著者:小川洋子 2015年9月に講談社から出版
琥珀のまたたきの主要登場人物
オパール(おぱーる)
三きょうだいの長女。三きょうだいの中で一番壁の外の世界を記憶しており、弟たちに上手に話して聞かせる。バレリーナのように美しく踊る。
琥珀(こはく)
三きょうだいの真ん中。不思議な左目と図鑑の隅に描く絵で、死んだ妹を交えた家族の幸福な暮らしを支える。作中のアンバー氏は老人となった琥珀である。
瑪瑙(めのう)
三きょうだいの幼い弟。一番小さいが、合唱の時間とゲームの時間には彼が最も輝く。
ママ(まま)
三きょうだいの母親。「魔犬の呪い」から家族を守るため、きょうだいの父親が遺した壁に囲まれた別荘に子ども達を隔離して暮らし始める。
よろず屋のジョー(よろずやのじょー)
壁の中の世界へやってくる商売人。三きょうだいはママに内緒でジョーとの親交を深める。
琥珀のまたたき の簡単なあらすじ
「魔犬の呪い」から逃れるために始まった家族四人だけの安全な生活。
ママは三きょうだいに新しい暮らしに相応しい名前と衣装を与え、重要な禁止事項を課します。
ママの禁止事項を守りながら、壁の中での暮らしは幸福に過ぎてゆきますが、成長したきょうだいは小さなルール違反を重ね、安全な世界は綻び始めます。
並行して語られる私とアンバー氏の時間は、壁の中での奇妙で幸福な暮らしが生んだ美しい結晶を読者に見せてくれます。
琥珀のまたたき の起承転結
【起】琥珀のまたたき のあらすじ①
ママと幼い三きょうだいの奇妙な暮らしは、末妹の死から始まります。
ある日四人のきょうだいとママ、家族全員で出掛けた公園で末妹は野良犬に顔をなめられ、その翌日から高熱を出し、あっという間に死んでしまいます。
お医者さんには肺炎だと告げられていましたが、ママはそれを受け入れず、末娘は可哀そうにあの野良犬のせいで死んでしまったと思い込み、「魔犬の呪い」から残るきょうだいを守るため、末娘の葬儀後、彼らの父親の遺した立派な塀と広い林に囲まれた別荘に移り住みます。
その別荘には広い庭や壊れたオルガン、そして書斎にはパパが作ったたくさんの図鑑があり、一家の新しい暮らしを静けさと幸福で満たすにはうってつけの場所でした。
ここで三きょうだいは『こども理科図鑑』からそれぞれにぴったりの新しい名前を授かり、ママからは別荘での暮らしに相応しい尻尾や羽根や冠の付いた新しい衣装をもらいます。
そして新しい暮らしのために三きょうだいに課せられたのは、ママの大事な禁止事項。
「今日を限り、前の名前は忘れましょうね」「大きな声と物音を立てない」「壁の外には出られません」 こうして一家の奇妙で安全で静かな新しい生活が始まります。
【承】琥珀のまたたき のあらすじ②
三人きょうだいはママの禁止事項を守りながら楽しく遊ぶ術をすぐさま身につけ、家族はパパの遺したたくさんの図鑑とみんなで奏でる静かな音楽に包まれて幸福な時間を過ごします。
瑪瑙の左耳にはシグナル先生というチェックのシャツを着た殻付きピーナッツが好物の優しい声の人がいて、ハミングするように瑪瑙に言葉を教えてくれます。
庭には草を食べてくれるロバのボイラーがやってきます。
そして琥珀の左目にも変化が現れ始めます。
なにか「もやもやして、柔らかくて、優しいもの」が左目の中にいるのです。
はじめは糸くずのようで、それが光の当たる図鑑のページがめくれるのに合わせてアメンボになり擬態昆虫になり、愛くるしいひっつき虫になり、そして魔犬に噛まれて死んだ可哀そうな「あの子」になったのです。
それ以来、琥珀はパパの図鑑の隅に、ページをめくると軽やかに踊り飛び跳ねる愛らしい妹の姿を描き続けることにしました。
勉強の時間にはオパールが本棚の一番上の左端から順番にパパの図鑑を読み、琥珀は一番下の右端の図鑑から順番に妹の絵を描きました。
二人はいつか本棚のどこかでお互いが出会うのを楽しみにしていました。
遊びの時間には三人はパパの図鑑を道具に「オリンピックごっこ」や「事情ごっこ」などオリジナルのゲームを考え出して遊びました。
合唱の時間にはママが壊れたオルガンを弾き、オパールが庭でくるくると軽やかに踊り、琥珀と瑪瑙が歌います。
彼らはとても静かに話したり歌ったりするので、音楽もとても静かですが、それは確かにママと三きょうだい、そして可哀そうに死んでしまった末娘も交えた五人の美しいハーモニーなのでした。
三きょうだいは庭でそれぞれの名前にぴったりの小石を見つけ、それを大切に首からぶら下げました。
夜になると一つのベッドの上でその体を少しの隙間もなくくっつけあい、一つになって眠りました。
【転】琥珀のまたたき のあらすじ③
家族が壁の内側の世界で暮らすようになって数年が経ち、オパールは十六歳に、琥珀は十三歳に、瑪瑙は九歳になりました。
オパールはすでにこどもではなくなり、二人の弟とは別々に眠るようになっていました。
三人はいつも壁の外側に触れないよう用心深く過ごしていましたが、それでも外からの異物が何の前触れもなく訪れることがありました。
ある日静かに唐突に現れた一人の男の人が、三きょうだいとママとの間に重大な秘密を作ります。
彼はよろず屋のジョーという商売人で、別荘の裏の小さな扉から、自転車にぶら下げた鞄やたくさんの袋、コートについたたくさんのポケットに外の世界をいっぱいに詰め込んでやって来ました。
そしてジョーは、ママがいる時には絶対に来ないという約束をこどもたちと交わし、奇数週の水曜日ごとに別荘を訪れるようになりました。
この秘密をきっかけに瑪瑙とオパールはママの大事な禁止事項をこっそりと破り始め、家族四人だけの安全な生活のバランスが危うくなってゆきます。
瑪瑙はある日ジョーの扉から壁の外へ出てしまい、ママに気付かれないうちに帰ってくるのですが、その後もきょうだいやママには内緒で壁の外の仔猫のカエサルとの交流を始めます。
オパールはジョーと想いを通わせあい、壁の外に通じる小箱を通して手紙をやりとりし、ママの勤務表に小さな星印を書き記します。
琥珀はそんな二人の行動に気付きながら書斎の図鑑に妹の絵を描き続け、ママもこどもたちの秘密を知らないまま仕事から帰ると安全な書斎で図鑑をめくりあの子との時間を過ごしました。
【結】琥珀のまたたき のあらすじ④
家族を堅く守っていた壁が崩れたのは、オパールがママの勤務表に星印を付けたその日のことでした。
その日は奇数週の水曜日ではないのによろず屋のジョーがやって来ていて、オパールとジョーは二人の踊りを踊り、瑪瑙はオルガンを弾き静かに歌っていました。
琥珀はテラスからオパールたちの踊りを眺めていましたが、二人は踊りながら少しずつ庭の奥、外へ出る扉のある方へと遠ざかってゆき、止める琥珀の声が届かない場所へ消えてしまいました。
瑪瑙は仔猫のカエサルの小さな鳴き声を聞きとめ、カエサルを助けるためにこれまでに幾度かそうしてきた通り裏門から外へ出ました。
そこで大きな声の人に呼び止められます。
これがジョー以外の外の世界の人がはじめて壁の中で暮らすこどもに気付いた瞬間でした。
琥珀はじっと待ちました。
その間に小箱にオパールの小石が投げ入れられているのを見つけました。
書斎に戻り、図鑑を開きました。
やがてけたたましく呼び鈴が鳴り始めました。
瑪瑙に声をかけたその人の通報によって、六年八カ月の壁の中の生活は終わりを迎え、十七歳の長女は行方知れず、十四歳と十歳の兄弟は施設に保護され、その後下の子だけが里子に出されました。
そして今、アンバー氏となった琥珀の元には、生き別れた後に病死した弟の養父母から瑪瑙の小石も届き、施設の窓辺に三つの小石が揃って並んでいます。
アンバー氏は今でもとても小さな声で話し、そして時折施設の芸術の館で『一瞬の展覧会』を開きます。
『一瞬の展覧会』では、十二冊の図鑑が並べられ、一冊ずつアンバー氏の手によってそのページがめくられます。
一回の展示を共有できるのは五人まで。
アンバー氏を囲うようにして図鑑の片隅に描かれた瞬きのような一瞬の風景を見届けます。
そこではあの子がママにキスをして、オパールが踊り、瑪瑙がオルガンを奏でています。
静かに揺らめく小さな世界を琥珀の手が優しく守っています。
琥珀のまたたき を読んだ読書感想
小川洋子さんの描く小説の中の人は、どの人も何かが欠けていたり、どこか歪だったりして、私はその脆くも美しい人たちにどうしても惹かれてしまいます。
『琥珀のまたたき』に登場する一つの小さな家族は、その欠落や歪みを共有し合い、身を寄せ合って慎重に大切に守っている、優しい臆病さと愛に満ちた人たちであると思います。
家族の中でも一際小さな声を持ち、小さな声をよく聞きとることのできる琥珀の作品は、壁の外の人達にまで小さくて静かでとても大切な存在を教えてくれる特別な作品であり、この小説自体もまたそれと通ずる愛おしさを湛えています。
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