「たった、それだけ」のネタバレ&あらすじと結末を徹底解説|宮下奈都

たった、それだけ 宮下奈都

著者:宮下奈都 2014年に双葉社から出版

たった、それだけの主要登場人物

望月正幸(もちづきまさゆき)
海外営業部長。賄賂の容疑をかけられ、失踪する。

望月可南子(もちづきかなこ)
正幸の妻。夫の帰りを待ち続ける。

望月ルイ(もちづきるい)
正幸と可南子の子ども。戸籍上の名前は「涙」だが、母親に言われて片仮名表記を用いている。

夏目(なつめ)
正幸の浮気相手の女性社員。彼を逃がし、賄賂のことを会社に告発した。

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たった、それだけ の簡単なあらすじ

賄賂の容疑がかけられた望月正幸が失踪しました。

賄賂の罪が明らかになる前に、彼の浮気相手の女性社員、夏目が逃がしたのでした。

正幸が失踪してから、残された妻の可南子、一人娘のルイ、姉の有希子はそれぞれ正幸に対して思いをはせます。

やがて時は流れ、高校生になった娘のルイは、同級生が働く介護施設を訪れます。

そこには益田という男ベテランの男の職員が働いていました。

それはおそらく、失踪した父親の正幸なのでした。

たった、それだけ の起承転結

【起】たった、それだけ のあらすじ①

突然の失踪

望月正幸が失踪した後、ある日の昼食時、夏目は蒼井さんにひどく責められます。

会社に大がかりな賄賂の容疑がかけられており、その実行者が海外営業部長の望月正幸だと密告した人が社内にいると言うのです。

実は、夏目は正幸の浮気相手でした。

部署の歓送迎会のあったある夜、二人は夏目の部屋で過ごしていました。

正幸の様子に異変を感じた夏目は、正幸の持っていたタブレットのファイルをこっそり開き、賄賂の証拠を見つけてしまいます。

守ってあげたいのにどうすることもできないと泣くことを抑えられない夏目は、正幸の辛さを思い、告発の準備を始めるのでした。

そして翌朝、夏目はコンビニで買った男物の下着と靴下、食料、日用品、ATMでおろした現金を正幸に渡し、「逃げ切って」と伝えました。

逃げずにとどまったならば、やがて身動きが取れなくなり、最後には息ができなくなってしまう、そう感じた夏目は、賄賂の罪が発覚する前に彼を逃がしたのでした。

【承】たった、それだけ のあらすじ②

残された者の思い

妻の可南子は夫との日々を思い出していました。

正幸はとてもやさしい人で、誰かがやさしくしてあげなければ壊れてしまう、その誰かに私がなりたい、と可南子は思っていました。

しかし、彼のやさしさが変わらないことは怖くもありました。

新婚旅行に行っても、帰ってきても、待望の子どもが生まれても、彼はなにも変わらないのです。

可南子は、正幸には頑丈なバリアがあって、そこから一歩も入ることはできず、彼が出てくることもない、と感じていました。

でした。

と感じていました。

可南子は夫が浮気をしていることにも気づいていました。

正幸が失踪した日、可南子は彼がもう帰ってこないと悟りながらも、彼が無事に生き延びてくれることを、そしてどこかでまた会えることを待つと心に決めるのでした。

正幸の失踪を知り、ショックを受けた姉の有希子は、可南子のもとを訪ね、可南子に謝罪をしました。

帰らないとわかっていながら正幸を待つ可南子のつらさを思いながら、同時に逃げざるを得なかった弟の孤独さに思いをはせ、早く帰っておいでと願うのでした。

【転】たった、それだけ のあらすじ③

娘のその後

小学生時代のルイは、何度も転校を繰り返していました。

母親は父親を捜すために常にテレビをつけており、テレビに父親の姿を見つけると、父親を捜すためにその場所に引っ越す、ということを繰り返していたのです。

そのことを同級生にからかわれて苦しんだこともありました。

あるとき、「父親が悪いから、母親が悪いから、私も悪いのか」と泣くルイに、「そんなことは絶対にない。

ルイはルイだ。」

と彼女の味方になってくれた先生もいました。

やがて高校生になったルイは、地元の公立高校に進学します。

中学卒業後は母親と別々に暮らし、母と父から離れようと決めていたルイでしたが、母が体調を崩してしまい、それができなくなってしまったのです。

あるとき、ルイはクラスメイトのトータに好きだと言われます。

ルイの行くところどこへでもついてくるトータのことをめんどうだと感じていたルイですが、彼と一緒に過ごしていくなかで、二人は少しずつ距離を縮めていきます。

【結】たった、それだけ のあらすじ④

正幸のその後

ルイの同級生の大橋は、高校を中退し、トータに薦めてもらった介護施設で働いていました。

失敗ばかりで何度もやめたくなった彼に、手取り足取り教えて助けてくれたベテランの職員がいました。

それが益田さんです。

益田さんは、一切不満を言わずに黙々と仕事をこなす、還暦近い端正な顔立ちの職員です。

あるとき、大橋が益田さんに最後に泣いたときを尋ねると、益田さんは「娘が生まれたときだ」と答えます。

涙が出るほどうれしい、しあわせだと感じたと話し、なぜか「会ってみたい」と言うのです。

そして、大橋にこんな話もします。

弱虫で殻を被って心を閉じて生きてきた自分は、やっと出会えた大事な人を大事にできなかったけれど、好きな人と一緒に過ごした、たったそれだけの記憶で生きていけるのだ、と。

そして、それはもう決して触れてはいけない幸福な記憶だと続けます。

大橋が働き始めて半年がたったころ、トータとルイが介護施設を訪れました。

ルイの笑顔をみた大橋は、誰かに似ていると感じるのでした。

たった、それだけ を読んだ読書感想

賄賂の容疑がかかって失踪した男と、その男にかかわる人物たちの思いを描いた連作短編集です。

それぞれの人物が抱える苦悩や悲しみ、その中で気づく「たった、それだけ」のことが丁寧に描かれています。

最終話に登場する介護施設で働く益田という男が、おそらく失踪した望月正幸なのだろうと思われる書き方で話は閉じます。

置いてきた妻と娘のことを大事に思い続けて生きてきた男のすぐ近くに、実は妻も娘もいる、と思うと切なくなりました。

彼らが再会する日は果たしてくるのか、再会できたとしてそれは幸せなのか、わからないけれどそれぞれがどうか幸せであってほしいと願いたくなるお話でした。

登場人物たちから語られる思いは切なく、苦しく、だけど強くて、人は弱くて脆いけれど強いのだと思わせてくれる作品でした。

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