著者:山崎ナオコーラ 2016年7月に文藝春秋から出版
美しい距離の主要登場人物
夫(おっと)
四十代前半。保険会社勤務。物語の語り手だが、語り手としての代名詞(私、ぼく等)はない。作中に名前は出てこない。あらすじの上では「夫」とした。
妻(つま)
四十代前半。夫と同い年。サンドウィッチ屋を営む。作中に名前は出てこない。
妻の母(つまのはは)
ケーキ屋でアルバイトしている。作中に名前は出てこない。
妻の父(つまのちち)
保険会社勤務。夫の元上司。作中に名前は出てこない。
双子屋(ふたごや)
二十代後半の女性たち。妻のサンドウィッチ屋にパンを卸している双子のユニット。
美しい距離 の簡単なあらすじ
妻は、四十代前半という若さで癌を患い、わかったときには手遅れでした。
保険会社に勤める夫は、介護休暇として、午前中だけの勤務にしてもらい、午後は妻の見舞いに行きます。
そうして、医者や、見舞客や、妻のとの関係について、さまざまに思いをめぐらすのでした……。
美しい距離 の起承転結
【起】美しい距離 のあらすじ①
「新田病院行き」のバスに乗って、夫は妻の見舞いに向かいます。
途中、菜の花畑に絨毯のように花が広がっていました。
夫は初めて出会ったときの妻が、菜の花模様のワンピースを着ていたことを思いだします。
妻は、会社の上司の娘でした。
当時の夫は保険会社に入社して五年目で、仕事ができないことに悩み、退職を考えていました。
そこへ妻の父が支社長として異動してきて、適切なアドバイスをくれました。
仕事を続けることができた夫は、妻と知り合い、結婚します。
OLだった妻は、結婚して二年でサンドウィッチ屋を始め、いまにいたります。
夫は、病院に入院している妻の見舞いに行きました。
だんだん身体が動かなくなっていますが、なるべく自分でできることはやらせようと思っています。
短く切った妻の髪を結ってあげました。
妻を車椅子でトイレにつれていき、もどると、妻の母が来ていました。
看護助手が妻の身体を拭いている間、廊下に出ることにします。
夫はいま、介護休暇として、午後からの仕事を免除してもらっています。
毎日見舞いたいのですが、妻の母も週三回のアルパイト以外は見舞いに来たいようなので、ふたりで曜日を分担することにしました。
【承】美しい距離 のあらすじ②
『双子屋さん』が見舞いに来ました。
妻の営むサンドウィッチ屋に自家製のパンを卸している、双子の女性です。
ふたりは、試作したサンドウィッチ用のクロワッサンと、料理本を持ってきてくれました。
ふたりは帰るとき、夫に、また来てよいか、と尋ねます。
妻は、病気の初めのころは、見舞客を断っていました。
弱っている自分を見られたくなかったようです。
しかし、この大病院に転院して、自分の病気について説明を受けてからは、知人の見舞いを歓迎するようになりました。
そのことを双子のふたりに伝えると、また来ます、と言って帰っていくのでした。
それからしばらくして、妻は三つ目の病院に転院しました。
中くらいの病院で、ホテルのような内装です。
夫はずっと時短出勤しています。
最近は同僚との距離や仕事のことで、少しいらだっています。
さて、妻が一時帰宅できるかもしれない、という話になりました。
まず介護認定を申請しました。
認定調査員がやってきて、妻を審査します。
その間、外に出ていた夫のところへ、調査員が来ました。
彼女は、こういう場合に、誰にでもするようなアドバイスを夫にします。
夫は、そんなステレオタイプのアドバイスは自分たちには合わない、と思っていらだちます。
しかし、妻のところにもどると、認定員のことを良い人だと言うのでした。
【転】美しい距離 のあらすじ③
妻の営むサンドウィッチ屋「パンばさみ」に野菜を卸している「小林農園」の主人が見舞いに来ました。
病期だとわかったころ、すぐに見舞いに来たのを、妻の希望で帰ってもらった人です。
農園の主人は、ちょっと見てもらおうと、トマトとレタスを持ってきてくれました。
妻はそれをパリパリとほおばり、「おいしい」と言います。
夫は、仕事の話をしたいだろう、と席を外します。
やがて、見舞いを終えた農園の主人が出てきました。
「あんなにやせて」と妻のことをあわれんで、涙を流します。
夫は、こっちは泣きたくても泣かずに辛抱しているのに、他人のくせに勝手に泣くなよ、などと思うのでした。
転院してひと月がたちました。
当初、余命ひと月という見通しでしたが、まだ生きています。
担当医は、治療していないので治っているわけではなく、小康状態が続いているだけだ、と言います。
また、家へ一度帰ったり、その他の希望があれば、できるだけしてあげたほうがよい、と説明します。
一方、夫は、妻のことについて要望があるのですが、うまく言葉にできないのでした。
しばらくして「パンばさみ」のふたりの顧客が見舞いに来ました。
ふたりとも妻の作るサンドウィッチをほめ、感謝の気持ちを伝えます。
妻は、いま考えているサンドウィッチの構想を話し、ふたりが帰るとき「ありがとうございました」と言うのでした。
【結】美しい距離 のあらすじ④
妻が三度目にあぶない状態になった翌日、午前中に見舞いに来て良い、と病院から許可されました。
夫は、一日会社を休んで見舞いに行こうとしますが、大事な会議があるから、と許可してもらえません。
やむなく、会議が十一時に終わったあと、大急ぎで病院へ駆けつけます。
痰の吸引が終わった妻の身体を拭いているうちに、呼吸がおかしくなりました。
看護師に言われて、妻の両親に連絡を入れますが、彼らが来たときには、もう息を引き取っていたのでした。
葬儀社がいろいろ葬儀の手配をしてくれます。
エンバーミングで妻が美人に見えることに、なにか違うと感じました。
受付などは、夫の会社の申し出を断り、妻の店の関係者に頼みます。
会社関係から大量の花輪が来て、妻の店の関係者から来た花輪が目立たないことも、なにか変だと感じます。
弔問客が、いちいち自分たちの物語を得ようとするのにも、イライラします。
イライラし通しの葬儀でした。
葬儀が終わり、毎晩妻の夢を見ました。
月日とともに、しだいに妻の夢を見なくなっていきます。
妻との距離が変わっていくのです。
出会ったころは敬語で話し、近づいてタメ口となり、いままた敬語になりました。
妻との距離は変化しつづけていますが、それもまた良いものだ、と夫は思うのでした。
美しい距離 を読んだ読書感想
第155回芥川賞候補作です。
一読して感じたのは、なんともユニークな夫婦だなあ、ということです。
夫は、見舞客にしろ、看護する職員にしろ、かなり分析的に見て、「そうじゃないだろ」と、いつもイラついているようです。
それは妻の人生を尊敬し、妻の尊厳を踏みにじらないでほしい、という愛情の現れでしょうか。
一方、妻のほうは、なんだか超然としているというか、悟りきっているみたいなところがあります。
会いたい人とか、言い残したこととか特にないが、ありがとうと言いたい、といったセリフが出てきます。
自分の死を前にして、ジタバタしていません。
長年、小さなサンドウィッチ屋を切り盛りしてきた自信がなせるわざでしょうか。
私などは、とてもこの夫婦のようには死を迎えられそうにないなあ、と思い、うらやましく読んだのでした。
コメント