著者:日上秀之 2018年11月に河出書房新社から出版
はんぷくするものの主要登場人物
毅(つよし)
三十歳をすぎている。仮店舗で商店を営む。
母(はは)
毅の母親。作中に名前は出てこない。
風峰(かざみね)
九十歳近い老婆。毅の店の顧客。
古木(ふるき)
毅の店の客。ツケで買っていく。
武田(たけだ)
毅の友人。小学校からの同級生。現在無職。
はんぷくするもの の簡単なあらすじ
毅は、津波にさらわれた東北の地で、仮設住宅に住み、仮設の店舗で細々と商店を営んでいます。
この店で、ツケで物を買った古木という客が、なかなか代金を払おうとしません。
「明日は支払いに行きます」という電話をよこすのですが、まったく来る気配がありません。
裏切られるたびに、剛の母の体調は悪くなっていきます……。
はんぷくするもの の起承転結
【起】はんぷくするもの のあらすじ①
毅の家は東北にありましたが、五年前、津波に流されてしまいました。
毅と母は仮設住宅に移ります。
それまで商店を営んでいた毅の母は、すぐさま仮設の店舗を作り、商店を再開します。
それから五年。
みずぼらしい小さなお店を利用するのは、一日にほんの数名にすぎません。
母は、もう店じまいしよう、と言いますが、毅は渋ります。
三十歳独身で、これまで自営業しかしてこなかった身で、いまさら就職することなどかなわないだろう、と思うからです。
さて、毅には武田という小学校以来の友人がいます。
武田はしょっちゅう品物を差しいれしてくれます。
それらは、裕福なお店から万引きしたものだと言います。
抗議のための万引きだそうです。
そんな武田が、毅の店のお客である古木のことを聞いて、ひどくいきどおりました。
古木の家は津波を免れましたが、彼はあちこちのツケのきく店で品物を買って、支払いしないのです。
毅の店でもツケで買い、さっぱりお金を払ってくれません。
ある日、古木から電話かかかってきました。
「明日こそ払う」と言うのですが、翌日、来る気配もないのでした。
【承】はんぷくするもの のあらすじ②
それからも古木はちょくちょく電話してきました。
「この間は自転車がパンクして行けなかった、明日は必ず払いに行く」と言って、結局来ません。
何度も、「○○のせいで先日行けなかった、明日こそは払いに行く」というパターンを繰り返します。
毅の母は、いよいよ払ってもらえるのか、とぬか喜びし、そのたびに裏切られて気落ちします。
毅は古木の家までお金を取りに行きました。
でも、呼んでも返事がありません。
あとで古木の親戚の人に訊くと、彼は町のほうへ引っ越したのだそうです。
もうお金はあきらめようと、毅が母と話していると、また古木から電話がかかってきます。
公衆電話からです。
くどくど言いわけして、これこれの日に払います、と言うのですが、やはり来ないのでした。
母はすっかり衝撃を受けます。
毅は車に乗って、お金を取りに行こうとします。
ところが母が、「あんなきたない車に乗って町へ行かれると恥ずかしい」と言うのです。
そこで、洗車して出かけようとしますが、今度は、「カラスの鳴きが悪い」などと口実をつけて、毅を止めるのでした。
武田は相変わらず万引きしてきたと言って、品物を持ってきます。
彼によれば、「あのスーパーのレジ打ちは悪人だ、だから万引きしてもいいんだ」という理屈なのでした。
【転】はんぷくするもの のあらすじ③
毅の店の客はますます減っていきます。
定期的に来ていた風峰さんも、ここしばらく来ていません。
そんなとき、久しぶりに古木から電話がありました。
「明日は必ず行きます」と言うのですが、翌日、やはり来ないのでした。
裏切られた、と感じた母は、めまいで寝込みました。
翌日、毅は取り立てのために古木のアパートを訪ねました。
思いのほか立派な、二階建て、三居室の建物です。
しかし表札がないので、古木の部屋がどれなのか、わかりません。
ぐずぐずしているところを、町に住む女性に見つかりました。
田舎者と後ろ指をさされているような気がして、毅はあわてて逃げだしたのでした。
さて、しばらくぶりに風峰さんが来店しました。
すっかり身体が弱っているようです。
帰りに車に乗せていきました。
毅は、本人が望むままにお菓子やコーラのような不健康な食品を売ったために、風峰さんが身体を悪くしたのではないか、と自己嫌悪に陥ります。
そんなときに武田がやってきました。
武田は、巨大企業はそんなことに悩みさえしない、と毅を慰めます。
ふたりで話しているうちに、古木のことが話題になりました。
毅がグチを言うと、武田は、そいつをボコボコにしてやる、と過激なことを言うのでした。
【結】はんぷくするもの のあらすじ④
母の体調はどんどん悪くなっていきます。
そのくせ、病院で診てもらうと、なんともない、と言われるのでした。
そんなときに、また古木から電話がかかってきました。
毅は文句を言います、「どうせ払うつもりなんかないんだろう、あんたのせいで母は身体を悪くしたんだ、あんたは最低の人間だ」と。
電話のあと、毅は古木の家に行かなければ、と思いました。
思いはしたのですが、蹴とばした石が車のドアの真下に転がると、自分を行かせまいとしているようで、運転するのをやめてしまうのでした。
そんなある日、母は急にしゃんとして、車を運転し、古木のアパートに乗りこみました。
病弱な父親しかいないところへ上がりこみ、古木が帰ってくるのを待って、代金をむしり取ったのです。
そのときを境に、母は体調を取りもどし、以前のように生活するようになりました。
そこへ、久しぶりに風峰さんがやってきます。
おぼつかない言葉で注文を出します。
毅は、彼女の体調を考えると、はたして売ってよいものかと悩みますが、結局は逆らいませんでした。
風峰さんは、「送っていきましょう」という毅の誘いを断り、とぼとぼと歩いて帰るのでした。
古木がまた来ました。
千円ほどのものをツケで買います。
彼が帰って、毅は怒りを覚えます。
しかし同時に、その怒りさえあれば、苦難を乗り越えていけそうな気がするのでした。
はんぷくするもの を読んだ読書感想
第55回文藝賞受賞作です。
とても不思議な感じのする作品でした。
作中、直接明言されていませんが、あの東日本大震災の後日談という設定なのでしょう。
津波で家を失った母と息子が主人公です。
家代々の商店を再開したものの、客はろくに来ず、ふたりは貯金をとりくずして生活しています。
そんな母子の生活が淡々と描かれています。
彼らに輝かしい明日が来ることはないでしょう。
なんだか終末もののSFめいた雰囲気も感じます。
が、しかし、です。
その、だんだんと下降していく日常のなかで、彼らがなにをしているのか、と言うと、売掛金を取りに行こう、いや、猫が横切ったから縁起が悪い、などと、取るに足らないささいな日常を反復しているだけなのです。
それがなんだかおかしくもあり、もの悲しくもあります。
なかなかユニークな作品だなあ、と感じました。
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