第1話「苦いビール」
「ホンマにええんか?」
相方の岡田が心配そうな顔で俺を見てそう言った、
「ええんや、あいつとはこういう運命やったんや。せいぜい笑われてくるは!」
俺は、無理やり作った笑顔でそう応えた。
今から向かう先は記者会見の会場、俺が10年付き合った恋人と破局したそれだけのことを話す場、そして俺があいつとちゃんと区切りをつけるための儀式の場だった。
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「あんた全然おもんないやん」
エリと出会った時第一声で言われた辛辣な評価を今でもまだ覚えている。
あの日芸人の先輩に連れられていった飲み会では、当日のライブにも来てくれていた、先輩曰く「イケイケのギャル」3人が待ち構えていた。
金髪でいかにもなギャル二人に連れられて来た一見地味な女の子、それがエリだった。
ぱっと見では仲良くなるイメージのわかないギャル二人とエリは、同じ高校で同じお笑い好きという理由で今も仲良くしており、当時から一緒にお笑いライブに通っているライブ友達なんだとか自己紹介で言っていた。
そんなこんなで酒と飯が運ばれてきて飲み会は始まった。
当日相方がネタを飛ばし、アンケート結果も散々な順位だった俺が、ふてくされたような顔で乾杯して苦いビールを流し込んでいると冒頭のセリフをエリに言われたのだ。
「いやいや、あれはちゃんとネタ飛んでなかったら後半回収してんのよ、それをあのアホが大なしにしてくれたんやないか!」
俺はついカッとなって反論していた。普段だったら、冗談の一つでも言って煙に巻くところだが、この日の俺はよほど気が立っていたんだろう。
「うちが言ってんのはネタの話じゃなくてな、相方がネタ飛ばしても台本通りに進めようとして笑いに変えようとかちっともしてへんとこな!ネタだけ書きたいなら作家になったらええねん、漫才はナマモノなんちゃうの?」
正直俺は何を言い返すこともできなかった、今回のネタを書き上げた時の傑作が生まれたという自信は吹き飛んで、思い返してみれば俺の対応も随分とお粗末で、何より相方に対してなんのフォローもできていなかったことに気が付いたのだ。
恥ずかしさからビールをさらに煽っていると飲み会の主催の今本さんが助け舟を出してくれた。
「まーまー!こいつもまだ若手だから!許してやって!」
「今本さんは今日もオモロかった〜!もう後半ずっと笑ってもうた!」
「本当に!!ありがとう!!めっちゃ嬉しいわ!ほらほら矢野も飲め飲め!こんな可愛い子と飲めることあんまないだろ!」
「ちょっと勝手に決めつけんといてくださいよ!でももうこんな日は飲むしかないですね!おねーちゃん、ビールおかわり!」
恥ずかしさや情けなさを誤魔化すようにそれから俺は酒を煽り続けた。
2時間後、そこには泥酔して酔いつぶれてしまった俺がいた。
「あんたが本当はおもろいって、うちはわかっとるから」
耳元で誰かがそんなことを言っていたような気がしたが、あれはきっと夢だったんだろう。
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今本先輩に自宅まで送り届けられた俺を、相方の岡田が出迎えてくれた。
一人分の家賃も払えない貧乏芸人の俺たちは狭くて古いアパートの部屋をコンビ二人で借りて暮らしていた。
「大事なとこ飛ばしてもて、ごめんな」
しばらく床を見つめて黙っていた岡田がポツリとこぼした。
「うん」
俺は飲み会でのエリとの会話を思い出しながら耳をかたむけた。
「次はちゃんとやれるように俺練習しててん、だから次こそみんな笑かそうな」
そーか、俺が飲んでる間こいつはこいつで頑張ってたんだな、
「それにしても飲んだな〜今日はもう早よ寝!」
「うん」
「・・・」
「俺もフォローできひんくてすまん」
こんなこと、岡田に言うのは初めてだ。
「え!?」
「お前がネタ飛ばした時立て直すためになんもできてへんかった」
「・・・」
「二人で漫才やってんねん、どっちかだけのせいなんてことないやろ、お前がどんだけネタ飛ばしても気の利いたこと言って笑いとったる」
ちょっとクサイけど、今の俺は酔ってるんだ!このくらいいいだろう?
「そんないつもネタ飛ばすか!、、、ありがとな」
「・・・」
「・・・」
「きしょ!なんやこれ、寝よ寝よ」
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翌日のライブで俺たちライラックは初めてアンケート1位になった、なんでもないただの若手ライブ、それでも俺と岡田は本気で喜んだ。
そして不思議と俺はエリのことを思い出していた。
<今日の漫才は及第点やな!>
エリという名前で送られてきたLINEに昨晩の記憶が曖昧な俺は慌てて返信する。
<あれ、エリって昨日のおもんないのエリちゃん?>
<随分とエリって名前の女友達が多いんやね、だいたいおもんないのエリちゃんってどういう覚え方よ💢>
<ごめんごめん、昨日LINE交換してたんやな、全然記憶なくて>
<アホやな〜飲みすぎやねん!>
特に好みだったわけではない、でもその時なんとなく俺はエリに会いたいなと思った。
<今着替えて帰るとこなんやけど、まだ近くおったら飯行かへん?>
既読がついて返信が来るまでの数分が随分長く感じたのを今でも覚えている。
<餃子とビールな>
「なんやそら」
「ん、どないしたん?」
「岡田!お前今日ちゃんと飛ばさずやれたやないか!えらいぞ!この!」
俺はそう言いながら岡田の頭をゴシゴシ撫でた。昨日のことを思い出して照れ臭くなったのだ。
「なんやねん、やめろや!当然やろが!!」
振りほどく岡田も口元は笑っていた。
「俺はこの後餃子食って帰るから、お前はまた練習しとくんやぞ!」
「アホ抜かせ!これからバイトじゃ!」
「知らんわ!」
会話がひと段落したタイミングでスマホが震えた。
<会場出て左に行った交差点で>
<りょ>
手早く返信すると、そのまま楽屋から駆け出した。
この後俺はまた飲みすぎて記憶を失うことになるのだが、それはまた次の話で。
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