志織は、ワンピースを選んだ。
外は晴れている。
ちらりと鏡にうつる自分を見つめて、メイクを確認した。
今日のアイシャドウは、ピンクの淡い色を選んだ。
ワンピースはふんわりした素材で、色はアイボリーだ。
今日は坂下と出かけることになった。
ことの起こりは、同僚の女性から都合が悪くなってチケットをもらってほしいと頼まれた。
せっかく購入したのだが、期日が近くなってしまったという。
もったいないから、ぜひ使ってほしいと言われた。
志織は困った様子の同僚に、断ることができなく、お土産を買ってくると約束した。
友人と行こうか悩んだが、だめもとで坂下に相談したのだ。
そうしたら、珍しく坂下が承諾してくれた。
「俺、そのテーマパークに行ったことがないんだ」
「え、一回も?」
「昔、修学旅行で行ったことがある気がするけれど。面倒で適当にベンチで座って休んでいたんだ。だからアトラクションに乗ったことがない」
「確かに並ぶのは嫌ですよね。でも、今は並ばなくていいようになったのです。だから、乗るためのチケットをとれば、すんなり乗ることができるようになりましたよ」
「そうなのか、楽しい?」
「一回お試しでいってみませんか?食事もおいしいレストランもあって、景色も素敵で、夜はお酒もおいしいです」
「へえ、いい景色にお酒。魅力的かもしれない」
「じゃあ、予約とかは任せてください。坂下さんをわたしがエスコートしますよ」
「それじゃあ、頼むよ」
坂下とデートらしいデートはしたことがない。
商店街に買い物に行ったり、会社の帰りに飲みに行ったりすることはある。
だが、わざわざ休日におしゃれをして、出かけることがないのだ。
もちろん人目を気にしてというのもあるだろう。
同僚に知られてしまっては、何かと弁解が面倒なのもある。
ただ、志織は坂下と昼間にデートがしてみたいという気持ちがあった。
とはいえ、自分から率先して誘うというのは、していいことなのか悩んでいた。
デートの口実ができて、志織は口元がゆるんでしまいそうになった。
坂下との関係は、正直わからない。
体の関係はあるが、恋人同士とは言えない。
愛人関係なのかもしれないが、妻の存在を感じることもない不思議な不倫関係。
罪悪感はあるが、少しずつ慣れてきてしまっている。
人間は慣れてしまうと、もっともっとと欲張りになってしまうのだ。
ただ最初は、一緒にいられればいいと思う気持ちだけあった。
だが、それがもっと一緒にいたい、もっと彼の時間を独占したい。
もっと好きになってほしい。
自分だけではなく、もっと相手にも求めてほしいと、身の程をしらない願いさえいだいてしまう。
「坂下さん、チケットもって来ました?」
「大丈夫、やっぱり人が多いな」
現地で集合することにした。
志織はラフなかっこうをした坂下を見つめる。
ポロシャツに、チノパンというシンプルな装いだが、かっこいいと思った。
二人でテーマパークを歩いて、季節の花々が咲き乱れる園の中を見渡した。
マスコットたちが、手を振ってくれる。
「親子も多いんだな、学生も多い」
「学生のカップルもここにくることが、大きなイベントみたいなところはありますからね」
「井口さんも、学生のときにきた?」
「はい、やっぱり付き合ったらここにくる、みたいな流れがありましたね」
「へえ、そう考えると不思議な場所だな」
確かに不思議な場所だ。
夢があふれるテーマパークに、いい年をした大人が楽しそうに喜んで何度もくる。
すると、志織は初めて学生時代にできた恋人ときたことを思い出した。
あのときとは、見方がかわっている自分に気がつく。
あのころは一緒にいられて、毎日がドキドキして楽しかった。
好きになれば、結ばれて、ハッピーエンドだと信じていたころだ。
だが坂下と関係をもってしまった今、この結果がハッピーエンドとは思えなかった。
こうやってデートをしているのは素直にうれしいのに、複雑な気持ちが心を重くする。
空はあんなに晴れていたのに、今は少し雲がでてきた。
「天気が悪くなってきたみたい」
「坂下さん、こういうときは屋内のアトラクションに行きましょう」
「さすが、井口さん慣れているね」
坂下から差し出された手に、志織はためらいなく手を伸ばす。
人が多いところなのに、この夢のある空間が、いつもは自重する気持ちをはね飛ばしてしまう。
自然と手をつなぎ遊園地でデートをする。
付き合ったら当たり前のことであるのに、特別な手つなぎ。
「わたしたち、カップルに見えますよね」
「年齢的に、親子には見られないよね」
手をつないで確認するように坂下に聞いてみる。
肯定はするが、肝心のほしい言葉は言ってくれない。
わたしたちの関係はなんなのだろう。
一緒にいれば満足すると思ったのに、今は足りない。
はっきりとした言葉がほしい。
「坂下さん、好きですよ?」
「俺もだよ、井口さん」
志織が坂下を見あげた。
気持ちを口にすれば、好きだと言ってくれる。
それだけで、少しは心が満たされる。
でも、彼の一番はわたしじゃない。
志織はわかっている。妻という立場には自分はいない。
しょせん会社の上司と部下なのだ。
自分でも欲ばり気持ちにあきれてしまう。今はこんなに幸せな時間であるのに。
志織は坂下の手をぎゅっと握った。
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