著者:江戸川乱歩 2016年11月に青空文庫から出版
接吻の主要登場人物
山名宗三(やまなそうぞう)
主人公。公務員。愛妻家だが嫉妬深い。
山名お花(やまなおはな)
宗三の妻。 よく笑い無邪気だか頭の回転は早い。
村山(むらやま)
宗三の上司。お花の遠い親戚。仕事はできるが神経質で小言が多い。
接吻 の簡単なあらすじ
勤め先の上司から紹介された美しい女性と結婚した山名宗三ですが、ある日妻のお花が1枚の写真に接吻をしている場面を目撃しました。
お花が村山と浮気をしていると早合点した宗三は、辞表を提出した後に例の写真をお花から取り上げようとします。
お花が大切にしていたのは自分の写真だと知り、仕事を失いながらも宗三はひと安心するのでした。
接吻 の起承転結
【起】接吻 のあらすじ①
役所に勤めている山名宗三は1カ月くらい前に結婚したばかりで、ここ数日は午後4時の退勤時間がくるのが待ちきれません。
いつものように定時になると逃げるように職場を飛び出して自宅の門をくぐり抜けて玄関で靴を脱ぐと、妻のお花を驚かそうと思って抜き足差し足で茶の間を様子をうかがいます。
夕食の準備をすでに終えていたお花は長火鉢の前で座り込んで、1枚の写真に接吻をしていて今にも泣きそうな顔です。
宗三がわざと大きな声をかけて茶の間に足を踏み入れた途端に、お花は握りしめていた写真を帯の中に隠してしまいました。
気まずい雰囲気のままで食事が終わると、お花はこっそりと物置小屋の中へ入っていきます。
障子に空いた小さな穴から物置をのぞいていた宗三は、確かにお花が真正面のタンスの引き出しの中に写真をしまうのを見届けました。
真夜中になってお花が完全に寝息を立てていることを確認して、宗三は物置の正面のタンスの引き出しから写真を取り出します。
【承】接吻 のあらすじ②
宗三のいやな予感はズバリ的中して、写真の中では役所の課長・村山がやけに澄ました顔をして上半身をこちらを向いていました。
もともとお花は村山の遠縁に当たり、長らく彼の家に居候していたところを宗三に紹介されたのが夫婦の馴れ初めです。
当然のようにふたりの結婚式では村山に仲人をお願いすることになり、式に招かれた同僚たちの中には「上司の御下がりをちょうだいした」と陰口をたたく者までいます。
要領よく仕事をこなしてきた村山は昇進もトントン拍子で、肩書こそ課長ですが年齢はほとんど宗三とかわりません。
結婚後もお花は何かと理由をつけて村山家を訪れることが多く、この1カ月だけでも4〜5回は通っているでしょう。
年若く美しくよく笑うお花と残念なルックスで愛想のない村山の妻とを、頭の中で比べてみても宗三の不安は広がっていく一方です。
宗三は悔しいのと寒いのでガタガタ震えながら布団の中に潜り込み、一睡も出来ないままで夜明けを迎えます。
【転】接吻 のあらすじ③
朝になってお花が差し出したお弁当を引ったくると、宗三はひと言も口をきかずに自宅を飛び出しました。
いつもよりも早く席に座って待ち構えていましたが、村山課長はまだ出勤していません。
いかにも高級品の背広に大きな折り畳み式のカバンを抱えて課長が姿を見せると、宗三は理由もなくイライラとしてきます。
毎日のように代わり映えのしない仕事、ボロボロになった机の上でアルミ製の弁当箱の冷たくなった四角いご飯、安い月給に虚ろな同僚たちの顔に上司への愛想笑い。
やがて宗三は課長の机の前に呼ばれて、みんなの見ている前でいつも通りの嫌みったらしい小言が始まるだけです。
統計の中でも1番に肝心な平均率を出し忘れたことを指摘された宗三は、ビックリするような大声を出して課長の手から書類を奪い取ると自分の席に戻りました。
机の引き出しの中から1枚の真っ白な紙を広げて、太い筆で「辞職願」と書くとすっかり面食らった様子の課長の前にたたきつけます。
【結】接吻 のあらすじ④
村山課長と衝突して役所を辞めたこと、今日を境にして村山家に出入りすることは止めること、昨日の夜の村山の写真をこちらに渡すこと。
午前11時というあり得ない時間に帰ってきた夫が訳の分からないことを言い出したために、お花はあっけに取られてしまいました。
たちまち真相を悟ったお花は宗三の腕を引っ張って物置小屋へと連れていき、正面のタンスの扉についている鏡を見せます。
昨夜はタンスの扉を閉め忘れてたまたま45度の角度で障子の穴の前で止まっていて、鏡の中に宗三の写真を閉まった左側のタンスが写り込んでいたようです。
夜になると物置の中は薄暗くなりふたつのタンスの形も似ているために、宗三が勘違いするのも無理はありません。
お花が村山のもとに足しげく通っていたのも、すべては夫を出世させたかったからです。
この不景気で再就職先はすぐさま見つからないことをお花は嘆きますが、宗三は彼女が自分の写真を抱きしめたり接吻していたことを思い出して嬉しくなってしまうのでした。
接吻 を読んだ読書感想
下級の武士が腰に弁当を下げて主君のお屋敷に向かうかのように、毎朝アルミの弁当箱を持って役所に出勤する主人公・山名宗三がユーモラスです。
無味乾燥なルーチンワークと口うるさい上司・村山に疲れ果てた宗三を、満面の笑顔で出迎えてくれる新妻のお花には心温まります。
平穏無事な日常が終わりを告げて睦まじい夫婦の間にある日突然に暗雲が立ち込めていくかのような、1枚の写真の存在が何とも不気味です。
特に殺人事件も起こらず偏執的な犯人も登場しない江戸川乱歩らしからぬ物語ですが、トリックとどんでん返しもしっかり用意されていて満足できました。
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