を、ドイツに移植した、というふうに感じたのです。
もちろん、地名や人名を変えさえすれば移植できるというわけではありません。
それを実現するために、著者のこの緻密で華麗な文章が必要だったのだ、というふうに思ったものです。
とにかく、舞台はドイツですが、極めて日本的な物語だと感じました。
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