「紺碧の果てを見よ」のネタバレ&あらすじと結末を徹底解説|須賀しのぶ

須賀しのぶ「紺碧の果てを見よ」

【ネタバレ有り】紺碧の果てを見よ のあらすじを起承転結でネタバレ解説!

著者:須賀しのぶ 2014年12月に新潮社から出版

紺碧の果てを見よの主要登場人物

永峰鷹志(会沢鷹志)
海軍軍人。冷静で柔軟な指揮官として人望が篤い。

会沢雪子
鷹志の妹、会沢の同期と結婚する。

江南栄
鷹志の同期で、雪子の夫。

永峰宗二
鷹志の叔父。のちに鷹志の養父となる。

会沢正人
鷹志の実父。浦賀のドッグで働く製罐工。

紺碧の果てを見よ の簡単なあらすじ

昭和20年8月15日、終戦の日に書かれた雪子から鷹志に宛てた手紙から始まります。鷹志と雪子の幼少期を過ごした浦賀での日々、鷹志が永峰家へ養子に行き江田島の兵学校に入り海軍軍人となり、海護総隊の任務に就いた「白雨」の艦長として終戦を迎えます。永峰は生きながらえることが出来るのでしょうか。

紺碧の果てを見よ の起承転結

【起】紺碧の果てを見よ のあらすじ①

浦賀から江田島へ

「喧嘩は逃げるが、最上の勝ち」は鷹志の実父の口癖でしたが、子供の鷹志にはこの言葉が理解できず、「逃げることを潔し」と思うことが卑怯だと感じており、父を軽蔑していました。

そんな夏のある日、叔父で軍人の永峰宗二がやって来た。

宗二に懐いていた鷹志は、宗二と一緒に鴨居にある先祖の墓参りへ行き様々な話をします。

夏休みが明けた9月1日、立っていられないほどの大きな揺れがあり、のちに関東大震災と呼ばれることになる地震が起こりました。

母は無事でしたが、父が大けがを負いました。

鷹志は宗二に憧れており、成績優秀だったことから進学を希望していましたが、父の代わりに家を守ることを決意し、進学を諦めます。

父が退院したある日、鷹志が学校から家に帰ると宗二が来ており、子供に恵まれなかった宗二の家に養子へ行くことになりました。

一方、妹の雪子は、子供のころからの夢である彫刻家への弟子入りを願い続け、反対する両親を説き伏せて弟子入りを実現しました。

宗二の養子となり江田島の兵学校へ進学した鷹志は、同期の江南らとともに厳しい訓練に耐える日々を送っています。

休みになると、江南とともに東京へ向かい羽を伸ばします。

東京で江南から思いがけず雪子の消息を聞いた鷹志は、カフェ(現在のキャバクラのようなところ)で働く雪子を連れ戻しに行きます。

雪子は、弟子入りしていた彫刻家の家を追い出され、お金のためにカフェで働いていたのです。

実父のもとへ連れ戻された雪子は彫刻の道を諦め腑抜けのように暮らすことになりました。

【承】紺碧の果てを見よ のあらすじ②

結婚

昭和11年2月26日のクーデターが起こり混乱する中、鷹志は支那勤務の辞令を受けました。

支那に渡った鷹志は、護衛艦「保津」で訓練の日々を過ごしています。

戦闘があった際に、頭を強打する怪我を負うこともありました。

また、航空隊を希望した兵学校同期の江南は、暴風雨の中出撃します。

敵戦闘機と遭遇し激闘の末、満身創痍で何とか帰還する途中で思い出したのは「逃げるが勝ち」という鷹志の信条でした。

繰り返される連日の攻撃に、「生きて帰る場所を持ちたい」「守るべき家族を持ちたい」と強く願うのでした。

東京に戻った鷹志は、江南から雪子へ求婚しているが断られていることを聞かされます。

驚いたものの江南の気持ちを考え、雪子を説得します。

雪子は、江南の「必ず帰ってきます」という言葉を受けて結婚を決めます。

さらに、鷹志にも縁談が持ち上がり、早苗という女性と結婚しました。

結婚式が終わるとすぐに出港命令が出て択捉島単冠湾へ向かいます。

それは、ハワイの真珠湾攻撃の作戦で、第二次世界大戦の始まりでした。

【転】紺碧の果てを見よ のあらすじ③

開戦

昭和17年4月18日、真珠湾攻撃以来の初めての本土攻撃を受けました。

真珠湾攻撃を成功させた鷹志は、久々に自宅に帰ってきました。

早苗は料理上手で鷹志を大いに喜ばせました。

帰宅したのもつかの間、鷹志は空母の護衛として重巡「利根」へ乗艦し出港しました。

このころ鷹志は、養父である宗二が言っていた「喧嘩をするなら、必ず勝たねばならない。

そのためには、いつも頭を冷やしておけ」という言葉を思い出し心に刻みます。

一方、江南は、ガダルカナルの建設を守るため、米軍との激闘を繰り返していました。

任務地から江南は雪子に宛てて頻繁に手紙を書き、「必ず帰る」と書き添えています。

同じころ日本では、雪子が飛行部隊の子息たちの引率で行った陶芸工房で湯呑を作り、忽ち陶芸に魅了されてしまいます。

陶芸の道を諦めてから初めてのときめきでした。

雪子は、浦賀の墓地から見た紺碧一色の色を出すために日々陶芸に打ち込んでいます。

雪子からの手紙には「海の色の話を聞かせてほしい」と綴られています。

そんな折、江南にラバウルへの出撃命令が下りました。

この激闘で味方機を6機、42名の命を失います。

次の出撃を前に初めて「帰りたい」と強く願うのです。

雪子へ思う存分海の話をしようと。

けれど、8月8日江南は出撃した全機の中でも激しい攻撃を受け、燃料が尽き帰還が難しくなりました。

江南は敵艦隊を目指し、操縦もままならぬ状態であったにも関わらず、敵空母に体当たりし自爆しました。

【結】紺碧の果てを見よ のあらすじ④

終戦へ

開戦から2年が過ぎようとしている頃、海防艦「維和」の艦長となった鷹志は、艦長室には戻らず、緊急事態に備えて常に艦橋で過ごしています。

鷹志は、敵潜水艦を発見し冷静に命令を下します。

見事に敵潜水艦からの攻撃を回避し、事なきを得ます。

「維和」の乗組員は今や一致団結し固く結束しています。

「維和」はマニラを出港し、佐世保を目指していました。

途中で敵と遭遇し、激しい戦闘となります。

その時「鷹志、左だ」と鷹志の耳元で声が聞こえました。

振り返ると左からグラマンの猛烈な機銃掃射が襲ってきて、周囲を見渡すと通信士、機雷士、航海長が血まみれで倒れており、即死でした。

鷹志は航海長の代わりに舵を握ろうとするが力が入らないのです。

鷹志もまた撃たれていました。

その頃、鎌倉の永峰家では宗二の葬儀が執り行われており、鷹志の実父の正人もまた急死ししていました。

正人が亡くなる前日、「明日は海に行く」と言って枕元に着替えを置いていました。

鷹志の耳元で聞こえた「鷹志、左だ」の声は実父の声だったのです。

一命を取り留め呉に戻った鷹志は有里と再会し、兵学校時代によく訪れた寺に二人で出かけました。

そこで見たのは、同期で卒業することなく死んでしまった親友の皆川が書いた言葉でした。

「紺碧の果てを見よ。」

海に焦がれた男が書いたこの言葉は鷹志の胸に残っていました。

次に就任した「白雨」の任務は海護総隊に編入されます。

鷹志は「白雨」の乗組員を終戦まで死なせないために逃げ切る覚悟を決めます。

そして、昭和20年8月15日、「白雨」からは一人の死者も出さずに終戦を迎えた。

紺碧の果てを見よ を読んだ読書感想

戦争を描いた小説は、様々出版されています。

男性作家が描く戦争小説は、激しい戦闘場面が描かれることが多いのですが、この「紺碧の果てを見よ」は女性作家が描いた物語で、物悲しさが表現されています。

主人公である鷹志が最後に目指した「逃げ切る覚悟」は、夫や息子の帰りを待ち続ける女性が求めている覚悟だったのだと思います。

けれども、お国のために命を捧げる覚悟を強要された男性は、戦死してしまった江南のように本当は「帰りたい」と強く願っていたことでしょう。

戦争は、国を滅ぼします。

多くの人が死んでしまいます。

二度と戦争を起こさないために、様々な年代の人たちに読んでほしい作品です。

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