母の帰らない日々
渚はてるてる坊主で”ひめ”と”おうじ”を形作り、朝から人形遊びを楽しみます。外は激しく雨が降り注いでいました。兄の湊は渚を横目に、眠たい目を擦ります。渚に『朝から絶好調だな』と湊が声をかけますが、それが空元気である事は分かっていました。雨のせいで湊もその日はイヤな気分でした。
湊は人形遊びに夢中になる渚の頭にぽんっと手を置き、朝ごはんにしようと言ってキッチンへ向かいます。渚は布団の引いてある和室から、キッチンのある狭いリビングに顔を出しました。それから、『おにいちゃん…おかあさん、きょうもかえってこなかったね…』と寂しそうに湊に言います。湊は少し困って『うんまだちょっと…仕事いそがしいんじゃないかな』と答えました。シンクには洗い物がたまり、部屋は物で溢れていました。湊は隅に置いてあった段ボールから、たった一つ残った即席麺を取り出し調理します。
湊は出来上がった一人前のラーメンを、二つの器に分けて盛りつけました。『いただきます』と声を揃えて、二人はラーメンを食べます。
湊は渚に向かって、母は今日か明日には帰るだろうと話します。すると渚は表情を明るくして『うん!そうだよね!…だって…あしたはナギサのたんじょうびだもん』と、嬉しそうに言いました。
湊はカレンダーを見てはっとし、いい加減な事言ってしまったと後悔しました。『ぼくの言う事…あんまり信じるなよ…』と俯き加減で呟きます。
周囲の心配
湊は水筒に水道水を入れて持ちランドセルを背負います。それから、渚を連れてアパートを後にしました。アパートの階段下で、高校に向かう途中のフタバに遭遇します。
三人揃って登校する事にしました。渚がフタバと手を繋いで歩きながら『フタバねーちゃんきょうもいいにおい!』と言うので、フタバはいい香りがするんだと思って喜びました。けれどすぐに渚がお弁当のいい匂いがすると言うので、フタバは静かに肩を落とします。
外は相変わらずの強い雨で、三人は傘をさして神社の鳥居をくぐりました。登校前に捨て犬の”ざらめ”に会って、ご飯をたべさせてやる為でした。フタバが置いておいたお皿にドッグフードを、湊が別の皿に水筒に入れた水を注いで与えます。
渚はざらめが一生懸命ご飯を食べる姿を楽しそうに見ていました。その隙にフタバは湊に向かって、心配事を切り出します。母親が最近家に帰ってきていないのではないか。ご飯も食べられていないのではないか。湊は、帰らない事はたまにしかない、仕事で夜遅くなるだけだと答え誤魔化しました。
フタバはそれ以上追求する事はなく、何かあったら自分の家に来るよう湊に約束させました。フタバは学校に行くと言って、先に神社を後にしました。
湊も小学校に向かいました。昇降口で湊に同級生が声を掛けます。湊が力ない声で返事をするので、同級生が朝ごはんたべたのかと心配しました。
職員室では、湊の給食費が支払われていない事を職員たちが問題視していました。担任の先生が今晩あたり家庭訪問をすると言います。
学校が終わり湊が下校していると、朝湊を心配した同級生が声をかけました。『ちゃんと食えよな』と心配して給食の残り物のパンを手渡します。湊はお礼を言ってパンを受け取りました。
母の帰宅
湊は周囲が母親の留守に気がつき始めてると実感していました。母は二週間家に帰っていません。家では優しい母でした。だから、この件が大人に知られ渚と母が引き離される事にしたくないと、湊は平静を装っていたのです。
小学校の正門に、一人の女性の姿がありました。湊は母の顔を見て、思わず涙を浮かべました。母の胸に抱かれながら、『ぼく…ぼくなら大丈夫』と震える声で気丈に振る舞おうとします。母は『湊は優しい子だね』と頭にを撫でました。
アパートに戻ると、渚が外階段に座って湊の帰りを待っていました。湊の隣に母を見つけた渚は、すぐに母の傍に駆けつけます。泣きながら母に抱きつきました。母は『寂しい思いさせてゴメンね…』と渚を抱いてやります。
そんな二人の後ろ姿を見て湊は安心していました。湊は母の留守が続く度にもう帰ってこないのではないかと不安になりました。けれど、毎回こうして母が戻り渚の喜ぶ姿を見て、自分はバカだと思うのでした。
母は唐突に、今から遊園地に行こうと言い出します。渚は非常に喜び去年母がプレゼントしてくれたワンピースに着替えて出かけると言います。少しサイズが小さくなっていましたが、それは渚のお気に入りでした。
遊園地は沢山の来場客で賑わいます。渚はボールプールに大はしゃぎでした。渚と少し離れた場所で、湊は母に毎日帰ってくる事は出来ないか相談します。母は間もなく仕事が落ち着くからもう少し待って欲しいと遠くを見つながら答えます。
18時を迎え屋内遊具の使用が終了となります。母は渚に声を掛け呼び戻し、三人でソフトクリームを食べようと外に出ました。ソフトクリームを食べている途中、母は財布に入っていた1万円と少しの札束を全て取り出します。そしていつものように『持ってて』と湊に手渡しました。湊は『…もう?』と暗い気持ちになりました。
いつもと少し違う母とのお別れ
母の提案で観覧車に乗る事になりました。初めて乗る渚ははしゃいで観覧車に向かって駆け出します。同じく観覧車に向かっていた男女に、渚がぶつかってしまいました。湊は後を追って、その男女に謝罪します。それから母も男女に謝りました。連れの男は軽く手をあげて、構わないと合図します。
渚は母と一緒に乗りたいとすがりましたが、母は怖い所は苦手だから下から手を振ると言って乗りません。
遊園地に来た時には止んでいた雨が、また朝のように降り出します。段々と高度をあげる観覧車から渚は母を探しました。
母の『持ってて』はお別れのサインでした。いつも財布の中のお札を全て湊に託し、黙っていなくなりました。
渚は手を振る母の姿を見つけ喜び、渚はここだよと手を振り返します。湊も一緒に母に手を振ろうと母をみました。けれど、母の口が『サヨナラ』と動いた気がしてショックを受けます。
母の姿はいつの間にか見えなくなっていました。湊は不安そうな渚に雨の当たらない場所に移動しただけだろうと励まします。
普段なら、母は一度帰れば二、三日は家にいました。まさかこんなに早く居なくなるはずないと、湊が考え直した時、すぐそばで雷が鳴り響きます。そして次の瞬間、雷は二人の乗っている観覧車目掛けて落ちてきました。
知らない女性、知らない身体
湊は咄嗟に渚を庇ってうずくまります。雷鳴が止み、湊が渚の無事を確かめようと目を開けました。けれどそこにいたのは見ず知らずの大人の女性。目は瞳孔が開き、涙が滲みます。口から血が滴り、身体は硬直しています。死んでいるようでした。
事態が飲み込めず立ち尽くしていると、観覧車の窓に反射した自分の姿に驚愕します。『だっ…誰…!?』と思わず声を発し、更に仰天しました。反射した大人の男は自分のようです。第2話へ続きます。
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