著者:村木嵐 2022年3月に幻冬舎から出版
阿茶の主要登場人物
阿茶(あちゃ)
本名は須和(すわ)。武田家家臣飯田直政の娘。夫神尾忠重亡き後、徳川家康の側室となり、阿茶と名付けられる。この聡明さで、家康の天下取りに貢献する。
徳川家康(とくがわいえやす)
江戸幕府を開き、戦国の世を終わらせた。
西郷局(さいごうのつぼね)
於愛の方(おあいのかた)とも呼ばれる。阿茶と同じく、家康の側室。家康との間に生まれた長松は、二代将軍秀忠となる。
神尾忠重(かんおただしげ)
阿茶の最初の夫。病を得て、阿茶に自分の死後、家康のいる浜松へ向かうよう遺言する。
阿茶 の簡単なあらすじ
「面白い一生を送らせてやろう。」
徳川家康の言葉に導かれ、同じく側室であった西郷局との友情に支えられた、戦国の世に阿茶局が歩んだ生涯。
側室のひとりでありながら、才気でもって、家康の全幅の信頼を得るその代償として、多くの痛みも知らざるを得なかった女性の波乱の一生。
阿茶 の起承転結
【起】阿茶 のあらすじ①
甲斐武田家家臣、飯田直政の娘須和は、女子のくせに賢しらな口をきくといつも叱られている少女でした。
通り雨が過ぎたある朝、馴染みの神尾忠重が、須和の父へ、あわただしく信玄公への取次を頼みにきました。
その知らせは、忠重の主君今川義元が桶狭間で、織田信長という武将の討ち取られた、というものでした。
さすがの須和も、口を挟むことができない雰囲気でした。
長く続く戦国の世が、大きく動いた瞬間でした。
須和の父と忠重は、世間の情勢を語るとき、時に須和も交えることがありました。
須和が十八の時、忠重に請われて嫁ぐことになります。
忠重は、須和の両親が少しもて余していた聡明さを気にいったのです。
二人は、一男猪之助をもうけますが、あえなく忠重は病をえて、亡くなってしまいました。
忠重はかつて垣間見た徳川家康が気になっていました。
「息子猪之助を徳川家康殿にお仕えさせるように。」
と、最期にそう言い残したのです。
須和はその言に従い、残された猪之助とともに、家康を訪ねました。
家康に目通りの機会を得て、猪之助は願い通り家康に仕えることができることとなりました。
しかし、まだ幼い猪之助一人で仕官させるのも忍びなく、彼が成長するまで須和も侍女としてお仕えしたい、と申し出ました。
すると、家康は快く許しました。
ただし、「側室として仕えよ」、と。
【承】阿茶 のあらすじ②
家康は須和に「阿茶局」という名前を授けました。
須和の聡明さを見抜いた家康は「これから阿茶にいろいろなものを見せてやろう。
面白い一生を送らせてやろう。」
と語りました。
須和改め阿茶は、その言を聞いて、運命を受け入れる決意をしました。
側室となった阿茶は、同じく側室である西郷局に目会わされました。
西郷局は、家康から於愛の方と呼ばれていました。
西郷局は、人がらもよく、美しいと評判の人です。
少し目が悪いとのことでしたが、分け隔てなく優しい印象でした。
最初は格別の扱いを受ける西郷局に対し阿茶は嫉妬心をおぼえました。
しかし、実際に会ってみると、慕わしい感じで、ずっと側にいたいと思う程でした。
西郷局は、幼いときから苦労をしていて、その身の上からか、若い頃から天主教すなわちキリシタンの教えに心を寄せているようでした。
阿茶は、西郷局や、絵師の狩野正信、そしてキリシタン大名の高山右近から直接天主教について聞き、興味を持ちます。
家康はそんな阿茶に、本を一冊、渡されます。
この本は、この世に一冊しかない本だが、家康の死後は、必ず焼いてしまうようにとの言い付けでした。
それは、天主教を日本語で訳した経典でした。
【転】阿茶 のあらすじ③
やがて、西郷局は男の子を一人生みます。
しかし、もともと身体が弱く、若いまま亡くなってしまいます。
亡くなるとき、息子長松を阿茶に託していきます。
この子が、後の二代将軍秀忠となるのです。
家康は他にも悲劇に見舞われました。
信長の謀によって、嫡男信康と正妻築山殿を失ったのです。
家康は、阿茶を重臣のように頼りにするようになり、時に戦場へも伴います。
大坂の冬の陣では、豊臣との攻防で、阿茶に交渉を任せるほどです。
このとき阿茶は、大坂城の外堀だけでなく、内堀も埋めるという、大きな成果をあげました。
秀忠は、大坂方の淀殿の妹江与と結婚し、その娘の千姫を淀殿の息子秀頼に嫁がせていました。
家康は、大坂での徳川家の支配を阿茶に任せました。
もし、戦闘状態になった場合、阿茶は家来に指図して、自力で逃走することも考えねばなりません。
それほど、家康の信頼は大きいものでした。
やがて、家康は豊臣家を滅ぼし、天下をとることができました。
しかし、家康にも最期の時が近づきます。
家康は、天皇より権現の称号を授かり、死後神として祭られることになりました。
【結】阿茶 のあらすじ④
二代将軍となった秀忠は、娘和子を入内させようとしていました。
阿茶は、秀忠より、入内に際して和子の付き添いを頼まれます。
その中には、後宮内を支配することも含まれました。
それは、和子に皇子ができなければ、他の女人から生まれる命に手をかけることです。
阿茶は、腹心の者に言い含めていました。
秀忠は、関ケ原の戦いに遅参したことをいつまでも悔いていて、それを払拭するため、父家康すらできなかった天皇の外祖父という地位を目指していました。
天主教をし始めて阿茶にとって、それは、恐ろしい罪に他ありません。
天主教ではもっとも大きな罪です。
おそらく、天国にいるはずの西郷局には会えないということです。
結局、和子は女子の他、男の子を二人もうけますが、二人とも大きくはなれませんでした。
しかし、最初の皇女は位を譲られ、天皇となります。
秀忠の野心は叶ったのです。
その後、和子以外の女人から、皇子が生まれることはありませんでした。
果たしてそれは、阿茶罪に手を染めたことの結果でしょうか。
かつて家康は死の間際、なぜ神になりたいのか、と問われ、阿茶を救うため、と答えていました。
阿茶とともにゆくために、神になると。
阿茶が八十三の年でした。
阿茶が家康の遺言通り経典を燃やしているとき、西郷局の気配を感じました。
自分は罪を犯しているから、もう西郷局には会うことはない。
そうおもっていた阿茶の手を、光の中にいる西郷局は、強く引き寄せて、導いていきました。
阿茶様の願いは届けられたのです、と微笑みながら。
阿茶 を読んだ読書感想
この物語を読み、最初に思ったのは、徳川家康が、天下人に納得がいくほど際立った人物に描かれている、ということです。
阿茶局という女性を、戦国時代の重要な場面に、これ程重用した、ということ。
男も女もなく、人として阿茶を評価した、ということでしょうか。
お陰で、家康の言の通り、阿茶はいろいろなものを見、面白い一生を送ることができたと、自身も感じたと思います。
ただし、時代も時代、面白い人生の代償も大きかったのでは。
この物語の中では信仰がひとつの支えとして示されます。
支えゆえに、罪を犯すことをひどく怖れたのでしょう。
その信仰は、西郷局との友情に繋がってゆきます。
阿茶の最期に、罪を犯すことから免れた証しとして西郷局が迎えに来てくれたことで、少し救われた気持ちになれました。
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