第2話「ほろよい気分の夜」
「お疲れさまー」
「本当にお疲れ!」
久しぶりの会社の同期会だ。志織は同期のなかでは、あまり優秀ではないと自覚はしている。ただ、とはいっても、年齢が同じくらいのひとたちと話すと安心した気持ちにもなるのだ。こんな優秀なひとたちだって、たくさんミスをして怒られることがあるのだと知ることができる。ネガティブな共感だが、そんなことで慰められるのだ。
「井口さん、少しやつれたみたいだよ。大丈夫?」
「林さん、うん……仕事がきつくて」
「わかる、わかる。自分でどう動いたらいいのか悩むよね」
「林さんも?」
「最初はわからないことがわからないよね。ただ邪魔にならないよう座っているしかないの。泣きそうになった」
「わたしも、そうだよ」
同じ年に入社した同期のひとり、林美佳はかわいい雰囲気だが、はっきり自分の意見は主張する女性だ。会社には美人が多く採用される秘書課があるが、美佳は秘書課にいる女性たちと負けないくらいかわいらしく華がある。会社の花形、人事部を希望して入社一年目から活躍しているのだ。そんな美佳は、志織にはまぶしく見える。
美佳を中心に、気の合う女子たちと話す。男性は男性で固まってしまうので、男性にあまり慣れない志織にとっては居心地がよい飲み会である。
「井口さん、箱入りお嬢さんっぽいから心配になるよ~」
しばらくすると、美佳はお酒がまわってきたのか絡んできた。志織はそんなことはないと思うが、美佳からすると志織は天然っぽいところがあるらしい。しゃべりかたがゆったりしていると言われる。そのため、きつい女性の上司からいじめられていないかと心配をされるのだ。
確かに、仕事をしてもとろいというレッテルをはられやすいとは思う。決して言われた締め切りを過ぎたりするわけでもなく、普通に仕事をしているはずなのだが、それでも遅いと言われてしまう。
「井口さん、おとなしいから自信がなさそうにみえるのかな」
「自信はもてないかな?林さんみたいにしっかりしたい」
「ただやかましいだけだよ、わたしは」
美佳はそのまま深酒をしてしまい、同期のひとに送られていくことになった。美佳もストレスが多いのだろうと志織は思った。志織は案外お酒が強い。酔いはするものの、足がふらつくことなどなかった。
同期たちは早めに解散して、それぞれいきつけの店に行くことになる。志織はこのまま帰ることにした。
いつも飲んでいる居酒屋は、会社から少し歩いたところにある。店から少し歩くと、駅が見えてくる。そこから電車を数駅のると、志織が住んでいるアパートがある駅につく。
「はあ、おなかへったかも」
電車にのりホームに降り立つと、ほっとした気持ちになった。飲み会では、飲んでばかりで食べものをつまむ程度だった。
駅からまっすぐの大通りを歩いて自宅が見えてくる。駅の周辺は小さな店が多くあり、サラリーマンの憩いの場所となっていることがうかがわれる。志織もいきつけの店があったら、ちょっとご飯を食べたいと思う。だが、どの店がいいのか知らない。
「あれ?井口さん」
すると背後から声が聞こえた。振り返ると、上司の坂下だった。なぜここに坂下がいるのだろう。志織は慌ててあいさつをした。
「こんばんは、坂下さん。わたしの家ここからすぐで」
「ああ、俺もこの近くが住まいなんだ。あのマンション……」
「大きいマンションですよね、すごい」
「いや、たまたま知り合いがいてね、割安で購入できたよ。駅も近いし便利だね」
「これからお帰りですか?」
「いや、少し飲んできたんだけれど。おなかがすいて。小料理屋があるから行こうかなって」
「小料理屋!」
「興味ある?でも地味なお店だよ」
「自炊でこったもの作る気力もなくて、素朴なものが食べたいなって」
「それ、わかるよ。仕事で疲れると、ご飯も作るのもおっくうだよね。それじゃあ、一緒にくる?」
「いいんですか?」
「疲れた顔をしているから、元気を出してもらおうと思って」
「ありがとうございます」
普段の志織だったら、男性に飲みに誘われても断ってしまったかもしれない。だが、相手が志織にとって心許せる男性だったら話しは別だ。会社の外でみる上司は、少し憂いを帯びた男性だと思った。坂下は自分が若くないといったジョークを言ってはいるが、そんなことはないと思った。
三十五歳でも、もっと老け込んでしまう上司もたくさんいる。太ってしまって、頭がさびしくなってしまうひと。しかし、坂下の場合は年齢による深みを感じられて、魅力的に感じられた。
「おかみさん、いつもの定食ふたつで」
連れてこられた小料理屋は、古民家を改築したのか古い建物だった。中にはいると、古さを残しつつきれいなキッチンだった。カウンターからは店主の男性と、おかみさんが見える。慣れた様子で、椅子に座る坂下。志織は周囲を見回しながら、隣の椅子に座った。店のなかに香るしょう油のかおり。それだけで食欲をそそられた。
少ししてテーブルに置かれたのは、小鉢と魚の煮付け、ごろごろ野菜の煮物。そしてご飯とみそ汁だった。久しぶりの純和風の食事に、志織はすっかり仕事での嫌な気持ちを忘れることができた。
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