著者:島本理生 2015年8月に文藝春秋から出版
夏の裁断の主要登場人物
萱野千紘(かやのちひろ)
29歳。女流小説家。文中の〈私〉。
柴田(しばた)
芙蓉社の編集者。得体の知れない男。
猪俣俊(いのまたしゅん)
イラストレーター。千紘と肉体関係にあるが、相思相愛とは言い難い。
磯野(いその)
昔、母の経営するスナックの客だった男。
英二(えいじ)
現在、母の経営するスナックの客。
夏の裁断 の簡単なあらすじ
女流小説家の〈私〉は、あるときパーティで、衝動的に柴田という編集者の手にフォークを突きたてます。
フォークは柴田の手に刺さりませんでした。
柴田の上司は、恋愛関係のもつれからそんなことをしたのだろうと想像しているようですが、〈私〉は否定します。
なぜ〈私〉はそんなことをするに至ったのか? ことは、二年前に柴田と出会ったときにさかのぼります……。
夏の裁断 の起承転結
【起】夏の裁断 のあらすじ①
〈私〉こと萱野千紘は女流小説家です。
あるときホテルの立食パーティに参加した〈私〉は、ばったりと顔を合わせた柴田という編集者の手にフォークを突きたてました。
フォークは柴田の手に刺さりませんでした。
翌日、柴田の上司が謝罪にきました。
上司は恋愛関係のもつれから起こったことなのだろうと思っているようですが、〈私〉は否定します。
そんな事件があってから数か月後、母から電話がかかってきました。
先日亡くなった祖父の家の片付けを手伝ってほしいということでした。
学者だった祖父は大量の本を残しており、母としては、高額なものは売り、残りは裁断して、デジタルデータに取り込もうというつもりです。
ふと、柴田との関係が思い出されます。
キスしてほしいとせがむと、頭に手をかけられ、彼の股の間に顔を押さえつけられた記憶です。
後日、〈私〉は鎌倉の祖父の家を訪れました。
母がいましたが、いわゆる自炊のやりかただけを指示して、帰っていきます。
本の前に取り残された〈私〉は、また柴田のことを思いだします。
二年前、パーティで、突然抱きついてきて、胸まで触られたのを、ひっぱたいたのでした。
非常に失礼な態度でしたが、その後彼からエッセイの依頼がくると、〈私〉は引き受けていたのでした。
鎌倉の家で、翌朝ビールなど飲みながら、〈私〉はのろのろと自炊を行います。
翌日になると、母と、母の経営するスナックの客の英二がやってきました。
英二が持ってきたスイカを食べ終わると、〈私〉はふたりを避けて、買い物に出ます。
そこへ、イラストレーターの猪俣からメールが来ました。
〈私〉は彼のはっきりしない絵柄をイマイチ好みません。
〈私〉はもっと暴力的な強さを求めているようです。
【承】夏の裁断 のあらすじ②
一年半前、つまり柴田と出会ってから半年後、〈私〉は試写会でいっしょになった柴田を呑みに誘いました。
なにか得体の知れないことが起きる期待感がありました。
柴田自身は女性といろいろ関係があって、ストーカーされたこともあるそうです。
柴田は聞き上手で、呑みながら、〈私〉の話を聞いてくれました。
酔った勢いなのか、柴田は〈私〉にキスしてきました。
居酒屋を出て、カラオケ店に入り、キスを重ねました。
やりたいか、と訊かれ、はい、と返事しました。
しかし、カラオケ店を出るとき、柴田がふたりのやり取りを録音していたことに気づき、〈私〉は青ざめたのでした。
さて、鎌倉の祖父の家では、自炊が続きます。
そこへ、イラストレーターの猪俣が訪ねてきました。
彼に押し倒されたとき、過去の柴田とのことがフラッシュバックして、〈私〉は茫然となります。
それはカラオケ店から一週間後のことでした。
柴田も来ているという創作和食の店に出かけていきました。
彼がトイレに立ったので追いかけていくと、乱暴にトイレサンダルを突き付けられたということがあったのでした。
鎌倉の家では、けだるい日々が過ぎていきます。
近所のおばさんに味気ない食事をふるまわれたり、訪ねてきた猪俣とセックスにふけったり。
猪俣はセックスした翌朝、美少女写真家とのトークイベントに参加するため、出ていきました。
〈私〉はどうしょうもなく淋しい。
寝たり起きたりのうちに、柴田がやってきて、嬉しくなったのですが、それは幻に過ぎなかったのでした。
【転】夏の裁断 のあらすじ③
トイレのサンダル事件のあとのことです。
柴田と打ち合わせすることになりました。
呑みながら話をし、〈私〉はまたしても柴田にからめとられていく自分を自覚します。
柴田は手を握ったり、抱き寄せたり。
でも、だからといって〈私〉が求めていくと、突き放します。
彼のなかで〈私〉は終わっているのだと感じます。
柴田といっしょに母がやっているスナックへ行くと、あとで母から「あの男はあなたの手に負えない」と忠告されました。
何度か柴田と会いますが、いつも緊張して、彼の顔色をうかがう自分がいます。
右手が痙攣を起こしました。
心因性のようです。
大学のときに世話になった教授に相談しました。
教授は柴田のことを聞いて、「本能的に人をコントロールするのが得意な人間はいる、距離をとったほうがよい」とアドバイスしてくれました。
〈私〉は子供の頃、バーベキュー大会で、母のスナックの客だった磯野に、わいせつなことをされたことを思いだします。
さて、父が倒れたという連絡がきました。
〈私〉が6歳のときに離婚して縁遠くなった人です。
〈私〉は見舞いに行きません。
柴田と会って話すうちに、父と柴田がよく似た同類の人間であることに気づきました。
鎌倉の家では、自炊が遅々として進みません。
猪俣がやってきて、彼がイラストを描いた〈私〉の本を裁断しようとしているのを見て、怒りました。
そこから、〈私〉が本心を隠していることへと、怒りがつながっていきます。
〈私〉は、小さいときに男にわいせつなことをされたため、暴力を受けると従わなければならない気持ちになってしまうことを打ち明けます。
それでも磯野は、〈私〉が自分に恋していないことを悟り、家を出ていくのでした。
【結】夏の裁断 のあらすじ④
柴田に翻弄された〈私〉は、彼の会社の仕事はできない、と告げました。
自分から思わせぶりに近づいてきて、こちらが近寄ろうとすると拒絶するのは、洗脳といっしょだと話すと、柴田は、拒絶しましたっけ、とすっとぼけるのでした。
しかし、半年したら、〈私〉はまた柴田と会うようになりました。
柴田は〈私〉を抱きしめ、お前、オレ、という言い方をします、しかし、けっして〈私〉に心を許してはいないし、〈私〉が近づくことも許しません。
そのうち、柴田は会社を辞めると告げてきました。
辞めても、〈私〉のことが好きだから会いたい、とほざきます。
そのくせ、〈私〉も柴田のことが好き、と言うと、呆れているのです。
誘われているようで誘われていない。
近づけそうで近づけない。
それがやがてパーティで柴田の手にフォークを突いた事件へとつながったのでした。
教授に、なぜそんなことをしたのか、と訊かれ、わたしがさんざん我慢して思い通りになっているのに、意味がなかったからだ、と答えました。
教授は、もう一度生まれたら、とアドバイスしてくれます。
〈私〉は柴田の会社に連絡して、完全に縁を切ることにしました。
先輩の作家のパーティに、猪俣がついてきてくれました。
猪俣は、〈私〉の母に会って、磯野のことを問いただしていました。
すると、磯野などという客はいなかったのでした。
では、磯野にわいせつなことをされたというのは、どういうことだったのか? それは〈私〉にもわからないのでした。
不確かな過去は過去として、〈私〉は新たに生まれることを決意するのでした。
夏の裁断 を読んだ読書感想
純文学作品です。
非常に捉えづらい作品です。
普通のエンタメ小説を一本の木とすると、これは草花の茂った花壇のようなものだと感じました。
エンタメ小説の場合、こまかな枝葉をとりあえずおいて、木の幹を追っていけば全体をつかむことができます。
ところが、本作の場合、こまかなエピソードが並立していて、それらが揃うことで、全体として、とある雰囲気が出来上がっているのです。
ですから、ひとつひとつのエピソードをおろそかにはできないのですが、その一方で、そのひとつひとつがどのように有機的に役割を果たしているのかを分析することはわたしにはむつかしいのでした。
さて、物語は、ひとりの男性編集者に翻弄される女性作家を描いています。
初めのうち、この女性作家はいわゆるマゾヒストで、ワイルドな男性編集者の柴田に乱暴されることで、かえって恋をしてしまう、ということかと思っていました。
しかし、読み進むと、それほど単純なものではありませんでした。
〈私〉は子供の頃、大人のオトコからわいせつな行為を受け、支配される心理になってしまっているらしいです。
柴田は、〈私〉を支配しようとしているように見えて、その実、突き放しています。
蛇の生殺し状態です。
それでいら立った〈私〉が、ついに攻撃したのかな、と、これもかなり単純ですが、そんなふうに思った次第です。
ともかく、女性のこまかな感情の襞が描かれていますので、女性読者の共感を呼ぶ作品だろうと思いました。
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