著者:梶井基次郎 1925年1月に新潮社から出版
檸檬の主要登場人物
私(わたし)
体を病んでおり、借金を抱えている若者。 鬱々とした気持ちに取りつかれている。 以前は丸善が好きだったが、自身の境遇から楽しい気持ちが芽生えない※主人公である私の独白の形式のため、他の登場人物はいない
檸檬 の簡単なあらすじ
主人公である「私」は、肺尖カタルと神経衰弱を病んでいたうえに、背を焼くような借金も抱えていました。
そのため、自身の置かれた状況が原因で、重くまとわりつくような憂鬱な気持ちに取りつかれていました。
しかしある日、果物屋の軒先で、珍しく売られている「檸檬」を見つけ、思いがけず購入しました。
その檸檬を袂に入れたまま、ぶらぶら歩いていると、憂鬱な気持ちが少し晴れるような感じがしました。
気が付くと、以前は大好きだった丸善の前に着いていました。
そして、大好きだったけど、今は嫌いになってしまった丸善の、画本の前に着いた私は、手に取った檸檬を。
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檸檬 の起承転結
【起】檸檬 のあらすじ①
(物語は、主人公である「私」の独白で進行していきます。
)主人公である「私」は、得体の知れない不吉な塊に終始押さえつけられているような心境にありました。
焦躁というか嫌悪といか、まるで酒を飲んだあとの二日酔いであるかのように、なかなか取れない憂鬱に取りつかれているのでした。
そしてまた、「私」は肺尖カタルと神経衰弱を病んでいたうえ、背を焼くような借金も抱えているのでした。
ただ、「私」は病気や借金が悪いのではなく、この不吉な塊にすべての元凶があると考えていました。
以前は美しい音楽や、美しい詩の一節に心を躍らせていましたが、今ではすべてが我慢できない代物に変わってしまったのです。
蓄音器を聴かせてもらいにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小節で不意に立ち上がってしまいたくなるという具合です。
私は何かによって「いたたまれない」気持ちにさせられ、いつも街から街を浮浪し続けていたのでした。
また、当時の私は見すぼらしくも美しいものに、強くひきつけられたのを覚えているのでした。
例えば、壊れかかった街が好きでした。
よそよそしい表通りよりも、汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転がしてあったり、むさくるしい部屋が覗のぞいていたりする裏通りが好きでした。
そして、そのような道を歩きながら、そこが京都ではなくて京都から何百里も離れた仙台とか長崎とかに来ているのだと、そんな錯覚を起こそうと努力してみたりするのでした。
【承】檸檬 のあらすじ②
生活がまだ蝕まれていなかった頃、私の好きな場所の1つに丸善がありました。
赤色や黄色ののオーデコロンやオードキニンが売っていました。
お洒落な切子細工や典雅なロココ趣味の浮模様を持った琥珀色や翡翠色の香水壜も売っていました。
煙管、小刀、石鹸、煙草も売っていました。
私は、そのような煌びやかな商品達を眺めるのに、小一時間も費すことがあったのです。
それくらい、丸善という場所が好きでした。
そして、ぐるぐる店内を回った後に、結局は一番いい鉛筆を一本だけ買うという贅沢をして帰ってくるのでした。
しかし、そんなに好きだった丸善ですら、あの頃の私にとっては、既に重くるしい場所に変わってしまっていたのです。
丸善にある書籍や、行きかう学生や、店の勘定台など、店内にある全てのものが、借金取りの亡霊のように見えるのでした。
また、その頃の私は、友達の下宿先を転々として暮らしていました。
Aさんの下宿先に泊まり、次はBさんの下宿先に泊まりと、友達に世話になりながら生活していたのです。
そのため、世話になっている友達が学校へ出発し待ったあとは、ぽつねんと一人で下宿先に取り残されるのが日常でした。
家主のいない下宿先に一人で居座るわけにもいきませんから、、私はまたそこからさまよい出なければならなかったのです。
まるで、何かが私を追いたてているかのように、街から街へ、裏通りを歩いたり、駄菓子屋の前で立ち留どまったり、乾物屋の干しエビや棒鱈や湯葉を眺めたりして、ぶらぶらと歩きまわるのでした。
【転】檸檬 のあらすじ③
私は、二条の方の寺町を下ったところで、果物屋を見つけて足を止めました。
少し、その果物屋を紹介したいと思いますが、その果物屋は私の知っていた範囲で最も好きな店だったのです。
決して立派な店ではなかったのですが、果物屋固有の美しさが最も露骨に感じられる店でした。
果物はかなり勾配の急な台の上に並べてあって、その台というのも古びた黒い漆塗の板だったように思えます。
何か華やかな美しい音楽のアッレグロの流れであったり、見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面であったり、そのような類の不思議な力によって、あんな色彩や、あんなボリュームに、凝こり固まったかのように果物は並んでいるのでした。
ちなみに、青物もやはり奥へゆけばゆくほどうず高く積まれていました。
実際に、あそこの店の人参葉の美しさなどは素晴らしいものでした。
また、水に漬つけてある豆や慈姑なども素晴らしかったです。
そして、その日の私は、いつになくその店で買物をしたのでした。
というのは、その店には珍しい檸檬が売られていたからです。
檸檬などは、ごくありふれているではないかと言われればそれまでです。
しかし、その店は見すぼらしくはないまでも普通の八百屋に過ぎなかったので、それまであまり檸檬を見かけたことはありませんでした。
そして私は、あの檸檬という果物が好きだったのです。
レモンイエローの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も好きでした。
それから、あの丈たけの詰まった紡錘形の恰好も好きでした。
結局のところ、私はそれを一つだけ買うことにしたのでした。
【結】檸檬 のあらすじ④
あれこれ考えながら歩いていると、どこをどう歩いたのか、私は最後に丸善の前に到着しました。
日頃はあんなに避けていた丸善が、その時の私にはやすやすと入れるような存在に思えたのでした。
しかし、店に入った時の勢いも束の間に、私の心を充たしていた幸福な感情はだんだん逃げていきました。
私は、今度は画本の棚の前へ行ってみました。
そして、気が付くと私は、ただ本を抜いては積み重ねる動作を続けていました。
私は憂鬱になってしまって、自分が抜いたまま積み重ねた本の群れを、じっと眺めていました。
その時、私は唐突に、たもとの中の檸檬を思い出しました。
本の色彩をゴチャゴチャに積みあげて、この檸檬を置いてみたら。
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その思い付きは、私に先ほどの軽やかな昂奮を呼び戻してくれたのです。
私は、手当たり次第に積みあげては恐し、また慌ただしく積み上げてという動作を繰り返しました。
最後には、納得のいく画本の山ができました。
そして、軽く躍り上がる心を制しながら、その本の山の頂上に、恐る恐る檸檬を置いたのです。
それはとても上出来に思えて、私はしばらくそれを眺めていました。
しかし、不意に第二のアイディアを思いつきました。
それは、積み上げた画本と檸檬をそのままにしておいて私は、なに喰くわぬ顔をして外へ出る。
というものです。
そして、丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、あと十分後には大爆発をするのだと想像しました。
「そうしたらあの気詰まりな丸善も粉葉こっぱみじんだろう」と。
そして私は、活動写真の看板画が奇体な趣きで街を彩いろどっている京極を下って行ったのでした。
檸檬 を読んだ読書感想
檸檬は、梶井基次郎の代表作でもある短編小説です。
物語は、病魔と借金に蝕まれた若者である「私」の独白で進行しますが、短編小説としても非常に短いものになっています。
実際のところ、私が自分の好みを語り、好みの変遷を語り、果物屋で檸檬を見つけ、丸善の画本を散らかして、檸檬を置いて帰ってくる。
それだけの小説であり、登場人物もなく、事件性もなく、驚くべき仕掛けもありません。
しかし、この短い短編小説の中に仕掛けられた感情の爆弾は、読むものをとらえて離しません。
しいたげられた、社会的弱者が感じるであろう世の中とのギャップを、巧みな文筆で表現しています。
まるで、カミュの「異邦人」や、サリンジャーの「ライ麦畑で捕まえて」の主人公のように、世間への違和感を感じる主人公は、現代風にゆうと、少しパンキッシュな思想を持つことで、気持ちが向上するのでした。
このような感情の機微をとらえたうえで、鬱々とした作品背景の中で、檸檬というアイテムが、カラフルな色彩を与えています。
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