著者:川崎徹 2014年6月に講談社から出版
ムラカミのホームランの主要登場人物
わたし(わたし)
物語の語り手。CMの演出をフリーでこなす。どこへ行くにもラフな格好でスニーカーを履く。
ムラカミ(むらかみ)
わたしの幼なじみ。投打ともに無限の可能性を秘めていたプレイヤー。
彼(かれ)
わたしとは同い年でビジネス上のパートナー。立派な体格で学生時代は相撲に熱中。
ウディ・アレン(うでぃあれん)
監督・役者として世界で活躍するスター。服装は地味で風采が上がらない。
ムラカミのホームラン の簡単なあらすじ
わたし、ムラカミ、彼の3人は同世代で同じ東京の下町で生まれ育った仲良しです。
真っ先に頭角を現したのはムラカミで、少年野球で規格外の活躍をみせていきますが高校2年生の時にあっけなく亡くなってしまいます。
私とコンビを組んでコマーシャル業界で成果を出していた彼も、60代の半ばを迎える頃に病気でこの世を去っていくのでした。
ムラカミのホームラン の起承転結
【起】ムラカミのホームラン のあらすじ①
1956年、小学3年生になったわたしは組替えでムラカミと彼と同じクラスになりました。
ムラカミの実家は山手線の線路際に並んでいた新聞販売店、彼は校門前で営業していた酒屋の長男、わたしはごく普通のサラリーマンの息子。
それぞれの親の職業は違っていましたが、ムラカミと彼は近所に住んでいて前々からお互いの家を行き来する仲です。
卒業まで3人ひと組で行動するようになったのは、ふたりの間に加わったわたしが付録のような役割をしていたからでしょう。
学年でいちばんに野球がうまかったのがムラカミ、昼休みになると校舎の壁を相手に投球練習をしていました。
壁にはチョークでストライクゾーンが描いてありましたが、わたしや彼が投げても命中しません。
高く足をあけたモーション、ランナーを想定したノーワインドアップ、スピードとコントロール、内角と外角、高めと低め… すべてを兼ね備えているムラカミは10球のうち7〜8球をゾーン内に投げ込んでいます。
【承】ムラカミのホームラン のあらすじ②
甲子園に度々出場する強豪校に進学したムラカミは、投手としてよりもバッターとしての素質を評価されていました。
何度かわたしも練習試合を見に行きましたが、大学生並みのスイングスピードで弾丸のようなホームランを右翼席にたたき込んでいます。
一塁手としてレギュラーを獲得したムラカミが練習後の入浴中に突然死をしたのが、東京オリンピックが開催されていた1964年。
キャッチボールをしながら出棺を見送るチームメイトたち、ムラカミの遺体もユニフォーム姿です。
日焼けした顔の主将がお別れの言葉を読み上げた瞬間、ムラカミの父親は涙が止まりません。
わたしと彼も参列していて、霊きゅう車の横で断片的な思い出を振り返っていました。
わたしたちがムラカミを通して知ったのは、「才能」という言葉の影に隠されている残酷な現実です。
生まれ持った運動神経と思考回路に恵まれていたムラカミ、誰もが彼にあこがれていましたが努力とトレーニングだけでは到底手が届きません。
【転】ムラカミのホームラン のあらすじ③
1973年、広告会社を辞めて演出家として独立したわたしでしたがオフィスを構える資金も仕事の依頼もありません。
最初に電話をくれたのが彼で、プロデューサーとしてニューヨークでの撮影スケジュールを調整してくれました。
学生相撲で主将を務めていくつもの大会で優勝をしただけあって、久しぶりに会うと185センチ95キロの大男になっています。
スタジオはかつて劇場だった建物を改装したもの、わたしが演出コンテの最終チェックをしていると通用口から入ってきたのは小柄な中年男。
付き人もいないために、フラりと現れた男があのウディ・アレンだとは夢にも思いません。
半年前から日本の百貨店が企画していた今回のキャンペーン、わたしも会議室で入念にプランを練ってきました。
アレンは2回ほどリハーサルをしただけで、わたしが半年間かかっても見落としていたポイントを指摘してしまいます。
センチ単位が精一杯なアマチュアがわたし、ミリ単位で完璧さを求めるプロがアレン。
またしても才能の差を見せつけられてしまったわたしでしたが、撮影スタジオと編集室を右往左往する生活を続けます。
【結】ムラカミのホームラン のあらすじ④
実家が区画整理に引っ掛かって移転することになったために、彼は地元に戻って家業を継がなければなりません。
この辺り一帯の個人商店は軒並み苦戦していたために、酒類販売免許を生かせるコンビニエンスストアにのれんを替えていました。
転業については手紙で知らされていて、彼もテレビや雑誌を通じてわたしの仕事ぶりを把握していたようです。
同じ都内ということもあってついつい連絡を怠っていた矢先、久しぶりに彼から電話がかかってきますが声には元気がありません。
お見舞いに行ってみるとすでに意識はありませんが、耳だけは聞こえていると信じて話しかけてみます。
65歳の自分たちが生きていて17歳のムラカミが死んでいることへの戸惑い、生と死がクッションもなくつながっていることへの違和感。
まもなく訃報が届いたために、普段は縁のないスーツと革靴に着替えて自宅で行われている葬儀へと向かいます。
戦前の木造家屋と自動車では入れない横道を抜けた先、はるか後方にはわたしたちが子供の頃になかったスカイツリーが。
遺影の中で彼はまわしを締めてトロフィーを抱えながら、ニッコリと笑いかけてくるのでした。
ムラカミのホームラン を読んだ読書感想
「ムラカミ」「ホームラン」というタイトルの組み合わせからして、スポ根ものかと期待してしまうでしょう。
地元の野球クラブから高校球界屈指のスラッガー、ドラフト指名されて神宮球場を本拠地、数々の記録を塗り替えて最年少で三冠王… といった展開にはなりません。
よく考えるとこの小説が発表されたのは2014年、不思議な偶然と著者の想像力には驚かされるばかりです。
輝かしい未来が待っているはずのムラカミに、突如として降りかかる災難には胸が痛みました。
海外ではまさかのあの人とのご対面、ラストには東京のニューシンボルが映し出されるのも遊び心がきいていますね。
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